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黒井堰(くろいぜき)

  • 黒井堰(くろいぜき)
高畠町ぬかの目沢口という部落の喜多院の隣に
黒井堰碑があり、高畠町指定史跡に認定されております
この碑をよく見ると全て漢文体で書かれており、興味深いデザインになっております


この黒井堰(くろいぜき)は時代は古く、
上杉鷹山公が藩政改革をしていた時に
水不足で苦しんでいた米沢地区(主に北地区)から南陽市まで
実に32キロに及ぶ長距離を農業用水路「黒井堰」で水を送り、田畑を潤しました
その大工事の計画者であり、責任者にもなったのが黒井半四郎忠寄(くろいはんしろうただより)氏で
着工中に氏が亡くなってから数年後に完成した堰は少々のズレがあっただけでほとんど計画通りにできたとし
その功績を讃え、黒井堰と銘々したとのことです


最近まで使われていたようで現在ではこのような看板が掲げられて「旧黒井堰水路」として案内されていますが
今でも地域の方が保護しています
鬼面川(おものがわ)に沿って、当時の石積みの堰を見ることができます


◇ 参考 ◇
水土里(みどり)ネット米沢平野

城下町ふらり歴史探訪
(26番)


グーグルマップで確認
2009.12.11:umai:[高畠の史料]

高橋佐平次翁供養塔

  • 高橋佐平次翁供養塔
亀岡露藤に位置します
お地蔵さまと供養塔、そして佐平次さんにまつわるお話が石碑になって
建っております

佐平次さんはとんちの名人
貧しいながらも周囲をとんちで和ませ
楽しく自由を求めて生きていたのだそうです


たかはたの昔話という本があり
亀岡公民館で取り扱っております
佐平次さんの語りも「佐平はなし」として多数収録

発行は「まほろば語り部の会」さんです




グーグルマップで確認
2009.12.11:umai:[高畠の史料]

亀岡文殊堂

  • 亀岡文殊堂
亀岡文殊は日本三文殊の一つとして有名です
奈良県の安倍文殊
京都県の切戸文殊
山形県の亀岡文殊

大聖寺(だいしょうじ)は真言宗智山派の寺院
このお寺は807年にこの地を訪れた奈良東大寺の徳一上人(とくいつしょうにん)が中国の五台山に似た風景をもつ山の姿に心をうたれ、
文殊菩薩を安置したことに始まると伝えられています

多くの人が入学、入社試験の際、合格祈願として参拝されています

参道入り口
最寄の駐車場に車を停めて、ここから歩く人ももちろんいます
上まで一旦車であがっちゃうと、なかなかここまで下ろうと思わない位
坂道がキツいです


階段のところに小さな滝があります

雪が積もってから、この滝を見に来て下さい
また別の風景を見ることができます


高梨利右ェ門供養塔


縁結び観音


知恵の水(ちえのみず) 利根水(りこんすい)
一口飲めば(ひとくちのめば)文殊さまの(もんじゅさまの)
知恵が授かります(ちえがさずかります)




GoogleMap
2009.11.19:umai:[高畠の史料]

旧 高畠駅

  • 旧 高畠駅
高畠町桜木町に旧高畠駅があります

この建物は「高畠石」で作られており今もバス停として使われています
中にも入ることができますよ(待合室)
トイレも、駅舎も高畠石で造られた当時の面影がそのまま残っております

もみじの頃も良いですが
桜の季節も絶景です。ぜひ年中通しての散策をオススメします



Google Mapで位置を確認する
2009.11.01:umai:[高畠の史料]

大立洞窟(おおだちどうくつ)

  • 大立洞窟(おおだちどうくつ)
高畠町北目という所に
発見が比較的新しい洞窟があります



山の中にあるのですが

何かありそうな雰囲気を醸し出しています


この岩の間を抜けると
道が開けてきました


案内板から徒歩2分
ようやく見えてきたものは巨大な岩でできた岩陰と洞窟からなる
大きな洞窟でした



中に腰を曲げて入っていきますと
広くなっており、165cmの私も普通に立てる深さと高さがありました


この洞窟の中に石の柱が2本立っています
そしてその前に祠(ほこら)があります


あきらかに、何かを祀って(まつって)いるようですが・・・
いったいどういう意味があるのでしょう

石の柱と思われるものは鳥居にも見えますが
真っ暗でよくわかりません


洞窟の中にはあたり前のようにこうもりがおりました

雨が降っていたのですが、この辺は全く雨に当たりませんでした

山の中なので比較的高いところにあり、景色が一望できます




場所はこちら
大立洞窟
2009.08.31:umai:[高畠の史料]