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10月13日「楽市楽座」でのプロ棋士による指導対局詳細
応募は終了とさせていただきました。 ありがとうございました。 -------------------------------------------------- 日時:10月13日 12時30分より13時30分まで 「将棋かふぇ」ブースにおいて12時30分より13時30分まで、 プロ棋士4名による指導対局を行います。ご参加希望の方は、 こちらのフォームよりお申し込みください。 ※尚、定員になり次第、募集を打ち切りとさせて頂きます。 ※参加者には、後日メールにて集合時間、ルール等の詳細な情報をお送りいたします。 指導を行なって頂くプロ棋士の方 ・塚田泰明 九段 ・戸辺誠 六段 ・阿部健治郎 五段 ・本田小百合 女流三段2013.09.07 -
天童市の名の由来
いまから千数百年も昔のことです。 春うららかなある日、舞鶴山(まいづるやま)の山頂で、 行基(ぎょうぎ)という偉いお坊さんが念仏を唱えておりました。 ちょうどお昼を過ぎたころのことです。突然、山の上に、紫色の雲がたなびき、 笛や太鼓の音色が聞こえてきたのです。そして、その美しい音楽とともに、天から2人の 童子が舞い降りてきました。1人は護衛(ごえい)童子、もう1人は摩竭(まかつ)童子と いいました。2人の童子は、驚いて呆然としている行基にこういったのです。 「われは、自在天(じざいてん)[=仏]の使者にして、貴僧はこの山の大士(たいし) [=菩薩(ぼさつ)]なり、よろしく一宇(いちう)[=お堂]を建立し、一切衆生 (いっさいしゅじょう)を念仏すべし。」 そういい終わると、どこへともなく去ってしまいました。このことを聞いた村人たちは、 急いで山に登り、童子の行方をさがしましたが、だれ1人として見つけることはできませんでした。 その後、行基は、2人が降り立った霊峰を天童山と名付け、四方の里を天童と呼ぶようにしたのです。 それからずっと後のこと、行基の弟子の基限(きげん)という人が、2人の童子、すなわち 少名彦那命(すくなひこなのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)をまつった天童殿 (天童神社)を建立しました。天童とは、2人の童子を組み合わせて書くようになったと いい伝えられています。2013.09.07 - ...続きを見る