第八話「祈りを考える時代」

 先日、義父の一周忌で、岡山に帰ってきました。瀬戸内の田舎町を、ゆっくりと車で走っていると、一年前のことを思い出します。
「急な電話で」と言えば、大抵の話は始まりますが、それはいつか来ると判っている『知らせ』から始まりました。
 妻の父親は、昨年の正月に「来年の正月はここに居ないかも知れんな・・」と言いながら、仙台に帰る私たち家族にさようならを告げました。私と妻は「そんなことは無いよ。」と口にしながらも、一抹の不安はありました。
 若い頃の私は、『老い』はゆっくりと訪れるものと思っていました。しかし、今どきの八十歳は元気いっぱいで、日頃は年齢を感じさせることは有りません。その分、突然のように体の老化が表面に出てくるような気がします。妻の父親も、持病はありながらも元気に過ごしておりましたし、八十歳近くまでゴルフもしておりました。しかし、亡くなる一・二年ぐらい前から急激に体力が低下してきて、今にしてみれば「あっ!」と言う間の旅立ちだった様に感じましたし、それと同時に、準備された死のようにも思えました。
 義父がまだ若くて健康だったころ、「俺が死んだら、遺骨は猪名川(大阪府と兵庫県の境に流れている大きな川)に流してくれ」と、石屋である私に、本気とも冗談ともつかない話をしていました。
 がしかし、定年退職、その後の『阪神淡路大震災』を機に、長く生活をしていた兵庫県川西市を離れ、生まれ故郷である岡山県笠岡市に帰っていきました。
 故郷に帰って十三年、老後用には少々大きすぎる家も建て、自分で築いてきた物はほとんどを使い切るようにして逝きました。きれいなものです。体が思うように動かなくなる前には自分達の『墓』も立て、夫婦二人の『戒名』も貰いました。そのおかげで、葬儀のときは『お寺さま』は決まっているし、戒名に関するお金の心配することも無く、びっくりするくらいスムーズにことが運ばれました。
 そう言えば、私の親類縁者にはこうした『用意周到』な人が少なからず居ます。その中でも一際なのが、広島の実家の隣のおじさんです。自分が『癌』で在る事を知った次に日から、何を家族に残すことが出来るかを考え、準備し始めたそうです。そして亡くなった時はすべて、おじさんが生前に段取りしていたとおり運ばれ、終わったとの事です。その、あまりの鮮やかな『死の迎え方』に、葬儀に参列したすべての人が驚嘆したと、後日実家の兄から聞かされました。
 このような人は滅多に居ないと思いますが、「こう在れたら良いだろうな。」と、最近の私は考えています。
 では『死』とは何なのでしょう。
 霊長類学的に言うと『死』とは、人間にしか持つ事が出来ない『概念』だそうです。人以外のどの様な動物も『死』を理解していないそうです。また民俗学者は「死んだ人を考えない文化ほど貧困な文化はありません」とも言っています。そして、『死』を概念として受け止め、文化とした時から宗教が生まれ、科学が進歩し始めたのです。
 かつて『死』は、人々から忌み嫌われる物でしか有りませんでした。死者が身近な者を『かの世界』に連れて行くと想われ、そのことに対応する為、色々の宗教的・地域的作法が出来上がってきました。しかしその死者たちも、年数を経ることにより神や仏になって行くのです。
「何を馬鹿な。」とお思いかもしれませんが、そうしたことが日本の文化なのです。日常は考えることも無い『死』も、身近な人の死や、友人の死によって、否応無しに考えさせられる日は来ます。そして自分自身にも、何時の日か訪れるものなのです。
 一昔前とは違い現代では、葬儀の場面にめぐり合うことが少なくなってきています。核家族化、家族の人数が少ない、地域社会における契約講の崩壊。理由は色々と有るでしょうが、何にしろ個人が親戚友人に関わる葬儀の経験をすることが少なくなってきています。それと同時に『墓参り』と言う習慣も少なくなっているのでは無いでしょうか。
 先ほども述べましたように「死んだ人を考えない文化は、貧困な文化」としか言えません。
 もうすぐお盆です。皆さんも『墓参り』に行ってください。お墓参りをすると言う豊かな心を持っていただきたいと思います。
 ところで、この連載も八回になりました。皆さんがどのようなお気持ちでこのつたない文章を読んでいただいているのか、お伺いしたいと思います。また、葬儀やお墓についての疑問には、私なりに出来るだけお答えしたいと考えております。どの様な事でも構いませんので、「りらく」に送って下さい。お待ちしております。
2009.07.15:米田 公男:[仙台発・大人の情報誌「りらく」]