鈴鳴草子 〜鈴の宿 登府屋旅館〜
これぞ天下の上杉節 1番
これぞ天下の上杉節 1番
毘沙門天の旗じるし
われに勝利をたれたまえ
のろしは上がる春日山
謙信出陣 武てい式
米沢に住んでいると子供の頃から自然と耳に入り、いつのまにか覚えてしまう
「上杉節」。
改めて歌詞を読むと、上杉家の文化や習俗が凝縮されていることがわかります。
五番まである歌詞を解釈してみたいと思います。
「毘沙門天の旗じるし われに勝利をたれたまえ」
上杉軍では、隊列の順番により決まっている持ち物がありました。
一番手は、「毘」の軍旗。
謙信が軍神である毘沙門天を崇拝しており、上杉軍の守護神を毘沙門天としていました。
一番最初の部隊は、守護神である毘沙門天の頭文字「毘」を大きく書いた旗を持って先陣を努めました。
二番手は、関東管領上杉家の重宝「八幡の御弓」。三番手は、朝廷から拝領した「紺地日の丸」の旗でした。
「毘」とともに有名な「懸かり乱れの龍」の旗は、敵陣への総突撃時に使用しました。
「龍」は、仏教において不動明王を表します。
不動明王の持つ倶梨伽羅剣には龍が巻きついていて、この龍が仏敵を倒すと言われており、謙信の知識と信仰心の深さが見てとれます。
また、「刀八毘沙門」や「愛」と書かれた旗も残っています。
「愛」の一字は、直江兼続の兜と共通しますが、軍神である愛染明王の頭文字かと思われます。
当時の上杉軍は、謙信だけでなく配下の武将も信仰心が篤く、兜や旗に神仏の名を入れたり、像をかたどったりしました。
10センチにも満たない小さな仏像を戦地に携帯する者も多く、戦と信仰が深く結びついていました。
「毘」の旗は、上杉軍を守る最も重要な旗であり、常に先頭を行く心のシンボルだったと思われます。
「のろしは上がる春日山、謙信出陣武てい式」
謙信が、合戦に出かける前に必ず行っていたのが「武てい式」です。
まずは、謙信自ら護摩行を行います。
春日山城内の護摩堂にて五壇護摩を行い、炎で煩悩を焼き尽くします。
次に、不識庵という建物に入って座禅を組み、これから行う戦が本当に義に基づく正しい戦いかを自問します。
そして、毘沙門堂にて決意を固め、戦勝を祈願し、神前の霊水を水筒に納めます。
この一連の行事を「武てい式」と呼びました。
謙信がいかに神仏を大切にし、また義に則って戦ったかがわかります。
また、城下では「お立ち飯」と呼ばれる大盤振舞いが行われます。
山盛りに米が炊かれ、山海の珍味と酒が所狭しと並びます。
普段は質素な食事をしていた謙信ですが、合戦に出かける前には「大いに酒を飲み、大いに食らうべし」と士気を高めます。
遠征用の陣中食も作られますので、かまどでは絶え間なく米が炊かれ、その煙がもうもうと立ち上り、のろしがあがる状態となるわけです。
これが、「のろしは上がる春日山、謙信出陣武てい式」の歌詞につながります。
2008.03.01:
tofuya
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「上杉節」。
改めて歌詞を読むと、上杉家の文化や習俗が凝縮されていることがわかります。
五番まである歌詞を解釈してみたいと思います。
「毘沙門天の旗じるし われに勝利をたれたまえ」
上杉軍では、隊列の順番により決まっている持ち物がありました。
一番手は、「毘」の軍旗。
謙信が軍神である毘沙門天を崇拝しており、上杉軍の守護神を毘沙門天としていました。
一番最初の部隊は、守護神である毘沙門天の頭文字「毘」を大きく書いた旗を持って先陣を努めました。
二番手は、関東管領上杉家の重宝「八幡の御弓」。三番手は、朝廷から拝領した「紺地日の丸」の旗でした。
「毘」とともに有名な「懸かり乱れの龍」の旗は、敵陣への総突撃時に使用しました。
「龍」は、仏教において不動明王を表します。
不動明王の持つ倶梨伽羅剣には龍が巻きついていて、この龍が仏敵を倒すと言われており、謙信の知識と信仰心の深さが見てとれます。
また、「刀八毘沙門」や「愛」と書かれた旗も残っています。
「愛」の一字は、直江兼続の兜と共通しますが、軍神である愛染明王の頭文字かと思われます。
当時の上杉軍は、謙信だけでなく配下の武将も信仰心が篤く、兜や旗に神仏の名を入れたり、像をかたどったりしました。
10センチにも満たない小さな仏像を戦地に携帯する者も多く、戦と信仰が深く結びついていました。
「毘」の旗は、上杉軍を守る最も重要な旗であり、常に先頭を行く心のシンボルだったと思われます。
「のろしは上がる春日山、謙信出陣武てい式」
謙信が、合戦に出かける前に必ず行っていたのが「武てい式」です。
まずは、謙信自ら護摩行を行います。
春日山城内の護摩堂にて五壇護摩を行い、炎で煩悩を焼き尽くします。
次に、不識庵という建物に入って座禅を組み、これから行う戦が本当に義に基づく正しい戦いかを自問します。
そして、毘沙門堂にて決意を固め、戦勝を祈願し、神前の霊水を水筒に納めます。
この一連の行事を「武てい式」と呼びました。
謙信がいかに神仏を大切にし、また義に則って戦ったかがわかります。
また、城下では「お立ち飯」と呼ばれる大盤振舞いが行われます。
山盛りに米が炊かれ、山海の珍味と酒が所狭しと並びます。
普段は質素な食事をしていた謙信ですが、合戦に出かける前には「大いに酒を飲み、大いに食らうべし」と士気を高めます。
遠征用の陣中食も作られますので、かまどでは絶え間なく米が炊かれ、その煙がもうもうと立ち上り、のろしがあがる状態となるわけです。
これが、「のろしは上がる春日山、謙信出陣武てい式」の歌詞につながります。