飛鳥浄御原宮(672~694年)
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いよいよ壬申の乱で弘文天皇(大友皇子)を滅ぼした天武天皇(大海人皇子)の飛鳥浄御原宮が気になった。白鵬文化の時代であり、八色の姓で氏姓制度を再編し、飛鳥浄御原令の制定、新しい都(藤原京)の造営、古事記と日本書紀の編纂を命じ、「天皇」を称号とし、「日本」を国号とした。初めての陰陽寮と占星台を設置したのも大変興味深い。
役の小角の動きも気になる。672年の壬申の乱において役の小角は吉野勢を率いて大海人皇子に加勢し勝利をもたらしている。私が長年書き加えてきた歴史年表には、その前年の白鵬元年671年に山形に来たと書いてある(出辞不明)。はたして何をしに来たのか?そして白鵬8年(679)に朝日岳を、翌年には大沼浮島を開いた。飛鳥浄御原宮遷都の7~8年後に朝日岳・大沼を開いたので、祭祀線はまだ繋がっていないのではないだろうか。
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エビノコ郭跡、脇本遺跡(雄略天皇泊瀬朝倉宮推定地)、春日神社本殿 、石部神社本殿、大沼浮島 出島、上宮寺跡、大朝日岳
2025.12.14:sikumi:[古墳~飛鳥時代]

