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西高玉獅子頭進捗2
4月に入り気温が上がって来ると、杉花粉量も増加し目の痒みと鼻詰りが強くなってきた。 毎年の恒例の症状であるが桜が散ると治ってくるので、暫しの我慢である。 昨年12月4日に清水町の原野に残されていた大柳が伐倒され、直ぐに運搬し制作を開始した。 根元から総宮型獅子頭の頭部を7頭を荒彫りし、歌丸型2、畔藤熊野型2、西高玉昼2、西高玉夜1、 西高玉昼小獅子、平山熊野の高橋小兵衛型1を制作している。生木で制作をすると作業効率が良い事が 分かる。 4月1日より手こずっていた西高玉昼祭りの獅子制作を一旦休止し、巨大な夜祭りの獅子の制作に入った。 荒彫りの夜獅子は獅子宿の玄関で乾燥中だったが、工房までに移動するのも腰を心配するくらい重い。 やっとテーブルに乗せると、まずは内部を薄く彫り込んで軽くする。 まだ生木の状態でノミ痕からジワッと樹液が湧いてくる。 夜獅子の耳と舌を制作したら一旦、別の獅子の制作を手掛けなければならない。 本日桐材で耳を制作 軽量化の為モデルの獅子の耳はなんと5mm厚に彫り込んでいる2024.04.05 -
西高玉の獅子頭制作進捗
まずは皮はぎ 下書きをして木取り 再び、西高玉の稲荷神社一対の獅子頭制作に入って1ヶ月経過し、二頭共に乾燥が進んできた。 昼獅子と呼ばれる長谷部吉之助作の獅子木地は12.8kgまで軽くなったので自宅に持ち帰り眺めて いる。 生木の時期は切れ目を入れ、ハツると簡単に割れる 11日天候が良かったので外で昼獅子の二作目制作を始めた。二作目になると前回より制作が早く 経験の蓄積と反復で落ち着いて制作が出来る。一作目の倍の速さで進んでいく様だ。 そして、昼獅子二頭分の顎の木取りも行った。 夜獅子の顎は長大で頭部用の材を選定している。 二作目の大型の夜獅子に相応しい木地は残っているのだが、まだ制作する気構えが湧いてこないのだ。 内部を削り室内にやっと移動 一作目をモデルに彫り進める 13日 雛形となる本物の獅子頭を側に置いて制作できる機会は貴重であるから、恐らく夜獅子二作目に挑戦 する事だろう。 お借り出来る期限まで1ヶ月あるので何とかなると考えると、必ず何とかしてきた。 畔藤熊野二作目頭部と平山熊野の習作 畔藤熊野二作目 白鷹町畔藤の熊野神社の二作目頭部も昨年12月伐倒の柳で制作したが、顎の木地は赤太の部分が多く 今の所一作目の顎を使用する事にしている。 平山熊野神社所蔵の高橋小兵衛作の獅子頭写真をモデルに習作 人生と獅子を刻みながら時が静かに流れている。2024.03.14 -
西高玉の獅子頭制作再び
2007年に白鷹町西高玉の稲荷神社の一対の獅子頭を制作している。 その当時私は49歳だった。 16年前の夜獅子制作 同じく昼獅子 歯と唇とあごに補強板が埋め込まれている あれから16年を経て、再びあの獅子頭一対の制作をするとは最近まで想像だにしなかった。 当時、一生に一度の大仕事と奮起した覚えがあり、人生何が起きるか本当に判らないものだ。 とにかく両方、作るのが難しい。 夜獅子の木取り この塊から獅子に生まれ変わる 昼獅子の木取り 丸太からギリギリの大きさ 総宮神社型とは別の難しさや複雑さ巨大さがあり、それだけに彫るのが大変だが実に面白い獅 子頭で没頭せざるを得ない。 しかし一度彫っているのだから初見とは違う、奥深い造形を見い出す事ができるのだろうか。 夜獅子頭部と木取り材 鋭い彫り込み 昼獅子頭部 強烈な目力 夜祭に出す獅子は明治21年と記名が残っているが何故か作者の記名は残されていない。 西高玉瑞竜院の社殿彫刻にその超越した腕前を残した菅原鹿蔵の作と推測している。 昼獅子の荒彫り初期 昼祭りの獅子は記名は無いが明治25年頃、一本の木から三頭彫ったといわれる勧進代の 長谷部吉之助と伝えられている。 長谷部獅子は越後村上出身の菅原鹿蔵の超絶技巧獅子と比べ彫りは浅いが、迫力の表情 は威圧されるようである。また、その恐ろしげな表情は北陸加賀の獅子の様式である。 昼獅子内部のえぐりで減量し、ようやく動かせる 長谷部が旅の途中で加賀に逗留し獅子頭の技能を修得したのだろう。その帰り越後村上で 菅原に出会い、お互い置賜で腕を奮ったとも考えられる。 菅原、長谷部両者は共に十王の竜沢寺の彫刻を制作し面識があった逸話があり、この一対 の獅子頭を眺めていると、両者が腕を競い切磋琢磨して仕上げた趣が伝わってくる。 夜獅子の初期 大まかに形を整えてゆく 12月に伐倒した柳の大材があったが、実際木取りして寸法を図るとギリギリの大きさ だった。昼獅子の方は木取りした大材には足りず丸太から3分の2を使い芯が歯に残っが、 後で、その部分は取り除きFRP(強化プラスチック)で補強してしまう予定だ。 幸い積雪が少なく2月13・14日と夜獅子の大材の柳を割り木取りし、17・18日は昼獅子の 丸太を木取りし移動可能な重さにする為、内部を彫って減量した。19日から1週間かけて昼 獅子の頭部の荒彫りを行い、29日は休み、1日から夜獅子に取り掛かかり5日までには荒彫り も大分進んできた。生木の湿った状態で細部を彫るともろいので、一旦乾燥させて強度が増 してから彫り進めるが、特に内部は彫過ぎに注意する事に留意している。2024.03.07 -
先月27日の納品の事
先月2月27日に勧進代總宮神社の新しい獅子頭を無事納品させていただいた。 新しい化粧廻しや太鼓の修理は、既に納品し、地区長さんや神社役員、獅子振りの方々も 肩の荷が下りて一安心という所だろう。窓口の長井市の担当職員の方々にも大変お世話に なっている。 彫師としては漆塗りが一番の心配材料。どう仕上がるか、期限内に間に合うかが経験上、 胃の痛い所だった。塗師の江口漆工房さんにも大変なご苦労をおかけした。 化粧廻しの納品 見事な刺繍と力綱に新しく生まれ変わった小櫻の廻し 新しい獅子は文政元年に地元勧進代の遠藤森助の作と伝えられている。 この近辺では最上級の難易度の獅子頭である。この獅子を彫らずば獅子彫を全うできぬとば かりの意気込みでの制作だった。その為に試作を制作して万全に備た訳である。 前にも記したがこの制作では、手本にする神社の獅子頭は一切、門外不出と定められ隣に置 いて獅子彫りすることは出来ないという条件だった。 前の獅子頭は勧進代の鈴木康之氏の作で同所の方にも貸し出さなかったという。この「掟」が 神社の伝統だとすれば明治25年ごろ制作された同所の長谷部吉之助の獅子も森助獅子を参考に する事もなく制作されたと推測される。 写真やパソコンがある現代では、森助獅子の資料は容易に準備することが出来たが、とにかく 難しい獅子頭だった印象が残っている。 技術的にも勉強になった事は勿論、再び西高玉の一対の獅子頭を制作する縁を結びつけてくれた。 現在、一対の獅子の頭部を制作中である。2024.03.07 -
タテガミ植毛完了
ヤクの毛を束ね毛穴に取り付けバランスを見ながら毛束一本の量を微調整している 新しい獅子頭のタテガミの植毛が完了した。 手本にした森助獅子の毛穴の同じ位置と数量をだが、特に頬の部分に多いのが特徴。 なんと両方で20箇所もあるのでバランスを見て、頭部に10箇所増毛する。 タテガミを取り付ける前と後では、獅子頭が随分大きく見える。白い前髪のタテガミから覗く鋭い眼光 は獅子の獣感を効果的に発揮している。 眼の輪の位置も若干八方睨みの位置に指定したが、絶妙な位置に描いてもらった。 飴色の透き漆の色合いも徐々に透明度が増すらしいので、瞳孔の赤や金の部分が映えてくるだろう。 巻毛眉をモデルの獅子の眉より大きく作っている。 タテガミが低い方に寄り高い巻毛の金箔が現れ見えてくるのだ。タテガミの位置の変化や獅子頭の 角度の違いで形が変化し見ていても飽きない。気がつくと獅子頭に目が引き寄せられる。 タテガミが植えられ獅子は魔力を身に付けたのかもしれない。2024.02.24 - ...続きを見る