第二十三話「お墓の必要性を考える時①」

『時代(とき)が必要とする時、必要とされる役割が、その人に振り当てられる。』少し前に私の知人がそんな事を話していました。その言葉を聴いて、「さて自分は?」と考えてみると、この数年は「私は石屋に成るために、在ったのだろう。」と自然に考える事が出来る自分に気が付きました。
 三十年近くも『石』と向い合っていますと色々な事があります。黙っていても石が売れる景気の好い時代も有りましたし、今年のようにお墓が建たない年も有りました。地域の違いは多少有りますが、九州を始として紀伊半島や山陰地方・東北の一部地域の漁師町では『閏年』にはお墓を建てない、『土用』の期間は墓地(土地)を触らないといった事を、今でも本気で言う地域があります。そんな年のそうした地域は、本当に殆どお墓が建たないのです。止むを得ず石屋を廃業する職人さんが出てくる年も有ったほどです。
 しかしそんな時に、敢えてお墓を建てる人も居ました。誰もお墓を建てようとしないのを見て「さあ、墓でも建てるか!」と言った具合に。そういう人はただの『へそ曲り』ではなく、どちらかと言うと、その地域の名士やお金持ちと言った部類の人でした。
 その昔エジプトのピラミッドは、国王の権力を誇示するために、国民や奴隷を総動員し、彼らを酷使することで建設されたと思われていましたが、今ではピラミッドの建設はその当時の不況対策というか、国が職場と労働を創出する為の国策だったと、考えるのが常識のようです。まあ端的に言えば「仕事が無い時に、多くの人を集め仕事をして貰おう」と言ったことだと思います。
 同じ墓建てでもそれほど大げさな事ではありませんが、少し前までは日本のお金持ちも、石職人の仕事が少ない年(時期)を選んで墓石の建立をしたのです。暇にしている腕の良い職人達に、「ゆっくりで良いから、いい仕事をするように。」と言って当時の最高の仕事をさせたのです。
 そうして見ますと一般的には、お盆・お彼岸にお墓建ては集中しますので、年間を通して考えると、今の時期に建墓を考えるのは良い事なのです。
 反対にバブルが始まる少し前頃からの数年間、お墓が飛ぶように売れた時期がありました。それは、昔ながらの『石材店、石材工業』と呼ばれる『石屋さん』から『墓石販売店』と言われる『お墓を造って建てるから、墓石製品を仕入れて売る』に『お墓屋』の業態が変化し始めた頃の事です。
関東の大手墓石販売店は、首都圏からJRの列車を仕立てて郊外の大型霊園に『お弁当付き墓地・墓石見学ツアー』を毎週のように企画しました。関西圏も大坂から神戸や京都・滋賀に向けて同様の企画で大量の家族連れを霊園に送り出したのです。
 その頃のテレビや雑誌のメディアはこぞって『墓地不足』をうたい、地方から大都市に出て来て家族持った人達を狙い撃ちにするように、墓地の購買意欲を煽り立てたのです。その挙句「はい、オハカ。」と言う墓石が多く建ちました。
そうしたメディアが今は、『散骨・樹木葬』の特集を組み『合祀墓・集団墓』の人気を、殊更の様に強調しています。
 そう言えば、私の知り合いの青年が以前こんな事を言っていました。
「最近両親が、市営霊園に有るお墓を取り払って永代使用の権利を解約した上に、隣県の樹木葬墓地を買ったようです。」と、で君はその墓地が何処か観てきたのと尋ねると、「私たちが勝手にしますから、自由にさせてね。」と親たちに言われ、詳しい場所は知らないとのことでした。
 普通ではない話なので、詳しく聞いてみると、ご両親はこの所テレビで頻繁に紹介される『自然葬』ブームにえらく感心し賛同したようで、子供達には相談もせず話を進め、樹木葬墓地を二人で見に行って契約して来たとの事でした。
「そんなに遠くは無いよ、高速で一時間ちょっとだし、山もきれいだよ。」との事。青年はびっくりして言葉も無かったようです。
「お父さん達はそれでいいかも知れないが、俺たちはどうするの?」心では思った様ですが、言葉にはならなかったようです。
 自然葬が悪い事だとは思いませんが、『亡くなった人が確かに存在したのだ。』と思える何かがないと、残された家族の喪失感は何時までも癒されないそうです。可愛がっていた犬や猫には立派なお墓を立てる時代なのに、人間の墓はもう要らないのでしょうか?
2010.10.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]