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一対の小振りの獅子頭
コレクションの豪華な黄金の獅子頭と同じ様式と思われる獅子頭一対が入荷した。 一見黒ずんだ茶色の様だが、銀箔が酸化して渋い色に変化している。 耳や目、歯、宝珠や角は金箔と思われる。 黄金の獅子 造りは、関東に多く見られる神輿と共に行列に加わる、大型の飾り獅子である。 獅子頭本体のサイズは高さ10cm、幅16cm、奥行き13cmと小振りながら精度の高い 獅子である。小振りの獅子ほど仕上げに手間がかかり、彫刻や塗りに緻密な技術が問 われるサイズでもある。タテガミは麻か青苧系の植物繊維である。 幕を取り付けていた竹釘があり、わずかにその繊維が付着しているが、幕についての 情報は得られない。現在の石岡型の獅子は頭部が大きく眉やもみあげの巻毛の装飾が 複雑だが、おそらく明治以前の茨城系の獅子頭は、こういうスタイルだったのだろうと 推測している。 小振りの獅子一対に取り付ける為に早速、青と紺のツートンカラーの生地を発注し届く のを待っている。2025.04.01 -
黒獅子の木地制作
制作途中だった總宮型の獅子木地制作を再開した。 木地が乾燥の際に変形する場合があり、放置し乾燥を促す。案の定、歯の輪郭ラ インが5mmずれ、きつくなった軸棒穴を修正し輪郭ラインを彫り直して整えた。 同時に同じ柳から彫り出した四頭の獅子木地だが、ほとんど変形しない木地もあ り材の部位の性格も様々だ。この木地はとある神社の二作目の獅子に仕上がる予 定で、一作目より軽量化なるように依頼されている。大抵は神社総代の御大が関 わり獅子の重さについてのリクエストは無い事が多いが、実際に獅子を振る若い 衆が関わると細部まで検討の余地が入る。總宮型の黒獅子のデザインといっても 様々有る。獅子の作者によってこだわりや癖があり「高橋小兵衛風の裏の彫り込 み」とか「竹田吉四郎風の耳」、「梅津弥兵衛風の目」とかのオーダーが話に出 ると「おっ!この方は獅子頭をかなり勉強してる御仁だ」となる。最近、年配の方 よりネット情報に長けた比較的若い年代に多い。こちらのブログのレアな獅子の 情報源にもなっているのだろう。 獅子木地は一昨年末に清水町から出た柳で良い状態で、かなり乾燥が進んでいる。 軽量化の為、横に計量秤を置いて制作するが「獅子の内部の彫り込み」が重さを 左右するので重要だ。軸棒は重いが堅牢な樫材を使用し、耳や舌は軽い桐材で作り FRP(強化プラスチック)で補強する。FRP補強は獅子の内外部の鼻や歯、破損し やすい部分に施工し、さらにそのガラス繊維の上に薄い麻布を貼り付け覆う。FRP 補強工法のない時代は、せいぜい漆で麻布を着せる補強が主流だった。獅子頭に FRP補強をすると200gから300gの加重で済み効果的と考えている。 これから仕上げる獅子頭にFRP補強の工程に入る。 かなりハードでタフな使用が予想される神社の獅子舞なので気を抜けない。一作目 の獅子は大雨の中でデビューし軸棒が水を吸って膨張し口の開閉に支障を来たした。 また、上の軸棒が折れ応急処置し取り替えた軸棒が再度折れるというトラブルもあり 自作の木工旋盤加工したイタヤカエデ材の使用を廃止し、樫材に変更した経験もある。 上下の歯を強烈に打ち合わせる「歯打ち」は總宮型の獅子舞にとって無くてはならない 所作だが大抵、破損箇所は上下の前歯である。やはりこの神社の獅子も上の前歯の下地 が破損し、FRP修理で初めて「カーボンファイバー」を使用した。 一晩に何回歯打ちをするかのデーターを一度でも調査する価値がある。 例えば歯打ちセンサーの装置を開発し獅子頭に取り付ける方法もあるだろう。 漆の下地の骨材にガラス繊維を混ぜて強度を増すような工夫も検討している。 また珍しいオーダーも依頼されている。本来は破損した舌の根元周辺を補強するための 棒状の補強で、總宮神社の明治江戸期の獅子の修復に使われている工法だ。注がれたお神 酒を流すドレイン穴を開けている。舌自体は後付けしたものでFRPで固定し念には念をい れボルトでしっかり固定する。2025.02.20 -
三獅子と三面と天狗の仕上がり
三頭の獅子と三人の面(三天王)と鳥兜(とりかぶと)を被った天狗面(禰宜)の制作がようやく 完成した。 三獅子と三天王はそれぞれ親と子の関係、獅子も三天王も親がいて三天王の赤い面のうち赤い髪が 親だという。禰宜は動画をみると、こちらの獅子舞同様の先導役の神だろう。 艶のある藍色のタテガミ 試着 獅子は木型を作り和紙を貼り重ね張子にし、竹で踊り子の頭部が収まる籠を作り、FRPで補強し漆 を塗って金箔を施した。顔隠しの麻布を染め獅子に取り付けし、頭部には七光する鶏の黒羽を付け、 青苧の繊維を藍色に染めて布地に取り付けタテガミに整えた。 三天王の脳天には銀の円盤・・月天?と金の角?を取り付け 朱色の長髪 角が勇ましさをアップする 三天王は桐で彫刻し漆を塗り、青苧の髪を取り付けるザルを竹で作り、獅子と同様に青苧を藍と朱 に染め長い髪を作り、顎紐など取り付け踊り子の頭部に固定できる様にした。 鳥兜はメタリックな生地を使用 面の眉やひげは白ヤク毛 頭部が安定する様に笠の五徳を取り付ける 禰宜の面も桐材で彫刻し、加熱すると固まる樹脂の布製の芯を縫製し、金銀の布地を圧着し鳥兜を 作り禰宜の面を取り付けた。 これらの制作は多くの伝統的手工芸の方々の分業による手技の集大成なるものである。 振り返ってみると竹工芸、木工芸、染工芸、張子工芸、漆工芸、和洋裁の技術者を探し出し、取り纏 めることは今後ますます難しいだろう。初見の手本の獅子や面の素材を分析し、どうやって制作した のかを推測し、制作のノウハウを試行錯誤して組み立てていく制作は黒獅子の獅子頭制作とは違う面 白さを体験した。もし獅子幕のミシン縫製の技術や、獅子頭を幕に取り付けるノウハウ等がなかったら 制作はさらに困難を極めただろう。手業は身を助く・・またノウハウやマニュアルの引き出しがグンと 増えてグレードアップした様な気分になっている。2025.02.14 -
歌丸の獅子 豪雪の最中に産声
長井市歌丸地区金鐘寺に伝わる獅子をモデルに制作した獅子頭がようやく仕上がった。 塗りは江口漆工房の作。 タテガミ取り付け前の獅子の写真は貴重 漆の硬化は一定の温度と湿度が必要で、今の様な厳冬期にはその調整が難しいと聞く。 漆は完全に硬化するまで時間がかかる事が分かるのは、私の両手に現れる肘にかけての漆マケ が物語る。命に関わるアレルギーでは無さそうなので2週間の我慢である。 これは歌丸の獅子の漆マケではなく長野の三獅子の加工の際のものだろう。 漆が塗り上がり金箔を押し、少し養生してから塗師から彫師へ引き渡される。 白馬毛のタテガミを植える前に、獅子の金箔部にウレタンの保護剤を塗布しなければならない。 硬化間も無い塗面や金箔は、ちょっとした摩擦で傷が現れるのだ。 透明な保護剤は気をつけないと垂れたり塗り残しがで台無しになるので照明を増やすが、黒と金 の強いコントラストで判別が難しい。 保護剤が硬化すると獅子の毛穴に束にし整えた白馬毛を植える。 60本ほどの毛穴は黒獅子系としては少ない方で、成田や五十川型の黒獅子はその倍の束を必要とする。 毛量は植え過ぎも節約するのも良くなく、やはり程々が最適。それも経験で会得するしかない。 またモデルにした獅子頭の毛穴を見れば分かる事である。 最近、ヘアーアイロンを使って白馬毛の癖を調整する事を覚えた。前後するが毛穴の植え方、固定の仕 方にもコツがあり、毛量の見栄えを左右する。 歌丸の獅子の軸棒は、成田五十川型や白鷹鮎貝系の様に横ずれ防止になるコブがなく棒状で、栓で固定 しないと口の開閉などで横ズレし、頭部と顎が外れてしまう事態となる。 軸棒に穴を開け、細い竹で栓になるピンを挿し横ずれ防止とするが時に栓は抜け落ちるトラブルが多く、 今回は穴を開け細いが丈夫な紐を堅く巻いて横ズレ止めとした。 完成した獅子頭を机に乗せ眺める。 角度や高さを変えたり、違った位置から照明を当てて凝視する。 すると獅子が、ポツリポツリと批評を語りはじめる。2025.02.11 -
今季最強?ドカ雪グダグダ話
今季最大の大雪のため獅子宿燻亭は2月4日水曜日からやむ無く臨時休業と相なった。 予報通り朝から雪の降り方の勢いが違う・・BSのNHKの朝ドラ再放送も観れない。 久しぶりのドカ雪で獅子宿の除雪どころか、車で伊佐沢にたどり着くのも難儀した。幹線道 路の除雪が積雪の量に追いつかない状態だった。車同士もすれ違い出来ず、獅子宿の駐車ス ペースを除雪するための路上駐車もままならない。 路肩にハザードランプを点灯して駐車し、ひざ上までの積雪に驚きながら軒下の除雪機置き 場にたどり着くが、高齢の除雪機のバッテリーは寒気で上がり凍死していた。スイッチをひ ねってもウンともスンとも言わぬ、あの絶望感は吹雪と相まって久々のカオス感満載だ。 有無を言わず、新しいバッテリーを買って交換しホワイトアウト中の駐車場の除雪を再開し た。 気温が上がらず、室内で暖房をストップしたせいか屋根の大量の雪がなかなか落下しない。 取り敢えず駐車場の除雪を敢行し、その日は早々退散した。 翌日、午後から少し陽がさして西側を残しほぼ落下した。西側の屋根の雪がナデコケ無い事 の理由の心当たりがある。大屋根の下にある勾配の無い下屋のトタン屋根の塗装が錆びたた め雪が滑り難くなっているのだ。メンテナンス不足を痛感する。 ようやく本日、月曜日営業を再開した。 約1週間弱激しい積雪との戦いから屋根から落ちた雪の山や壁を除雪機で削る作業に向かった。 落下した雪は圧縮されて実に重い、除雪機も雪の硬さに負けて進まないので雪を引っ掻く部分 「オーガ」を迫り上げてはバックする作戦で雪を吹き飛ばす。お隣の敷地も意識しながら微妙な 操作が要求される。 午後から日差しで気温が少し上がり、懸案の西側の屋根の雪も一気に大崩落し一安心した。 溜まりに溜まった雪の圧で軒先からミシミシと呻きながら迫り出しきた。 無防備に下に居て落雪したら間違いなく死亡事故の予感して下には近寄れなかった。 以前、大雪で東側の茅葺屋根が積雪の重みでカヤ屋根ごと大崩落した痛い経験が常に頭の片隅に 突き刺さったままでいる。厳冬期カヤ屋根はトタン屋根の様に雪が落下しない。比較的少雪で放 置していて3月になり気温が上がってくる午後、一気に大雪崩でカヤごと落下する現象が恐ろしい。 ぽっかり穴が開いて暗い屋根裏に絶望の光が刺す。 雪下ろしは寒気でカヤ屋根と積雪が、しっかりくっ付いて凍結した頃合いに、屋根に登って雪下ろ し作業をしなくてはならない。しかし雪下ろしは、ある程度屋根に積雪しないと急勾配の屋根には 危険で登れない。雪を踏み固めながら足場をスコップで階段状の足場を確保する事を覚えた。 雪下ろしの時期をある程度の経験で見計らって屋根に登らなければならないのだ。 特に屋根の北側には1m以上積もって雪原の様相が的期。 これを一人で雪下ろしするには覚悟が必要だ。 まず雪下ろしは西側屋根から始める。 1日かけて西と下屋を下ろし北側に移る。こちらは3日もかかっただろうか? 北側の屋根雪原は、まず最初に軒下から長い柄のつけた雪べらを使って削る。足場は軒下上2mぐらい 上に確保し軒際を雪べらで突っつきカヤ屋根と積雪の境界を確認する。大抵、雪庇状態になっているの で危険極まらない。 軒の境界の雪を落とし平らな滑走面を作り、上部の雪を突き凍結した最下層を滑らす様に1平米立方体状 にカットした雪のブロックを滑り落としていく。 ザクっザクっと四方に雪べらを差し込んで大量に滑らすと喜びが大きい。それを糧に継続できた。 これは屋根の急勾配を利とし活かしたカヤ屋根の雪下ろし法ではないかと思う。 危険を背負いハラハラしながらの雪下ろしをしていると自然と身に付くもので、いかに危険リスクを 回避し雪の重力を利用し楽をするかという備わった人間の本能なのだろう。北側屋根の半分ほどになると 落雪で地面の雪が繋がり、ちょっとした狭いスキー場に見えてくる。リフトがあれば尻スコップで滑走し たい欲求が湧き出る。 しだいに高所にいる恐怖心が麻痺してくるものだ。 まだカヤ屋根の時は、囲炉裏で薪を焚いて燻蒸して屋根を保全していた。屋根の最上部の棟の雪にはカヤを 透過した煤が雪を黒く染め燻蒸の効果を証明していた。 東側の屋根に入ると雪の様相は変化しカヤ屋根との境界はザラメ状と化し、足場は何時崩壊するとも言えな い状況になった。しかし雪の量は北側より湿って重たい感覚である。屋根の角は西から吹き荒れる吹雪で積 雪が押され更に堆積する様だ。これもカヤ屋根崩壊した要因だったのだろう。この辺に来ると体力も落ち疲 労困憊だが、高所からのモノクロの雪景色に癒される。ようやく南側斜面に入ると雪は更に溶解し、その表 情を変貌させる。カヤ屋根期に南側を雪下ろししたのは記憶によると二回。一回は途中で回避している。 あの頃はカヤ屋根の雪下ろしが新鮮な体験で獅子宿に残されていた菅の笠の被り蓑(ミノ)を羽織って雪下ろ ししたものである。 昔の雪下ろしはもう体験出来ない。良いのか悪いのか・・。はて? あの雪べらは何処に消えたのだろう。2025.02.10 - ...続きを見る