第三十六話「三十年目の出発③」

 早朝からパソコンの電源を入れ、メール・ミクシィ・フェイスブック等のチェックをしていたところ、私の『ツイッター』に、自己紹介の欄に何も書いて無い人からのフォローが入っていました。「リフォローしても良いのかな?」と迷いましたが、まずはその人の『つぶやき』を読んでみることにしました。
 誰かと交わされた会話調の文章を読みつつ、春先の震災の頃まで遡ると「電気は来たが、水はまだです」などと、日付から考えても、私の住環境で起きたのと同じ様な事象が書かれています。同じ町内に住んでいる方の様です。「近所の方なら、大丈夫」と思い、私からもフォローすると共に「利府の石屋・米田です。フォロー、ありがとうございます。『りらく』も読んでください」と、返事をしました。
 その日は、小学校・中学校の併設校となる新設学校の門柱(みかげ石)の設置場所を下見する為に、午前の早い時間から秋田県湯沢市に出かけました。午後は別件で花巻市に行き、夕刻ホテルの一室でスマートフォンを通してメールのチェックをしていると、今朝ほどの『ツイッター』の方から「先日は、お墓の補修工事をして頂き、ありがとうございました。」と返事が来ていたのです。
 咄嗟に『誰?』と頭の中を検索します。何人かの顔が浮かびましたが、話の内容から多分この人だろうと思う人宛に、早速返信をしました。「お彼岸前の、とても暑い日の作業に加え、狭い傾斜地のお墓でしたので、傾きが完全には直せなかったのが心残りです、何か有りましたらお知らせください。」
 すると、「お忙しい中、お彼岸に間に合うように工事して頂きありがとうございました。お墓も確認しましたがとてもきれいに直して有りました。親族一同感謝しております。」とのご返事を頂いたのです。私にとっては、大変有り難い内容のツイッターでした。
 今は多くの場で、インターネットでの通信が使われています。仲の良い友人からの連絡も、お客さんとの仕事の確認もパソコンで出来ます。私は『お墓の図面』もパソコンの、墓石専用キャド(作図ソフト)で制作します。
『石材問屋の営業』を始めた三十年前は、FAXと言う通信機械も有りませんでした。当たり前の事ですが、パソコンも墓石キャドも有りませんでしたので、墓石の図面は全て手描きでしていました。当時、私以外に図面を制作出来る社員は居ませんでしたので、社長の鶴の一声で私専用のドラフター(高価な製図器)が購入され、社内で使われる図面を全部製作しました。ついでに会社の顧客の図面も作図しました。その図面は随分重宝された様で、私が退職した後も、しばらくの間、中国の工場への発注用に使われていたようです。
 そうした営業をしながら作図をすると言う経験が、今の私の基本となっているのも確かな事なのです。その後は、手で図面を描いたのと、現場(墓石・外柵の組立)を実践した事で、石の組み合わせや、全体のイメージが私の頭の中で、簡単に造られる様に成ったのです。
 キャドを使うようになってからは、鮮明な完成図面が、頭の中で構成できるようになりました。今回、湯沢市の小・中学校で建てた門柱も『雲の上に突き抜ける翼』をイメージしてパソコンの中で具現化したところ、湯沢の教育委員会で採用となり、先日、雪の中で設置をしてきました。その完成した姿は、図面を創った時イメージしたそのもので有り、私自身、非常に満足の出来る物に成りました。
 現在、大手の『墓石販売店』もキャドを使って作図しますが、作図している人は現場作業の経験が無い方のようです。また、今時の『墓石販売店』の中にはデザインや、作図(キャド図面製作)を中国の工場に任せているも店も有り、お客からの注文を取った後はすべてを外注先に委託して、完成後の集金だけは注文を受けた営業員がすると言う、最初と最後だけ働くと言う店も在るようです。
 時代が移れば、自ずと生活様式も、社会風土も変わって行きます。昔ながらのやり方や習慣では、いつかは時代遅れになってしまうのでしょう。『石屋』では無い、新しいタイプの『墓石販売店』それも時代の要求なのかもしれません。
 今年、あの未曾有の災害を体験した時、わたしは「この様な状態では、お墓の仕事は暫く出来ないだろう」と思いました。しかし実際には多くの墓石補修作業が仕事として入り、休む暇も無いほどでした。特に昔ながらの『石屋』が天手古舞の状態だったのも事実です。
「仕事の流れの見える職人にこそ、仕事の出来映えが解る。」そんな仕事人を目指して、日々精進して参りたいと思います。
 今年一年、よろしくお願いいたします。
2011.12.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]