- What's NEW
-
鶴岡のお獅子が来宿
鶴岡から三頭のお獅子様が獅子宿においでになった。 以前、神主さんのお話では長井で獅子頭を作った記憶があるという。 三頭の内、一番新しい獅子がその獅子で推測では飯豊中津川の彫師渡部 亨氏の作で塗りが長井の幸町 熱海氏の可能性がある。渡部氏は酒田亀ヶ崎十一面観音の獅子頭の制作をしており、試作の木地を所蔵 している。その他にも庄内の獅子を制作したと聞いた記憶があり、渡部氏の遺作の中にもこれらの獅子の 耳に似たものがあり所蔵している。 5月2日鶴岡の神社拝殿にて 三頭共に記名が無いので、一切不詳で神社の記名札の写真を分析している。 今回は渡部氏の作の可能性のある獅子頭の修理である。一番古い獅子頭をモデルに二作目を制作した時 顔付きが変化している。一番古い獅子頭は鶴岡の六所神社の江戸中期に制作された獅子頭をモデルにして 制作した様な印象である。歯には真鍮板が取り付けられ、獅子幕を取り付けるフックの様な金具が顎の底 と後部に取り付けられている。軸棒は長井の様に一本の棒でなく、五センチ程の栓が両端から差し込まれて いる。持ち手も複雑な形状で下顎には、タンスの取手と同じ、わらび取手が取り付けられている。 この獅子を使って、どの様な獅子舞になるか例大祭で拝見したいものである。2024.06.05 -
道の駅米沢に獅子頭の展示始まる
6月1日より29日まで道の駅米沢にて獅子宿の獅子頭の展示が始まりました。 制作した獅子頭三頭とコレクションの古い獅子頭八頭で今回2回目の獅子頭展示になります。 多方面から訪れた多くの方々にご覧いただけるかと思います。 新旧の獅子頭文化をお楽しみください。 寒河江平塩地区の獅子頭2024.06.04 -
西高玉獅子頭進捗2
4月に入り気温が上がって来ると、杉花粉量も増加し目の痒みと鼻詰りが強くなってきた。 毎年の恒例の症状であるが桜が散ると治ってくるので、暫しの我慢である。 昨年12月4日に清水町の原野に残されていた大柳が伐倒され、直ぐに運搬し制作を開始した。 根元から総宮型獅子頭の頭部を7頭を荒彫りし、歌丸型2、畔藤熊野型2、西高玉昼2、西高玉夜1、 西高玉昼小獅子、平山熊野の高橋小兵衛型1を制作している。生木で制作をすると作業効率が良い事が 分かる。 4月1日より手こずっていた西高玉昼祭りの獅子制作を一旦休止し、巨大な夜祭りの獅子の制作に入った。 荒彫りの夜獅子は獅子宿の玄関で乾燥中だったが、工房までに移動するのも腰を心配するくらい重い。 やっとテーブルに乗せると、まずは内部を薄く彫り込んで軽くする。 まだ生木の状態でノミ痕からジワッと樹液が湧いてくる。 夜獅子の耳と舌を制作したら一旦、別の獅子の制作を手掛けなければならない。 本日桐材で耳を制作 軽量化の為モデルの獅子の耳はなんと5mm厚に彫り込んでいる2024.04.05 -
西高玉の獅子頭制作進捗
まずは皮はぎ 下書きをして木取り 再び、西高玉の稲荷神社一対の獅子頭制作に入って1ヶ月経過し、二頭共に乾燥が進んできた。 昼獅子と呼ばれる長谷部吉之助作の獅子木地は12.8kgまで軽くなったので自宅に持ち帰り眺めて いる。 生木の時期は切れ目を入れ、ハツると簡単に割れる 11日天候が良かったので外で昼獅子の二作目制作を始めた。二作目になると前回より制作が早く 経験の蓄積と反復で落ち着いて制作が出来る。一作目の倍の速さで進んでいく様だ。 そして、昼獅子二頭分の顎の木取りも行った。 夜獅子の顎は長大で頭部用の材を選定している。 二作目の大型の夜獅子に相応しい木地は残っているのだが、まだ制作する気構えが湧いてこないのだ。 内部を削り室内にやっと移動 一作目をモデルに彫り進める 13日 雛形となる本物の獅子頭を側に置いて制作できる機会は貴重であるから、恐らく夜獅子二作目に挑戦 する事だろう。 お借り出来る期限まで1ヶ月あるので何とかなると考えると、必ず何とかしてきた。 畔藤熊野二作目頭部と平山熊野の習作 畔藤熊野二作目 白鷹町畔藤の熊野神社の二作目頭部も昨年12月伐倒の柳で制作したが、顎の木地は赤太の部分が多く 今の所一作目の顎を使用する事にしている。 平山熊野神社所蔵の高橋小兵衛作の獅子頭写真をモデルに習作 人生と獅子を刻みながら時が静かに流れている。2024.03.14 -
西高玉の獅子頭制作再び
2007年に白鷹町西高玉の稲荷神社の一対の獅子頭を制作している。 その当時私は49歳だった。 16年前の夜獅子制作 同じく昼獅子 歯と唇とあごに補強板が埋め込まれている あれから16年を経て、再びあの獅子頭一対の制作をするとは最近まで想像だにしなかった。 当時、一生に一度の大仕事と奮起した覚えがあり、人生何が起きるか本当に判らないものだ。 とにかく両方、作るのが難しい。 夜獅子の木取り この塊から獅子に生まれ変わる 昼獅子の木取り 丸太からギリギリの大きさ 総宮神社型とは別の難しさや複雑さ巨大さがあり、それだけに彫るのが大変だが実に面白い獅 子頭で没頭せざるを得ない。 しかし一度彫っているのだから初見とは違う、奥深い造形を見い出す事ができるのだろうか。 夜獅子頭部と木取り材 鋭い彫り込み 昼獅子頭部 強烈な目力 夜祭に出す獅子は明治21年と記名が残っているが何故か作者の記名は残されていない。 西高玉瑞竜院の社殿彫刻にその超越した腕前を残した菅原鹿蔵の作と推測している。 昼獅子の荒彫り初期 昼祭りの獅子は記名は無いが明治25年頃、一本の木から三頭彫ったといわれる勧進代の 長谷部吉之助と伝えられている。 長谷部獅子は越後村上出身の菅原鹿蔵の超絶技巧獅子と比べ彫りは浅いが、迫力の表情 は威圧されるようである。また、その恐ろしげな表情は北陸加賀の獅子の様式である。 昼獅子内部のえぐりで減量し、ようやく動かせる 長谷部が旅の途中で加賀に逗留し獅子頭の技能を修得したのだろう。その帰り越後村上で 菅原に出会い、お互い置賜で腕を奮ったとも考えられる。 菅原、長谷部両者は共に十王の竜沢寺の彫刻を制作し面識があった逸話があり、この一対 の獅子頭を眺めていると、両者が腕を競い切磋琢磨して仕上げた趣が伝わってくる。 夜獅子の初期 大まかに形を整えてゆく 12月に伐倒した柳の大材があったが、実際木取りして寸法を図るとギリギリの大きさ だった。昼獅子の方は木取りした大材には足りず丸太から3分の2を使い芯が歯に残っが、 後で、その部分は取り除きFRP(強化プラスチック)で補強してしまう予定だ。 幸い積雪が少なく2月13・14日と夜獅子の大材の柳を割り木取りし、17・18日は昼獅子の 丸太を木取りし移動可能な重さにする為、内部を彫って減量した。19日から1週間かけて昼 獅子の頭部の荒彫りを行い、29日は休み、1日から夜獅子に取り掛かかり5日までには荒彫り も大分進んできた。生木の湿った状態で細部を彫るともろいので、一旦乾燥させて強度が増 してから彫り進めるが、特に内部は彫過ぎに注意する事に留意している。2024.03.07 - ...続きを見る