上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市
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慶長6年(1601年)米沢城に入城した上杉景勝公は、直江兼続に上杉謙信公祠堂(御堂)の創建を命じました。
天正6年(1578年)3月13日、越後春日山城で亡くなられた上杉謙信公のご遺骸は、甲冑姿で甕に納められ周りを漆でしっかりと固められていました。会津移封により越後の地を離れ、その後米沢減封により米沢へと移されていました。
上杉謙信公の存在はその死後も家臣団の精神的な支えであるとともに、減封による苦悩下において家臣団の心を一つにする象徴でした。

米沢城本丸跡の南東部。高台になっているのが分かります。


明治9年までこの高台に上杉謙信公のご遺骸が安置されていました。


現在は歴代藩主が眠る上杉家御廟所に安置されています。


祠堂(御堂)の建物は長命寺の本堂として現存しています。


上杉謙信公祠堂跡の地図



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)

春日四柱大神を祭神とする春日神社は、上杉謙信公が奈良の春日大社から分霊し創建した社です。越後春日山城から会津、米沢と上杉家とともに移され現在に至っています。米沢では春日山林泉寺の境内や城下を何度も移動し、更には大正8年(1919年)の米沢大火で焼失するなど数奇な運命を辿って来ています。昭和56年(1981年)に現在の社が建立されましたが、それまでは松岬(まつがさき)神社に合祀されていました。

昭和56年(1981年)にようやく現在の場所に落ち着いた春日神社。


新潟県上越市の春日山神社。米沢の春日神社から分霊し祀られています。

春日神社の地図



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)

大正8年の米沢大火によって焼失した上杉神社は大正12年(1923年)4月再建されました。時を同じくして上杉神社稽照殿(けいしょうでん)が開館しています。上杉謙信公、上杉景勝公、上杉鷹山公、直江兼続の遺品を中心に多数の重要文化財を収蔵しています。国の登録文化財です。

上杉神社本殿の正面右隣が稽照殿です。


上杉謙信公がご愛用なされた【馬上杯】がございます。どうぞお見逃しなく。尚、設計は上杉神社と同じく米沢出身の伊東忠太先生です。


直江兼続公の【愛の兜 甲冑】もこちらの稽照殿で所蔵展示されています。(画像は米沢市観光PRポスター)



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)

米沢市の上杉神社は、明治4年(1871年)にかつての米沢城本丸御殿跡に上杉謙信公と上杉鷹山公を祭神として創建されました。その後、明治35年(1902年)、明治政府から別格官弊社(それまでは県社)に列せられ、祭神は上杉謙信公のみとなりました。国の登録文化財に指定されています。

かつて米沢城本丸の正門は北門でしたが、上杉景勝公の米沢城入城とともに直江兼続公によって現在のような東門に改められました。東門に架かる石造りの橋は、明治になってから架けられた国の登録文化財「舞鶴橋」です。


全国に27ある別格官弊社(べっかくかんぺいしゃ)の一つ。日光東照宮、久能山東照宮と同じ社格です。


正式にはこの鳥居の先が上杉神社となります。


2つ目の鳥居をくぐると本殿です。


創建当初の社殿は、大正8年(1919年)の米沢大火によって焼失してしまいました。現在の社殿は大正12年(1923年)に再建された社です。設計は米沢出身の伊東忠太先生です。



上杉神社の地図]



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)