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東郷神社と乃木神社
地図ソフトが1m単位まで測れるようになったので、2016年の記事を再測定して書き直しました。 ↑上記ダウンロードよりpdfファイルを開いてご覧ください。 ※写真はWikipediaより拝借 東郷神社、宮中三殿皇霊殿、靖国神社、乃木神社、惟神会、統一教会2026.02.26 -
「伊勢神宮と東京皇居」を再調査しました !
地図ソフトが1m単位まで測れるようになったので、2017年の記事を再測定して書き直しました。 ↑上記ダウンロードボタンよりpdfファイルを開いてご覧ください。 参考サイト → 皇大神宮(伊勢神宮内宮)のイメージは明治時代に作られた2026.02.18 -
平安京 京都御所(1331~1869)
15年以上も前のことだが、貼り合わせた大きな地図で、現在の京都御所の鬼門が大朝日岳や大沼に向いていることを知り、京都に行った際に鬼門の猿が辻(囲まれた塀の東北の角)を訪ねてみたことがあった。そして、欠けている角から東北の方角を向いて写真を撮ろうとして、塀の軒下に入らせてもらった。すると、途端にけたたましい非常ベルが鳴り響いた。慌てて軒下を離れたが、備え付けてあった二つの監視カメラが動いて私を探してきた。とても恥ずかしい思いをした。きっと、京都御所は未だに大切なものを守っているのだろう。 戦国時代以降から江戸中期までの歴史にあまり興味が湧かなかったので、保留にしていたが、各都を調べてきたので調べてみることにした。 現在の京都御所の場所は、1331年に北朝初代の光厳天皇がここで即位されて以降、1869年に明治天皇が東京に移られるまでの約500年間使用されたらしい。 ※写真はじゃらんサイトより拝借 ↑上記ダウンロードよりpdfを開いてご覧ください 伊佐具神社地蔵堂、伊佐具神社、紫宸殿、横川中堂、木元神社、大朝日岳山頂三角点、赤山禅院本地堂、赤山禅院本堂、大行院(浮嶋稲荷神社社務所)、熊野神社跡、大沼浮島出島浮嶋稲荷神社 関係頁 → 東善寺瑠璃殿(新宿薬師堂)の役わり → 平安京の鬼門(怨霊早良親王) → 日本三大 宮内熊野大社と立石寺 → 平安京を護る朝日町の神々2026.02.17 -
日本の都と朝日岳信仰
出雲口伝によると、出雲王国時代の北端が朝日岳だったそうです。そして、日本の都の多くは、大朝日岳山頂(山形県朝日町)や大沼の出島(山形県朝日町)を鬼門に据えた作りになっているようです。本当の鬼はここにいたのです。こちらから各都の祭祀線にリンクいたしますのでご確認ください。 飛鳥板蓋宮 643年4月 飛鳥国 難波長柄豊崎宮 645年6月14日 前期難波宮 飛鳥宮 655年1月 近江大津宮 667年3月19日 近江国大津 飛鳥浄御原宮 672年 飛鳥国 藤原京 694年12月6日 平城京 710年3月10日 元明天皇の命により遷都 山背恭仁京 740年12月15日 山背国相楽郡 紫香楽宮 744年1月1日 近江国甲賀郡 難波京 744年 平城京 745年5月 長岡京 784年11月 平安京 794年10月22日 山背国葛野郡・愛宕郡 福原京 1180年6月26日 平安京 1180年11月11日 平安京 1331年 東京 1868年10月13日 武蔵国 ※写真は平安京第一次大極殿。奈良市観光協会サイトより抜粋2026.02.11 -
山形県立中央病院のパワースポットの位置がわかりました!
偶然見つけた四方の薬師如来様から護られている山形県立中央病院。その祭祀線がクロスする正確な位置を確認してきました。こここそが、中央病院の神聖なパワースポットです。ちょうどベンチも置いてありました。ここで病気平癒の祈りをされることをお勧めいたします。そして、四つの薬師様を巡礼されるこことも。 昨年まとめたものに追記しました → 四方の薬師如来様から護られている山形県立中央病院 ※朝日町の東善寺瑠璃殿は分かりづらく冬は雪で行けないかもしれません。「あさひまちエコミュージアム」のサイトには地図がリンクしてあります。 → こちら 参考頁 → 東善寺瑠璃殿(新宿薬師堂)の役わり ※中央病院の写真はサイト「東北の関西人」さんより拝借2026.02.07 -
お問い合わせありがとうございます
お問い合わせやご評価をいただきありがとうございます。大変励みになります。 ただ、危ない内容を伴っておりますので、素性は明かしておりません。 (特に明治~現代の祭祀線の大部分は当面非公開にしております) メールでのやりとりもいたしておりません。 何卒、ご理解いただけいただけましたら幸いです。 現在は大朝日岳と出雲のつながりを調査中です。 知らない土地なこともあり時間がかかっておりますが、どうぞお楽しみになさっていてください。2026.02.06 -
難波宮(645~654)
謹賀新年 飛鳥宮の位置がよくわからなかったので、わかりやすい難波宮を調べてみた。ここは15年ほど前に訪ねたことがある。はたして、大朝日岳・大沼とはつながっているのだろうか。 蘇我入鹿は乙巳の変において中大兄皇子、中臣鎌子らにより討たれ蘇我氏は滅んだ。天皇制の始まり、元号の始まりである大化の改新とよばれる革新政治が始まった。 ↑上記ダウロードボタンよりご覧ください。 難波宮大極殿、戸隠神社九頭龍社、大沼浮島、二子塚古墳、臨泉山聴信寺、 飛騨総社、大朝日岳山頂(三角点)2026.01.01 -
近江大津宮(667~672)
いつから大朝日岳や大沼浮島は鬼と恐れられ鬼門に据えられたのか… あるいは単純に自然聖地から神気を引くためだけのしくみなのだろうか… いよいよ中臣鎌足とともに大化の改新を起こした中大兄皇子が天智天皇となった大津宮の鬼門を調べてみる。役の小角が開山する前なので朝日岳信仰はまだ存在しなかった時代となる。 ↑上記ダウンロードからpdfを開いてご覧ください。 大津宮内裏正殿跡 、飛騨 千光寺(岐阜県高山市) 、大沼浮島(出島) → 位山2025.12.17 -
飛鳥浄御原宮(672~694年)
いよいよ壬申の乱で弘文天皇(大友皇子)を滅ぼした天武天皇(大海人皇子)の飛鳥浄御原宮が気になった。白鵬文化の時代であり、八色の姓で氏姓制度を再編し、飛鳥浄御原令の制定、新しい都(藤原京)の造営、古事記と日本書紀の編纂を命じ、「天皇」を称号とし、「日本」を国号とした。初めての陰陽寮と占星台を設置したのも大変興味深い。 役の小角の動きも気になる。672年の壬申の乱において役の小角は吉野勢を率いて大海人皇子に加勢し勝利をもたらしている。私が長年書き加えてきた歴史年表には、その前年の白鵬元年671年に山形に来たと書いてある(出辞不明)。はたして何をしに来たのか?そして白鵬8年(679)に朝日岳を、翌年には大沼浮島を開いた。飛鳥浄御原宮遷都の7~8年後に朝日岳・大沼を開いたので、祭祀線はまだ繋がっていないのではないだろうか。 上記↑ダウンロードボタンよりpdfファイルを開いてご覧ください。 エビノコ郭跡、脇本遺跡(雄略天皇泊瀬朝倉宮推定地)、春日神社本殿 、石部神社本殿、大沼浮島 出島、上宮寺跡、大朝日岳2025.12.14 -
藤原京大極殿(694~710年)
平城京の前の藤原京(694~710年)が気になってきた。造った持統天皇は女性天皇。かなりの実力者だったらしい。役の小角が朝日岳を開いた白鵬8年(679)、大沼を開いた白鵬9年(680)のおよそ15年後のこと。和銅元年(708)最上川より南の地域に越後国出羽郡を新設し出羽柵が置かれた。大沼や大朝日岳のある朝日町も出羽郡となる。 この短い藤原京時代の間に、大沼の別当寺の大行院は持統10年(696)に朝日権現堂を再興し、和銅2年(709)には朝日山箕輪において大宿を立て極楽寺と号すとある。もうすでに大沼大行院は朝廷の後ろ盾があったということだろうか。 持統13年(699)に役の小角が伊豆大島に流され、2年後の701年に赦されたが同年に入寂している。出雲族出身の役の小角に何があったのだろう。和銅年間(708~14年)には信越地方より、山形県内陸部に多くの移住があった。そして和銅3年(710年)に平城京遷都。翌4年(711)年には興福寺創建。秦氏が伏見に稲荷神社を創建し、いよいよ奈良時代が始まった。さっそく祭祀線を探してみた。 上記↑ダウンロードボタンよりご覧ください 葛木御歳神社、藤原宮大極殿 、大沼浮島(出島)、妻の杜神社 中社、阿弥陀寺 、岩倉大師堂、琴弾原白鳥陵、掖上鑵子塚古墳、藤原宮大極殿跡、津島神社、大朝日岳、久米寺大塔礎石、藤原宮大極殿、湯殿山神社ご神体岩、本薬師寺金堂跡、木殿神社、稲荷社(飛騨) ※写真は「 なら旅ネット 」様より拝借2025.12.03 - ...続きを見る