目隠しの杉林に囲まれた神社境内は鬱蒼とし、境内北側には堤(つつみ)がありに水路から絶えず
が豊な水が注ぎ込んでいる。
17日の朝に訪れた時には堤側の参道入り口に、幟旗が設置されていた。丘陵の地形である朝日町は
水源に乏しく、人口の貯水池が無数に設置されているようだ。幅50cm程の水路の水源は数キロ上流
の古槇地区から流しているのだと神社関係者が言う。水上神社の拝殿の看板に龍神とあるのも水の確
保に苦慮してきた人々の願いや歴史があるのだろう。
四ノ沢八天稲荷神社の獅子頭取材の頃合いを見て和合水上神社まで移動は車で数分である。このま
ま北進すれば、すぐに朝日町の道の駅に位し、西側旧道は昔懐かしい和合地区の集落である。
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二本歯の下駄で石段を下るのは現代の天狗には難しい
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まず雄獅子から登場
細い旧参道から境内を臨むと拝殿から、丁度獅子が顔を出した。やがて鳴り物開始の声が掛かると
笛と太鼓が始まった。シンプルながらに厳かな短いパターンの鳴り物である。獅子は白と青のモノト
ーンの柄で、胴体にアーチ状の竹のフレームを入れ、テントのように膨らます、県内には見られない
朝日町独特の獅子幕である。青と白のパターンは川西町西大塚八幡神社や小国町白子沢白子神社の獅
子幕にも見られるが、獅子舞は総宮神社型である。伊勢太神楽で見られる獅子幕でやはり神楽の名残
だろう。
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雌獅子の胴体幕に竹を通していく
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獅子頭の耳が外れてきたハプニングあり 素早く幕に竹を取り付けて準備
竹では曲がったものでは無く、両端を掲げると幌状に幕が張って大きな胴体になる
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富山県南砺市井波で展示されていた獅子頭と幕
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井波の獅子
水上神社の獅子行列は、神社から猿田彦を先頭に、鳴り物、獅子一対の集団は大胆に国道287号線を
横断し静かな和合集落に入ると、鳴り物の気配で民家前に住民が行列を待っていた。獅子は住民を確認
すると一斉に「おーー」と声高らかに気勢を上げながら住民目掛けて突進し、歯噛みをした。これも諸
説あるが獅子が頭を噛むのは厄払いと考えられる。一説では獅子舞は人や地域や体内に潜む邪気や穢れ
を食べ、幕の中に封じ込める。長井では獅子幕に入る者は、行衣と呼ばれる死装束を着る。そして祭り
の後、獅子幕を地域の川の清流で洗い流し浄化するものである。または、獅子が人を喰らう所作は修験
道や出羽三山信仰の擬死再生を表し、頭を歯噛みする瞬間に死を意味し、歯噛みから開放されると再生
し清らかに生まれ変わるという意味があるという。こういった獅子舞に関わる意義は明治時代に入り修
験道禁止令発令と共に伝承されず形骸化され、非科学的な慣習として考えられ、伝えられる事なく消え
去ろうとしている。
午後から店の営業が一段落したので、再び朝日町和合の水上神社に戻ると、役員大勢で幟旗の撤去中で、
区長さんを探し獅子頭の詳細について尋ねると水上神社の法印の方を紹介された。その方に事情をお話し
すると快く獅子頭を拝見出来た。しかし、獅子頭には記名が無く、意外にも一切詳細不明だという。
初見では先日、同町の大舟木の白鷹町鮎貝型の獅子頭との類似が頭をかすめる。
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脳天に取り付けたものは、タテガミにも角にも見える
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獅子頭は一対あり、脳天に取り付けられたものは角の様でもあり逆立ったタテガミにも見える。
それらは雄獅子を表し、丸い玉のようなものは如意宝珠で雌獅子を表すと聞いている。(諸説あり)この
一対の獅子頭の様式は北陸や関東で多く見られる。
雄獅子と雌獅子の彫りを詳しく見ると微妙に彫りが違う事に気付く。例えば眉や鼻のしわ、耳、大きく
違うのは耳の下のもみあげの様なタテガミである。
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雌獅子
雄獅子はしっかり彫刻されているが、雌獅子は巻毛だけに省略されている様に見える。この様式は白鷹町
鮎貝八幡で見る様式で、鼻筋の高い表現は荒砥の八乙女八幡や新山神社に見られるものである。
巻毛の部分だけが黒く塗られ、彫刻されたタテガミの部分は何故か塗られていない。
金の部分は純金箔では無く、ブロンズの粉末をカシューと混ぜて使用したもので、雄獅子のタテガミの突
起や雌獅子の如意宝珠の水玉状に残され、塗り替え以前の元々は獅子頭全体に綿密な蒔絵の技法で獅子毛
が描かれていたと推測される。また歯が薄く作られ、上下の歯を合わせる「歯打」には全く不向きな構造
で獅子舞の動きには想定されていない二人立ちの伊勢大神楽系の獅子頭とも考えられる。持ってみると大
きさの割に軽量であり、被って舞うことも可能だろう。また、獅子頭の内部の塗りが黒である事に気付く
白鷹町鮎貝八幡の獅子頭も黒で塗り潰され、寄木造りで分割されて作り接着して軽く制作される。これは
一概には言えないが、頭を内部に納め被る場合、視界を確保するためだろう。また獅子頭の右後頭部に握
り手が取り付けら、顎には握る穴が開けられている。 これは獅子頭を被ったり両手で獅子頭を持ったり
しながら舞う神楽獅子の工夫や特徴でもある。以前は現在の舞とは違ったスタイルだったのだろう。
大正期に宮内熊野神社の獅子舞を習ったという話を裏付けるシーンがあった。
ハッピを着た2人と消防団のハッピを着た2人の4人が、ラグビーのスクラムを組む様にガッチリ
獅子頭を固めて移動をしている姿は正に現在の宮内熊野神社の獅子舞である。舞と言うより獅子頭を守護
しながら練り歩くといった姿に見える。また白鷹鮎貝系のスタイルでもある2人の口取りが両脇から獅子
頭を支えながらスキップの様な反閇(へんばい)をしてその場を清めるやり方にも捉えられる。
獅子舞の型には、宮内熊野や鮎貝八幡のエッセンスも加わっている様に見えてくる。
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帰り道、最上川を跨ぐ八天橋を渡り、能中地区経由で長井に向かう。途中、夏草地区の白山神社の例祭を
確認するためだ。道路沿いの神社側に小雨の中、散りかけた桜が名残惜しそうに神社を見守っていた。
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夏草地区の白山神社
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夏草という地名の由来はなんだろう? 詫寂風流感満載
車を停車すると氏子らしい方が、お神酒を持って神社の階段を登って行った。後を追うと神社は無人
だが扉が開かれ、お神酒が並んでいる。お祭り情報を尋ねると今日は天候が悪いので公民館に集まっ
て直会という・・。期待した情報の獅子舞などは無いという確たる情報を得ることができた。
19日玉ノ井地区の稲荷神社の後、4月29日に例祭集中(9社)の第二波が訪れる。
冬の日の短さから解放された春の夕方は長く感じる。
四ノ沢から山形方面に上っていくと、古槇(ふるまき)地区があり、この日も例祭日になっていた。
例年は一対の獅子頭を出して地区の一軒一軒周り厄を払うのだが、今年も神事だけで終了した。
大天宮の階段はナカナカな傾斜と段数で、何回か悲鳴をあげるが振り返ると山アリ谷アリ渓流アリの
古槙地区の集落が一望できる。参拝する前に清々しい気持ちを味わえるのだ。
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ジオラマ のような古槇の集落
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大天宮
欲張って数キロ上の「送橋」集落の神社を探しに向かった。「送橋」なぜか郷愁を感じさせる地名
が多い。古槙では散っっていた桜も、こちらではまだ見頃だった。怪しげに低速で集落を進むと小島
の様な盛り上がった地形があり、そこには神明神社があった。
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側の大きな建物は公民館なのだろう、人の声が聞こえる。たぶん直会をしているのだろう。
舞い散る桜の花弁を被りながら細い参道を登っていくと、手入れの行き届いた神社が見えてきた。
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ちゃんと石碑の前にもお赤飯が供えられていて、地域の方々の厚い信仰心の現れに心が洗われる。
是非また来年訪れたい朝日町の風景を観ることが出来た。
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送橋 神明神社
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