上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

■ 米沢の史跡
米沢市関根にある 普門院 (ふもんいん)は、同地区にある羽黒神社とともに 上杉治憲敬師郊迎跡 として国指定史跡となっている寺です。

普門院は、萱葺き屋根の一部が陥没するなど近年老朽化による痛みが顕著になって来ており、今年度から 平成の大改修 が始まることになっています。大改修が終わるのは平成30年(2018年)の予定ですので今後7年間に渡りシートに覆われることになります。拝観を希望される方はぜひお急ぎ下さい。





今年で216年になる細井平州先生お手植えの椿。








普門院の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
皇太神社(こうたいじんじゃ)は、 上杉謙信公の家臣 が伊勢神宮から分霊を賜り、「天照皇大神」を祭神として 越後国魚沼 に建立した神社です。上杉家の会津移封、米沢減封により魚沼から現在の地に移されました。尚、米沢市内の 皇太神宮 (こうたいじんぐう)とは縁起や所在が全く異なります。



皇太神社の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
皇太神宮(こうたいじんぐう)は、天文23年(1554年)に 上杉謙信公 が伊勢神宮から分霊を賜り、「天照皇大神」を祭神として 越後国糸魚川 に建立した神宮です。上杉家の会津移封、米沢減封により糸魚川から現在の地に移されました。尚、米沢市内の 皇太神社 (こうたいじんじゃ)とは縁起や所在が全く異なります。







皇太神宮の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
米沢の熊野神社は、伊達氏の時代にこの地に居住していた富豪が、紀州熊野権現から分霊を受け屋敷内に社を建てて祀ったのが始まりです。毎年8月には境内で大々的に盆踊りが催され、初日は氏子が揃って 上杉家御廟所法音寺 に参拝することが慣例となっています。

境内で毎年8月に開催される盆踊り。


櫓の天辺には「毘」「龍」そして「天地人」ののぼりが立ちます。


上杉家御廟所、上杉謙信公廟に参拝。


法音寺、上杉家御霊所に参拝。


熊野神社の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
全国に約450もの社があると言われる水の神「貴船神社」の一つが米沢市にもあります。直江兼続公によって創建された米沢の貴船神社は、京都の貴船神社総本社から分霊を受け、米沢の城下を流れる松川の上流部山中に建てられました。これは京都の総本社が街の中を流れる鴨川の上流部山中に立地していることにならったものです。上杉景勝公が入部された頃の米沢は、現在も米沢の街中を南から北に流れる松川(最上川)が度々氾濫を繰り返しており、米沢城の東側には居住はもちろんのこと耕作も出来ない土地が広がっていました。直江石堤の完成により松川の治水に成功した直江兼続公は、更なる安全を祈願して米沢の貴船神社を建立しています。尚、米沢の貴船神社は、ただ単に松川の上流部と言うことだけではなく、米沢城から見て辰巳の方角(南東)の吉方位線上に立地しています。また神社前の道はかつての福島街道で参勤交代や米沢の商人が通った道でした。

かつての福島街道沿に建つ貴船神社。右手が福島方面。(ここまで車両可)


米沢城から見て辰巳(南東)の方角の吉方位線上に建つ貴船神社。


貴船神社総本社

京都の貴船神社総本社の地図     米沢の貴船神社の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
天正18年(1590年)3月、豊臣秀吉の命を受け上杉景勝公は直江兼続公を従えて小田原城の北条氏政征伐に出陣しました。同年7月、北条氏政の自害という結末で小田原城は開城され、戦を終えた上杉景勝公は更なる奥州検地に備え一旦越後へ戻ることになりました。その帰途、直江兼続公は富士山麓の社で 曽我兄弟 の木像と出会います。逸話に心打たれた直江兼続公は、この木像を譲り受け実父樋口惣右衛門兼豊が城主を務める越後国安塚直峯(のうみね)に大きな御堂を建立し「神達明神(かんだつみょうじん)」と名付けて祀りました。その後木像は慶長3年の上杉家会津120万石移封により米沢へと移され現在に至っています。

米沢では直江兼続公の実家樋口家の屋敷内に建てられた「神達明神」。


越後国安塚直峯の地図     神達明神の地図



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


会津若松市 ハンサムウーマン 八重と会津博
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)