5月3日勧進代総宮神社の春の例大祭に遠藤森助の作と伝えられている獅子頭を拝見した。
今回特別にお願いし許可を経てのものである。
森助獅子の作られた年代は200年以上と伝えられ1818(文政元年)という説もある。
長井市の獅子頭の形はほとんどが横町総宮神社の獅子頭から派生した系統の形であるが、森助
獅子は独特の文化の様式が各所に込められていた。
特に眉や耳下の巻き毛のタテガミを複雑に表現し、突き出た眼の周辺にも凝った造作が施され
ている。黒と朱の輪郭を描いた眼は「蛇の目」型であり越後や北陸の獅子の影響を感じる。
今回の検分で特に驚いた事は、舌や耳と軸棒周辺の造作である。
舌は通常より固定せず、出番の際の幕付けに初めて固定し、普段は取り外されている事である。
獅子頭の耳をずらしたり幕の端を尻尾に見立てて不完全にした状態にし、動き回らない様にしている
事と同じ考え方なのだろうか・・。
耳は本体から四角や丸棒を作り頭部に差し込む方法が主だが、森助獅子は複雑な巻き毛に差し込ん
で固定している。また軸棒は後から改良の為、仮に板を取り付け変更している様な位置にあり、頭部
側に45度、顎側に45度の角度に切り込みを作り、口を開けると90度で切り込みが合致するという
珍しい納め方を見せている。二代目の長谷部獅子には、このやり方は踏襲されていない。
獅子頭内部、上の軸棒の上部に軸棒を埋め込む穴が開けられていて、そのままの状態で残されている。
ある時点で獅子舞の形態が変わり、獅子頭の改良が行われた事も考えられる。
今回の検分で、タテガミのベールで隠された森助獅子の神秘が少しだけ露わになった。
現在、レプリカ制作の為、試作を始めている。
今まさに難易度最高級の獅子頭に対峙している。
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