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黄金の獅子頭入荷
豪華絢爛 黄金の獅子頭が入荷した。 昨夜からその荘厳な姿に目が釘付けになっている。 目に馴染むまでしばらく時間がかかるだろう2024.11.23 -
玄関に新作邪鬼面
邪鬼の面を制作した。 数年前に彫り、思い出しては塗り、また思い出して先日仕上げた邪鬼の面である。 どこに設置しようかと迷った挙句、玄関に置いて邪鬼には外から訪れる悪い邪鬼 を払ってもらおうという事になった。 獅子宿の玄関に入り、振り返って見上げると眺めることができる。 または帰り際の玄関で、そういえばと思い出して見上げていただければ目に入る だろう。 この邪鬼面のモデルはコレクションの鍾馗(しょうき)像の邪鬼である。 邪鬼は鍾馗様に懲らしめられ改心したと合掌して命乞いする姿が、実にユーモラス に富んで可愛い。 上向いたマナコや木葉型のギザギザ眉は成田や五十川の獅子頭の形にも通じている。 その改心した緑の邪鬼を赤くして制作してみた。 そもそも獅子舞の猛々しい獅子も、そういう設定として存在しているのだろう。 これから獅子宿の玄関口を守る主として目を光らせて欲しい。2024.11.20 -
押入れを獅子頭展示に改装
いよいよ広い獅子宿燻亭の獅子頭展示スペースも手狭になり、押入れに白羽の矢が 立った。すぐに押入れ内部の使っていない食器や機材を片付け、獅子幕を広げると 丁度良い展示スペースに早変わりとなった。 新設押入れ展示スペース獅子頭コレクション最古である「天明元年(1871)宮村 高橋小兵衛の作」と推測される総宮型の獅子頭を特別公開している。今回この為に アクリルケースを特注し展示の運びとなった。 是非、天明の獅子を鑑賞しながら新蕎麦を味わって戴きたいものである。 最近は押入れより、クローゼットと称する傾向になって毎朝布団を押入れに片付ける事も ベットの普及で少なくなっている。私が小学生の頃は押入れに布団を敷いてベット代わり にして寝ていた。無垢の板壁に仏像など落書きをしたりして、自分が占有する蛹のような 唯一の世界だったが、いつしか成長につれ収まりきれず、ベットに羽ばたいた訳である。 展示スペース増設のため、久しぶりに押入れに入ったが狭く薄暗い空間は齢65を越えると 棺桶に入ったかの如くで居心地が悪い。 まぁ、おしっ様達は狭い所は慣れている事と思うのだがどうだろう。2024.11.19 -
赤湯八幡神社の白檀塗りの獅子頭
金泥に「透(すき)」(飴色のクリアー)を塗りタテガミを植えて完成 透(飴色のクリアー)を塗る前 赤湯の烏帽子山八幡神社の獅子頭をモデルにして獅子頭を制作中である。二回り小振 りの獅子頭に仕上がる予定である。 現在八幡神社には大型の獅子頭が二頭あるが、神社火災消失前には江戸期高畠金原の 原田弥市の作の獅子頭が所蔵されていたと言う記録があった。 赤湯八幡神社の明治の獅子頭 (獅子宿燻亭9 置賜の大獅子2) https://ssl.samidare.jp/note/?p=detail&l=511804&tl=&lo=&op=&c=&off=&kw= (獅子宿燻亭7 弥市の植えた椿) https://ssl.samidare.jp/note/?p=detail&l=449468&tl=&lo=&op=&c=&off=&kw= 弥市の制作した獅子頭は初代の獅子頭かどうかも不明であり、現在は写真もなく手掛かり は無いが、獅子舞の様式から考えると現存する獅子同様の大型の獅子だったのだろう。 さて、獅子頭はとあるご縁で個人の方からの依頼で、赤湯の八幡様の明治六年 谷 直隆の 獅子頭を手本に小振りの獅子頭を制作した。獅子頭の塗りが特殊な塗りで「白檀塗り」 である。2代目の平成16年の作は秋田川連の佐藤克之の作は明治の作とは違い、形も塗り もまた別の作風と漆芸技法だった。 宮内熊野神社初代の獅子頭 目尻や鼻先辺りに薄っすら箔が見える (国指定文化財サイトの写真引用) 宮内熊野神社の初代の獅子頭は、一見漆黒に見えるが白檀塗りで、何回も塗り重ねによっ て銀箔及び金箔が見えにくくなっている。芸工大で二作目を制作したが、その事は認識さ れないまま黒に塗られてしまったのは残念である。 二井宿大社神社の白檀塗りの獅子頭 以前取材した、高畠町二井宿大社(おおやしろ)神社の獅子頭は見事な白檀塗りで幕末米 沢の仏師 桂八郎の作ではないだろうか。二井宿と原田弥市の住む金原新田とは山一つ越え た集落で時代も同時期である。二井宿大社神社の白檀塗りの獅子を見て、弥市が白檀塗り の赤湯八幡神社の獅子を納め、その後焼失したが、白檀塗りは再興された明治六年の獅子 に繋がったのではないか? また二井宿大社の獅子は宮内熊野神社の獅子頭の白檀塗りに影響されたとも考えられる。 桂八郎は宮内熊野所蔵の白木の獅子頭を制作していると推測されるからである。 大幕の中央に大型の獅子頭を取り付け練り歩く赤湯烏帽子山八幡神社の獅子舞と同様の様 式の獅子舞といえば、高畠町深沼の八坂神社の大正期の獅子頭も白檀塗りである。地元の 漆職人が手掛けている。箔の置き方もそれぞれ個性が見られる。 白檀塗りは銀箔や金箔、銀泥や金泥、金銀のフレークを貼り、その上塗りに飴色の透明な 透き漆を塗って仕上げる。その金銀の反射が独特の輝きを発する。 比較的金箔より安価な銀箔の上に塗る透き漆によって金箔に見せる技法もあり、関東の大 型の金獅子はこの技法を使ってコストを抑える獅子頭もあるというが判別が難しい程だ。 今回、初めて試験的にこの技法の効果を見る為に、金泥とカシュー塗料の「透」を使って 再現してみた。本年3月に納品した勧進代總宮神社の森助獅子の眼も漆工の白檀塗りの一 種である。2024.11.18 -
鍋屋さんの獅子頭
長井市十日町の金物店「鍋屋」は苔むす趣のある茅葺き屋根の古民家でもある。 その茅葺き屋根の維持も現在では茅葺き職人も減少し、茅葺き文化は絶滅直前で ある。 その鈴木家に伝わる獅子頭と太鼓に遭遇した。 遭遇したと言ってもたまたま近くに居て、「鍋屋の獅子頭と太鼓が店の前に有る」 と言う情報が入り駆けつけた次第で有る。私にはそんなレアな獅子情報が集まる アンテナがあるのだ。 獅子頭と太鼓は子供用の小振りのサイズで太鼓には太鼓を背負う台がついている。 太鼓台は修験者が仏像や楽器を背負う為の「笈=おい」の形であり、長井の獅子舞 の際に太鼓を移動するための伝統的な道具である。西置賜では長井市、飯豊町や白 鷹町の総宮神社系の獅子舞の一部で使われるが、足に車輪が付いたりリヤカーに乗 せたりと変化している。私の子供の頃は、ごっついオジサンが太鼓台を背負って獅 子舞の前を歩んでいた。現代になり、その労苦を惜しんで便利な道具を工夫して楽に 目的遂行する様になった。斯く言う私も太鼓台に車輪を付けて合理的だと喜んでいた が、歳をとるにつれ従来の背負う形に戻すべきではないかと考える様になった。 さて鍋屋さんの獅子頭内部には微妙な記名が残されていた。 四角に七の屋号があり、 鈴木虎雄 昭和7年 求 明治卅年(明治30年) 獅子頭の作者の記名は無く、作風を見ると竹田吉四郎の作である。総宮神社所蔵の 獅子頭に昭和三年の竹田吉四郎の獅子頭が奉納されているので虎雄少年の父と何か 関係性があったのではないだろうか。 現在の当主の奥さんの話では鈴木虎雄氏は旦那さんの父で、大正15年生まれ(寅年) で昭和7年だと7歳であり持ち主としては丁度良い年頃である。 太鼓台にも記名があり 明治四十年八月吉日 長井町宮 屋号ロゴ 鈴木氏・・・とあり太鼓には「直正」 と焼印が押されていた。 獅子頭より早く太鼓台が作られていたことになる。 まだ何か様々事情があるのだろう。 この太鼓と太鼓台のセットは獅子宿に二台あり、鍋屋さん、寺泉鈴木家でも目撃している事 から明治期「直正」の様な指物大工が存在し制作していたと推測される。 獅子頭と太鼓台を拝見し、鍋屋さんの店内を物色する・・そこには時代を超えた掘り出し物が 溢れている。2024.10.28 - ...続きを見る