朝日町四ノ沢八天稲荷神社の例祭

  • 朝日町四ノ沢八天稲荷神社の例祭
 朝日町では、4月の第三日曜日に町内の神社17社で例祭が行われている。

この為に昨日16日午後から、神社の住所を調べ、場所の下見をしていた。

小さな神社では住所を調べるのが困難で、現地で探す他なかった。下見の際、朝日町

の観光協会のご提供も得て、朝日町の1万五千分の一地図や史跡マップを活用し調査で

きた。町内を車で走ってマップやナビの効能もあり土地勘が頭の中で形成されて行くの

が分かる。ちょっと主要道路を外れると最上川を軸にした、高低差のある美しい風景、

桜や新緑の景色に見惚れてしまった。これから季節折々に変化する、これらの風景を改

めて目にするだろう。

 


 今回の調査は17日(日)の17社の例祭の内、獅子舞が行われている四ノ沢 八天稲荷

神社と和合 水上神社に前日下見に訪れていた。どちらも17日の日曜日の朝からの例祭と

いう事で、両方調べたいという欲深い下見だ。情報収集に前日入りして訪れたが、どちら

も境内や参道、石段は杉葉の絨毯で覆われて明日お祭りという気配は微塵もなかった。

当日朝早く掃除も飾り付けも済ませてしまうのだろうか。特に幟の設置と撤去は人手が必

要で大変な仕事である。



小高い丘陵にある神社とりんご畑


 道の駅の観光案内の方に、明日例祭の他の神社について道の駅の現地のスタッフの方から

も情報を聞き出していただいた。和合水上神社の獅子舞行列は、隣の大隈地区の山神社で休憩

するのだという。他の神社についても調べたが不明で実際に調べるしかないだろう。




大隈地区の山神社



 17日は9時前に四ノ沢の神社に到着すると、幟が風でなびき、境内は綺麗に清掃されていた。

拝殿は扉が開いていて神輿や花笠、神楽(獅子頭)の箱が整然と準備され、境内の桜の花弁が舞

い、焚き火の残り火が細く青い煙をなびかせていたが無人である。風が強く小雨も混じり肌寒く

く生憎の3年ぶりの祭になるだろうか心配だ。



前日の水上神社

 一旦、ここから数キロ離れた和合の水上神社に移動すると神事が始まろうとしていた。

9時に子ども太鼓が披露され10時に獅子舞が出発し、神社に戻るのはお昼ごろだという。獅子舞

が始まる前に、再び四ノ沢に戻ると神事が始まろうとしていた。



拝殿前に獅子頭と大きなアーチ状の獅子幕が置かれて準備されていた。

神事が始まる前に参拝を済ませると、私を見つけて拝殿内から声が掛かった。観光協会の局長さん

が私が取材に来る事を伝えていただいてた様で、その方から神社の由来、獅子頭や獅子舞について

の資料を提供いただいた。









須貝摠一氏の作と思われる獅子頭

資料によると

  「獅子頭は昭和56年 白鷹町の高岡で作られた」とあったが作者は書かれていなかった。

 高岡の獅子彫師といえば鮎貝八幡の二代目の獅子一対を制作した高岡の須貝摠一氏である。

宮宿の豊龍神社の獅子頭にもその記名を確認している。その情報を伝えた後に、初代の獅子頭

があると言うので拝見した。








修理痕があり、金箔は金紙 内部は塗りが無く獅子頭を被った痕が伺える。以前は伊勢太神楽
山形市㊀餌鷹神楽系の獅子頭として用いられたのではないだろうか?




獅子箱には記名があり「明治36年3月19日 氏子一同 権訓導 相座長八 」とあるそうだ。

獅子頭の作者は2代目の獅子頭と同じ白鷹町高岡という一説もあるという。(関係者談)

修理した痕が有り、摠一氏が修理を依頼され、後に2代目の獅子頭を制作したのではないだろ

うか? 須貝家は祖父と親子で獅子彫をした家で摠一氏の父親が制作したと仮定すると年代が古

すぎる。これは興味深い今後の調査すべき情報である。初代の獅子頭はだいぶ使い込まれ、真

っ二つに破損して満身創痍の状態で記名も見当たらない。後日談なのだが、関係者の方の話で

は獅子舞の行列先頭には天狗(猿田彦)役が立ち、その後に「おかめ」と「ひょっとこ」、梵

天持ちが2人、太鼓3名と笛8名、獅子本体には頭を持つ係と山担ぎ役6名が入る様だ。

動画では獅子幕の前に2人の幕持ち役が立つので白鷹町鮎貝系の獅子舞と重なる。ところで朝

日町では「獅子舞」を「獅子踊」と称している。八ツ沼の春日神社や大谷(おおや)の一人立

ちの獅子は獅子舞と言うので、所変われば言い方も変わるので感心至極。


 四ノ沢八天稲荷神社に到着すると二代目の須貝氏の作の獅子頭に幕が取り付けられ獅子舞の出

番を待っていた。その姿は2019年富山県南栃で見た獅子を彷彿させる。獅子幕に竹製の芯を入れ

て幌状にし両端を持って広げると大きな獅子に膨らむのだ。その起源については不詳だが、朝日町

豊龍神社の獅子舞をモデルにしている。資料では大正期に宮内の熊野神社から豊龍神社に獅子舞が

伝わったと言う説があるが、宮内熊野神社の現在の獅子舞の型とはずいぶん違っている。    

 残念ながら四ノ沢八天稲荷神社の獅子舞は拝見出来なかったので、来年また訪れ確認したいもの

だ。

幸い天候は回復して気温も上がり雲間からの暖かい陽射しが、春の訪れを約束してくれた。

長井から朝日町へ、四の沢から和合へと行ったり来たりで忙しい週末だった。

2023.04.17:shishi9:[コンテンツ]

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