第二十五話「お墓参りは感謝の心」

 おかげさまでこの連載も二年が過ぎ、三年目に入らせていただきます。原稿の依頼を受けた二年前は、半年も続ければ書くことがなくなるだろうと思って、編集長には「半年、頑張って一年」との約束で始めさせていただきました。
 しかし、これまでこうした形で『お墓や葬儀』と言った事を著す人も少なく、閉鎖的な業界(皆さんが、知っても仕方ないと思っているだけかな)なので「世間の皆さんに、私たちの仕事を知って欲しい」と思いだすと、何故か次から次と書きたい事が頭に浮かんで来て、しばらく原稿を書き続ける事ができました。
 そうやって私なりに一所懸命書いていたのですが、何回か書き進めると友人や知り合いから「あれ本当に、ランディ(わたしのハンドルネーム)さんが書いているの?もしかしたら、ジュンちゃん(私の奥さん)に書いて貰っているんじゃないの!」と『嫁さんゴーストライター疑惑』も出て来たりしました。
「まいったな!毎月動かない頭を、懸命に働かせて書いているのに」と思いながらも「日頃の自分の、何気ない行動や言葉で、友人達がそんな風に思うのか?」と反省をしまして、「もっと丁寧に、みんなが知りたがっている事を書かなくては。」と発奮もし、今もこうして書き続ける事が出来ています。
 そうしていると「今月のあの話、自分はこう思う」とか「こんな事も有るよ」と、周りの人達が私に色々な情報を与えてくれるのです。「そうなんだ、結構みんな読んでくれているんだ。」と思うと、何故か、「今度は、これを書いてみようかな?」と思う話が頭に浮かんできます。また、間違った事や、あやふやな事も書けませんので、自分なりに参考になるような本を求めては勉強する様になり、それなりの努力もしなくてはなりませんので、この文章を書く事が私の、今の行動の基準になっているなかもしれません。
 またありがたい事に、この様な拙い文章でもこうして書き続けていると、この私に『お墓を造って欲しい』と言う、誠に奇特なお方も出て来まして、この十一月に一基建てさせていただきました。本当に感謝の気持ちで一杯です。そうなると、自然と仕事に力も入り「良い仕事をしたい」と言う気持ちも、ますます強くなります。
 今現在進行中のお墓も,そうした中のひとつで、路上生活者や独居老人を支援している非営利団体(NPO法人)から依頼された、身寄りの無い人達に,将来入って頂けるお墓を設計し、建立する準備をしています。 
 こうなると、中途半端な事も出来ませんし、まだもう少し書きたい事や、お知らせしたい事も有りますので、今年も、もう少し頑張って書かせて頂こうと考えています。
 早速ですが、年末年始に当たり、私の知り合いで、あるお寺の代表役員の方から良い話を聞きましたので、書きたいと思います。
 お正月と言えば『神社への初詣』、これが日本国民の定番行事になっています。しかし、その話をお聴きしたお寺では、大晦日の日に檀家の皆さんがお寺に本堂に集まり、一年間無事で過ごせたことを仏さまに感謝するそうです。
 十二月三十一日の夜十一時を過ぎ、新年の準備も終って年越しを迎えようとする頃、檀家の皆さんが三三五五集まってきて、まさに年越しをしようとする十一時四十分頃、本堂で『般若心経』を、皆さんで唱え始めるそうです。読経が終り、ご住職から説法して頂くと新年、暫くの間少々のお酒をいただきながら談笑し、新年の午前一時過ぎには解散となります。この一年何事も無く過ごせた事に、心から感謝する為、毎年行われるとの事です。
 多くの人達は、神社に初詣をし『今年一年の家内安全・商売繁盛・大願成就』等などをお願いしに行きます。それは日本人として大切な行事であり、毎年繰り返し行われる事が、日本の伝統文化であることに間違いはありません。
 が、しかし『まず感謝があってから、お願いする』そうした些細な事に、大きな意味が有るのではないのでしょうか?
 お墓参りも同じで『ご先祖様に感謝する事で、今の自分が存在する事の大切さが見えてくる。』
 今年もよろしくお願い致します。
 
先程のNPO法人に興味が有る方は『ワンファミリー仙台』を検索して見て下さい。
2010.12.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]