2017年に米沢市成島の八幡神社の獅子頭調査を行った。
その写真を改めて再検分してみると再発見があった。
資料では多数の宝物品が所蔵されている中で、獅子頭五頭とあるが調査で確認した獅子頭は二頭だった。
例祭が衰退し有耶無耶になってしまったとか・・・。
中でも絵馬が四十数枚所蔵されているというから置賜でも随一の所蔵数では無いだろうか?
梁から天井裏に、奉納された絵馬が立ち並び、歴史と信仰の深さを象徴し壮観である。
獅子頭は神殿左前に並べられていた。
一頭は明治期、川西町西大塚中沖の渡部重右衛門の作と思われる。
もう一頭は宮内の熊野神社型だが面長で、耳が長めの垂れ耳になっていた。
その当時は二頭の違和感に気がつかなかったが、再検分してみると二獅子頭の耳が入れ替わっている
可能性がある。
渡部重右衛門の獅子の作風は長めの垂れ耳だが宮内熊野の獅子の耳は小振りで丸く立っている。
仮に耳が入れ替ても、宮内熊野の獅子の方の耳で無く違う形だ。
しかし、よく見ると唇と眉の上にある毛穴を埋めた様な痕に気付いた。
これは宮内熊野の七夕に行う獅子頭展示の中にあった獅子頭と同じ造作である。それが元になり
鑑定すると川西町吉田の島貫弘志氏の作風で、島貫氏は宮内熊野の獅子の毛穴痕を再現していた。
宮内熊野の獅子は修復の際、漆で塗り込まれてヒゲや眉の毛は見られない。
タテガミは和紙で毎年作り替えられ例祭の前に取り付けられる。
成島八幡神社に何故、宮内熊野の獅子型がある理由は不明だが、島貫氏は腕の良い大工で神社や神輿の造作
が縁で獅子頭を奉納されたという想像が思い浮かぶ。おそらく島貫弘志氏は戦後活躍された方だろう。
獅子頭の後部神殿の手すりにポツンと獅子の耳が置かれている。
さて、気になるのが残り三頭有るはずの獅子頭である。
一頭は米沢市中央の小野里家に所蔵を確認している。
小野里家所蔵の獅子頭 眉毛やヒゲの痕がある。
獅子頭の成島八幡の記名
先代の小野里家当主が、廃寺になった別当寺竜宝寺から成島八幡神社に伝わった宝物の仏像や獅子頭が骨董商
に売られたが、長野県松本まで行って買い戻したと伝えられている。
あとの二頭の所在は現在不詳のままで追跡調査したいものだ。
例祭が盛んに行われた当時の神社総代が所蔵していると聞いた記憶がある。
2016年から2018年にかけて獅子頭調査で置賜隅々を駆け巡った写真と資料を再度検証する必要があると
今回の発見で感じた。
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