神社は黒鴨の蔵高院から登った建物のずっと奥にあり、左手の道路を迂回して上っていく。
山之神神社の鳥居から写真は4月1日に下見にきた時のもので、石段は杉の落葉で覆われていた。
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上っていくと石段の両側や境内に大神宮の石碑が数多く奉納され、伊勢信仰の歴史の深さを物語る。
途中立派な山門があり、両側には仁王像の絵画が立像の代わりに取り付けられていた。
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山門の天井裏に何か箱のような物が、保管されている。屋根がついて見覚えあるものである。
それは獅子神楽で用いる太鼓や獅子頭、道具類をそこに入りて運ぶ「長持」(ながもち)だった。
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棒を入れるホゾが開けられ、そこに棒を差し込んで二人で担ぐのだろう。現在の鮎貝型の獅子舞は
昭和31年に白鷹町山口佐野出身の大滝藤太氏が制作したものと聞いている。神楽獅子については廃絶
してから久しく、獅子頭の存在だけで一切詳細は不詳である。。神楽の道具を運ぶ長持の発見で伊勢
大神楽に変わって鮎貝型獅子舞に変わった事が分かる。神楽の長持は白鷹町では初めて見た。
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集落の公民館から獅子頭を運んで上ってくる
神楽獅子
9時半から神事が始まり、その後獅子舞が境内を獅子が舞って、階段を降り集落に下って行ゆく。
獅子頭の耳は数年前に破損し、当工房で作り直している。
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拝殿前は狭く、ロッククライミング出来そうな石段が直ぐに迫っているので右側の境内スペースに
向かって獅子舞が巡る。何度か繰り返し拝殿前の獅子舞が終了する。
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拝殿の内部を拝見すると、おそらく獅子頭が新調された時の記念写真が二枚飾られてあった。
タテガミが長く現在の表情が違って見える。獅子頭の作者の大滝藤太氏の息子さんが黒鴨で最近
古民家を改装し宿泊もできるカフェを営んでいると知り、先日お昼に訪れ獅子彫師のお父さんのお話
を聞いたが、別の機会にご紹介したい。
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宇津権九郎名古屋型の獅子頭は皆さん、神楽として例祭で使用した経験は無いと云う。神楽獅子は
破損もなく塗り替えされて保管されたのか状態が良いが、獅子幕は一見して織物の絣の生地のようだ。
広げて記名の有無を確認する間もなかった。
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山門の両袖に仁王像の絵があったが、拝殿にもまた一対の仁王像の絵馬が奉納されていた。こちら
には奉納の年月があり享保二十年七月七日(1735)とあった。その他、獅子幕の奉納木札があり
「獅子幕寄附」下堀川前、荒山、三組中 鮎貝新町 石山呉服店 大正十五年三月吉日」あっ
た。この獅子幕とは神楽獅子の絣生地の事か、あるいは大滝藤太氏の獅子頭以前に獅子頭があり、そ
の物だったとも考えられるが、残念ながらそれ以上は不詳である。
白鷹町最西北端の黒鴨で、伊勢神楽系の獅子舞が行われていた形跡を発見できた事は貴重である。
現在も神楽長持は山門の屋根裏に潜んで、研究者が見つけ出してくれる事を舞っているだろう。
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