上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市
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米沢市の上杉神社は、明治4年(1871年)にかつての米沢城本丸御殿跡に上杉謙信公と上杉鷹山公を祭神として創建されました。その後、明治35年(1902年)、明治政府から別格官弊社(それまでは県社)に列せられ、祭神は上杉謙信公のみとなりました。国の登録文化財に指定されています。

かつて米沢城本丸の正門は北門でしたが、上杉景勝公の米沢城入城とともに直江兼続公によって現在のような東門に改められました。東門に架かる石造りの橋は、明治になってから架けられた国の登録文化財「舞鶴橋」です。


全国に27ある別格官弊社(べっかくかんぺいしゃ)の一つ。日光東照宮、久能山東照宮と同じ社格です。


正式にはこの鳥居の先が上杉神社となります。


2つ目の鳥居をくぐると本殿です。


創建当初の社殿は、大正8年(1919年)の米沢大火によって焼失してしまいました。現在の社殿は大正12年(1923年)に再建された社です。設計は米沢出身の伊東忠太先生です。



上杉神社の地図]



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)

直江家の家紋、三盛亀甲花菱(みつもりきっこうはなびし)です。

(下記の家紋はイメージイラストであり正式なものではございません。)


直江兼続公夫妻のお墓の覆い前面には家紋の形があしらわれています。(米沢市 春日山林泉寺)


米沢市上杉博物館に所蔵されている「直江兼続像」には下記の家紋が描かれていますがこれは直江家の家紋ではありません。肖像画は江戸後期に編集された「集古十種」を参考に描かれた物とみられ、また「集古十種」は高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)瑜祗塔(ゆぎとう)の肖像画(焼失)を写した物でした。そのため写し誤ったか新たに描き加えられてものと考えられています。




上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)

上杉家の家紋は、竹と雀をあしらったの紋どころです。二羽の雀が羽を広げて向き合っていますが左右対称ではありません。ご存知の方も沢山おられることと思いますが、片方の雀は口を閉じもう片方の雀は必ず口を開いています。掲載画像とは違い本物では非常に厳しい目つきで表現されています。

(下記はイメージイラストであり正式な家紋ではございません。)


(上杉謙信公が持たれているのは「八幡の御弓」です。)




上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)

紺地日の丸(こんじひのまる)の旗は、長尾家に代々伝わる朝廷から授かった旗です。天賜の御旗(てんしのみはた)、日の御旗(ひのみはた)、御家の旗(おいえのはた)とも呼ばれています。上杉謙信公はこの旗を深く信仰する毘沙門天とともに常に毘沙門堂に安置されていたと言われています。


上杉軍出陣の際は、「刀八毘沙門の旗」、「八幡の御弓」とともに列に加わりましたが、本陣を敷くまでは箱に納め白布で包み僧が背負っていたと言われています。尚、本陣では御旗殿が建てられ掲揚されました。




上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)

上杉時代館、次のお話も常にこれと決めております。

上杉軍を象徴するもう一つの旗印、懸かり乱れの龍(かかりみだれのりゅう)の旗です。上杉軍が敵に総攻撃を仕掛ける際、上杉軍の本陣に立てられた旗印です。






上杉時代館の「直江兼続公」講座

上杉時代館、お話の初めは常にここからと決めております。

上杉軍象徴の旗印、刀八毘沙門(とうはちびしゃもん)の旗です。藩祖上杉謙信公が深く信仰していた毘沙門天の「毘」の一字をお取りになり、戦での加護と勝利を願われた旗印です。


上杉軍団出陣の際は一番手の旗です。




上杉時代館の「直江兼続公」講座