有限会社コンサルネット

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フェアプレイ精神を貫く

 京セラはフェアプレイ精神に則って正々堂々とビジネスを行っています。

 したがって儲けるためには何をしてもよいとか少しぐらいのルール違反や数字のごまかしは許されるという考え方を最も嫌います。

 スポーツの世界でも反則やルール違反のないゲームからさわやかな感動をうけるのはフェアプレイ精神に基づいているからです。

 誰であっても矛盾や不正に気づいたら正々堂々と指摘すべきです。

 私たちの職場が常に爽やかで活気あふれたものであるためには、一人ひとりがフェアなプレイヤーであるとともに厳しい審判の目を持つことが必要です。




知識より体得を重視する

 知っていることとできることは全く別です。

 例えばセラミックを焼成するときの収縮率の予測ひとつをとってみても、この事実はよくわかります。文献などで得た知識で同じ条件で実験を行ったつもりでも、実際に得られる結果はその都度違ってくることはよくあります。

 本の上での知識や理屈と実際に起こる現象は違うのです。経験に裏打ちされた、つまり体得したことによってしか本物を得ることはできません。

 このことは営業部門であれ、管理部門であれ、全く同じでこうしたベースがあってこそ初めて知識や理論が生きてくるのです。


本音でぶつかれ

 責任を持って仕事をやり遂げていくためには、仕事に関係している人々が、お互いに気づいた欠点や問題点を遠慮なく指摘し合うことが必要です。

 ものごとをナアナアで済ませずに、絶えず何が正しいかに基づいて本音で真剣に議論していかなければなりません。

 欠点や問題に気づいていながら嫌われるのを恐れるあまり、それらを指摘せずに輪を保とうとするのは大きな間違いです。

 時には口角泡を飛ばしてでも勇気をもってお互いの考えをぶつけ合っていくことが大切です。

 こうした中から本当の意味でお互いの信頼関係も生まれ、より良い仕事ができるようになるのです。


率先垂範する

 リーダーというのは自ら先頭を切って仕事をすることが大切です。

 一般には、総大将は全軍の後方にあって全体を把握することが正しいと考えられてきました。トップはどこにいることが正しいのか、私にとって、それは最初からずっと問題であり疑問でした。

 トップは大局を見誤ってはいけない。経理の問題、教育の問題、人事の問題、総務の問題、技術の問題、工場の問題、営業の問題など広く見渡して、全てに的確な判断を下し、指示を与えていかなければならないのが社長です。

 そのためにトップは、全体が見渡せるような高い丘のようなところへ登って、そこから全軍を見て指揮を執っていくというのが正しいはずだというのが、一般のリーダー論にあるわけです。

 私は、どうもそのことに納得がいきませんでした。前線で兵と苦楽を共にし、叱咤激励するのも真理なら、後方にいて全軍を見渡して指揮するのも真理、どちらかに偏っていいわけではないのだな。それなら自分は社員と苦楽を共にしようと考えました。

 しかし、いつも前線ばかりいたのでは全体を見誤りますから、全体を見渡すことも忘れないように臨機応変に対応してきました。

 実際には、自分が苦労したくないから後方にいるとういう言い訳にしているケースがあまりに多く見受けられます。社長だけでなく、リーダーにとって一番大切なことは率先垂範するということです。


仕事を好きになる

 仕事をやり遂げるためには大変なエネルギーが必要です。そしてそのエネルギーは自分自身を励まし、燃え上がらせることで起こってくるのです。

 そこで、自分が燃える一番良い方法は仕事を好きになるということです。どんな仕事であってもそれに全力を打ち込んでやり遂げれば大きな達成感と自信が生まれ、また次の目標に挑戦する意欲が生まれてきます。

 その繰り返しの中で、更に仕事が好きになります。そうなればどんな努力も苦にならなくなります。こうした心境にまで高まって初めて、本当に素晴らしい仕事を成し遂げることができるのです。



自ら燃える

 ものには、他からエネルギーを受けて燃えるものと、それでも燃えないものと、そして自分自身で燃えるものとがあります。

 つまり、火を近づけると燃え上がる可燃性のもの、火を近づけても燃えない不燃性のもの、自分で勝手に燃え上がる自燃性のものと、物質は三つに分かれるのではないかと思います。

 人間も同様です。ものごとを成そうとするには、自ら燃える者でなければなりません。それは、熱意、情熱が、ものごとを成就していく基本となるからです。

 火を近づけても、エネルギーを与えても燃えない者、つまり多少能力はあったとしても、ニヒルで、少しの感受性も持たず、感動することができない人は、ものごとを成し遂げられない人です。せめて、燃えている者の周囲にいるときには、一緒に燃え上がってくれる人であってほしいと思います。

 しかし、我々にとって本当に必要な人は、自ら燃え上がる人です。さらに言うならば、自ら燃え上がり、そしてあり余ったエネルギーを他にも与えることのできる人こそが集団にとって必要なのです。