FPのひとりごと
その他
本日誕生日を迎えた私
はい! そうです! 60歳! 還暦です! いやーーーー 60歳 60歳 60歳 ・・・ ちょっとセンセーショナルな響きはあるけど 本人的には 60歳だからって 特に感じるところはない でも「60年生きた」ということには ちょっと感じるものはある それが長いか短いかと問われれば これは圧倒的に長いと思う 幼少期の思い出など もう遥か彼方って感じがする さすが還暦 暦が一回転だ この60年 まあしかしいろんなことがあった ありすぎた 自分で言うのもなんだけど 激動の人生だった 人生の一回転というのは まさにこういうことを言うんだろうねえ この先何年生きられるんだろうか? 山あり谷ありだった人生 これからは せめて 山を低くし 谷を浅くしたいものだ・・ なんてのはゼッタイ無理なので 二周目もガンガンいかせていただきます ガハハハ (バーモント)華麗な人生で (ヒデキ)カンレキ!! |
YOU TUBE で懐メロを引っ張り出しては
一人カラオケをするのが 最近のマイブームだ あまりの懐かしさに涙したり 薄れていた記憶の糸をたどってみたりと なかなか充実した時間を送れるのに これがタダなのがいい 最近ドップリなのが エディー潘と西城秀樹だ(知らんよね・・) エディーは“横浜ホンキートンクブルース”の生みの親 んなこといったってわからんと思うけど 松田優作とか原田義雄とかがカバーしてる シブ〜いブルース とても歌いきれないけれど 浸りきれる名曲中の名曲だ 西城秀樹は年齢的にはほぼタメ = アラ還 新御三家なんて言われていた頃には 全く関心もなかったのだが 脳梗塞でリハビリ なんて聞くと とても他人事には思えず 全盛期の歌う姿などを引っ張り出してみるのだが これがみごとにセクシー 唖然とするほどセクシー こりゃぁー女の子が熱狂するわ 当然だわ 持って生まれたもんがちがうんだね いやはや 若いときの自分をどう転がしたって あんな色気は出やしない やっぱスターってやつは育てるもんじゃないってのがよくわかる またステージに立つために 必死にリハビリをしているらしいけど やりすぎはダメだよ やりすぎは(←人のことは言えませんが・・) 過去の栄光にすがる その気持ちが痛いほどわかるだけに辛いのだけど 時に身を任すことも必要だよね って言えば言うほど自分に返ってくる Uu・・ ま 死ぬまで無理だね おたがい |
お隣の韓国に激震が走っている
大統領のお友達による国政介入疑惑だそうだが 大統領自身の積極的関与も疑われ 検察の捜査も入るとのこと 辞任しなければ また大規模なデモが起きるだろうし かといって辞任すれば 不逮捕の既得権がなくなって 一般人として逮捕・起訴される可能性が高い(ような気がする) 最悪のシナリオは 戒厳令→軍の介入→軍政→民主主義の崩壊 だが 北朝鮮も密かに爪を研いでいるだろうし いやはやどうなっちゃうんだろうねえ この国は いくら毀誉褒貶が激しいお国柄とはいえ 歴代大統領経験者の末路は悲惨すぎる(暗殺・投獄・死刑・自殺) 韓国人のお友達もいて 一人一人はみんないいやつばっかりなのに お国事情となると 相当憂慮しなければならない どうやって収集するのか 全く予断を許さない |
世の中には 絶対にかなわない人が山ほどいる
冷静に考えてみれば それは間違いのない事実だ しかし なんやかやをかこつけて それを認めないのも人間だ 例えば i-PS細胞の山中教授には 地球を一周逆立ちしたって 頭ではかなわない 人間性も立派でらっしゃって これもかないそうにない でも ルックスでは ちょっと勝ってるかも みたいな‥ (あくまで主観=思い込みです) でも すべてにおいて 全くかなわないと認めざるを得ない人もいる 私の場合 それは平尾誠二だった 言わずと知れた 日本ラグビー界の貴公子だ 高校 大学 社会人で何度日本一になったのだろうか スタンドオフというポジションが これほど似合う人を見たことがない ラン パス ステップ キック すべてが華麗だった これだけでも ラガーマンになりたかった私には垂涎の的なのに ハンサムでスマートで頭脳明晰で弁舌さわやかときた そこに指導者としてのカリスマ的なリーダーシップまで入ってくるわけで 完膚なきまでに どっから見ても絶対かなわない人であった それが 53才という若さで逝ってしまった 神様がその才能に嫉妬したとしか思えない ただただご冥福をお祈りする |
私が働くオフィスは 街のど真ん中にある
地図上で見ても 商圏で見てもど真ん中だ いや だった・・ かつて ここには大型スーパーといろんなテナントが入っていて ちょっとした規模のショッピングモールを形成していた 日常生活に必要な物はほとんどそろっていたし フードコートやゲーセンやプリクラがあったので 今では考えられないくらいの客で ごった返していた それが 今や ゴーストタウン 眼前に広がる風景は 『荒涼とした』という表現がぴったりだ 一度ご覧になればいい(映画のワンシーンみたいだ) もっとも 照明も街灯もないので 近づくのも難しいが・・ 諸事情で キーテナントだった大手スーパーが郊外に移転したため 中に入っていた全テナントも撤退せざるを得なくなり 結局 当社だけが行くあてもなく残ってしまったというワケ・・ ゴーストタウンになって もう1年半以上にもなる ここだけでなく 周囲の商店街のひっそり感は相当のものだ 夕闇が迫ると 街灯もまばらなこの通りの侘しさは倍加する なんとかしなきゃねえ・・ こうなった原因はいろいろあるんだろうが 突き詰めれば 街に元気がないから ということになる 『元気があればなんでもできる!』じゃないけど 元気があれば 商圏のど真ん中がもぬけの殻 なんてことはないと思う なんとかしないといかんよねえ つくづくそう思う 街を元気にするには どうしたらいいんだろう? 簡単だ 街に魅力をつけて 人を呼び込めばいい そうすりゃ 黙ってても街は元気になる でも残念ながら ここで起こっていることは真逆だ 街に魅力がないから 人が来ない さびしい・・ なにもしないでいたら 街全体がゴーストタウンになる日も近い |
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もう十年来の“障害者友達”だが 話をするのは久しぶりだった
顔は合わすのだが こっちが忙しすぎて 話をする暇がなかったのだ
同じ障害者1級だが 向うの方が大先輩で重度だ
なにせ20歳でジコってから もう40年の療養生活だし
同じ四肢麻痺でも 首から上と手首がほんのちょっと動くだけだ
現実的な問題として 施設以外の生活を選択する余地はまったくない
私の場合 障害の程度でいけば 施設への入所も十分可能なのではあるが
意地と自助努力でなんとかそれを阻止し 家で暮らし 仕事も続けている
でも彼にはその選択はできない
私も彼も 進行性の障害ではない
そこは一緒で 理論的には現状維持〜回復も望めるのであるが
決定的な違いが一つある
身体をコントロールできる領域の広さだ
私が内臓を含めて35%だとすると 彼は15%あるかないかだ
この差は大きい
私はその35%を使って リハビリや筋トレを欠かさないが
15%だったら 同じことをやっていく自信がない
人間だから 結果が出なけりゃ気持ちがなえる
ガンガンやってるつもりでいる私ですら 現状維持もおぼつかないだろう
だから 私から彼に『がんばれ!』なんてとても言えない
がんばってどうにかなるような障害ではないのだ
重度の障害者には 必ずと言っていいほどダークサイドがある
端的に言えば 厭世観だ
諦めなきゃいけないことが山ほどあれば たぶん誰でもそうなる
私にもあったし 今もどこかに潜んでいるのだろう
彼の厭世観がちょっと重たくなっていた
『死んだ方がまし』が『死にたい』に変わっていた
老化の加速が 無力感に拍車をかけているのだろう
人間 なにか夢がなければ生きられない いくつになってもだ
全身不随の還暦の独身の重度身障者に夢を見ろというのは酷だ
んっ 夢? あるじゃん i-PS細胞!
それは彼の唯一の希望だった
半年くらい前に その話をしたとき 彼の目は確かに輝いた
『その話を聞いて 生きていこうと思った』 と言った
『あと数年で 頚損での臨床実用化が始まるよ』
『ほんとかよ』 そう言いながら また目が輝いた
右手が動くだけでいい という彼に『歩こうぜっ!』とハッパをかけた
山中先生 お願いだから 生きてる間に何とかして!
オレが絶対ヤツの夢をつなぐから
とにかく とにかく 生きていなきゃだめだ
それは自分への檄でもある