情報が無かった。ただ氏は上小松の写真屋さんであるという事だけである。
また飯豊町から獅子頭を預かったが、その作者が佐藤太蔵氏で、先月獅子頭を納めた上小松
の皇大神社に太蔵氏の獅子が所蔵されていたりと取材のタイミングは満を持していた。
例の小松の詳しいオジサンの近所なのだが、不思議とオジサンは食いついて来ない。逆に獅
子頭の分野からは手を引いた様な体である。オジサンから太蔵氏の弟さんが、ヒゲ町で同じ
写真スタジオを営んでいらっしゃると聞いて、まずはそちらに訪れてみた。これは獅子舞か
ら学んだ世渡り術で、いきなり目的地に直行するのは失礼なので八の字の如き迂回する方法
だ。太蔵氏の話を尋ねると、ご親切にも直ぐ太蔵氏宅に電話を入れて戴いて、あっさり訪問
の承諾を戴いてしまった。現在太蔵氏の生家はお孫さんの奥さんがお一人でおられた。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0966-er.jpg)
太蔵氏は明治18年生まれ、昭和37年に77歳で亡くなられている。太蔵さんの家は元々下駄屋
さんで、器用な太蔵氏は下駄製造をしながら獅子頭を手掛けた。獅子頭の塗りや金箔、タテガ
ミも京都から買い求めて毛植えも行なった。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0920-er.jpg)
玄関には太蔵氏作の美女木の松を昭和35年に描いた油彩画が飾られていた。記名の「太四郎」
は代々世襲している名前らしい。
その他数多くの獅子頭と神楽面や寝牛や馬の彫り物が展示されていた。太蔵氏は温厚な性格で
多くの友人が毎日訪れていたという。戒名を拝見すると「松彫院温顔太康居士」とあり、確か
に彫り物の材料はヤニが滲んだ松材で、遺影を見ても太蔵氏の人となりを表している。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0925-er.jpg)
仏壇の横の床の間に大振りの獅子頭が二頭あり、亀甲金網が張られた飾箱に入った獅子頭があ
った。太蔵氏は親戚に自作の獅子頭を贈呈し、長井のあやめ公園高台にあった「金田屋」さん
とも親戚で獅子を贈ったが後に金田屋も廃業し、その獅子が出戻ってきたのだという。亀甲金
網を獅子箱に張るのは、あやめ公園隣の総宮神社の獅子箱と同じで、それに習ったのだろう。
獅子頭の飾られている棚には、大振りの黒獅子の他に、興味深い小振りの獅子頭が複数飾られ
ていた。順に撮影させてもらうが、一つ一つに驚きを隠せなかった。制作した神社の獅子頭の
レプリカなのかも知れない。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0942-er.jpg)
太蔵氏は昭和30年飯豊町椿の熊野神社の獅子を制作している。そのレプリカだろう。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0963-er.jpg)
右上から 太蔵氏独特の総宮系の黒獅子で小品は各地に多数見られる。太蔵氏が最盛期の頃、
諏訪神社のお祭りの際写真屋の店先に展示して販売をしていたという。当時の月給2000円で
700円ほどとかなり高価だったという。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0936-er.jpg)
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0946-er.jpg)
隣の金色のこの獅子は、以前私が修理を手掛けた同町浮島神社の赤い獅子頭の型である。年号
が無く不詳だった。もう一頭黒獅子があり、こちらはアゴに唐草が彫られ太蔵氏特有の獅子で
二頭太蔵氏の作と思われる。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0950-er.jpg)
総宮系の獅子を赤くして垂れ耳にして神楽獅子系に仕上げている。諏訪神社もこの型である。
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0939-er.jpg)
二段目右は同町朴の沢の熊野神社の現在用いられている渡部亨氏作以前の古い獅子頭の型であ
る。同町時田の八幡宮や玉庭の御伊勢町皇大神社と類似している。太蔵氏の模刻の可能性があ
るが定かではない・・。
中央は寝牛と神楽面
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0958-er.jpg)
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0955-er.jpg)
小松豊年獅子踊りの張り子製の獅子頭である。同系の木型もあり太蔵氏が獅子踊りの獅子頭も制
作していたという新発見である。張り子に成形した獅子と顎前部の形が少し違う。牙や目わ描い
ている事から、保存展示用に残したのだろう。先月修理の為に、小松豊年獅子踊りの獅子頭の獅
子を預かっていたので見慣れた獅子の表情である。現在用いられている獅子頭は、木型を私が制
作し江口漆工房で仕上げている。この獅子はその前の代の獅子で、現在は川西中学校にお下がり
になって用いられている。
下の段には神社級のサイズの獅子頭と馬二頭、八面六臂の荒神の像
![](http://samidare.jp/shishi8/box/IMG_0964-er.jpg)
7穴の笛が二本ありこれも太蔵氏が制作したと思われ、吹かせてもらうと、しっかりとした音が
響いた。
太蔵氏の生家に所蔵されていた作品をまとめてみると
大獅子3 小獅子4 獅子踊りの獅子2 寝牛1 馬2 神像1 神楽面7 油彩画1 笛2 子供用の下駄1
鶏1 である。
中津川の獅子彫り師 渡部亨氏の話もお聞きした。亨氏が太蔵氏を何度も訪れ、飾っていた獅子頭
を丹念に採寸したりスケッチしたという。中津川から直線で測ると17キロもあり山道峠道で換算す
ると30キロほどになるだろうか? 現在で車で移動すれば30分程だが、亨氏は大正10年(1921)生
まれ、昭和30年(1955)の話と仮定すると亨氏が34歳になる。中津川から自転車かバイクで1時間
以上かけ通ったのかも知れない。亨氏は太蔵氏に師事し獅子頭制作を習った可能性も考えられる。
同じく、中津川で獅子彫りをした太田康雄氏も上小松の皇大神社に獅子頭を残している事から一緒に
太蔵氏に通ったのかも知れない。
今回の佐藤太蔵氏の突撃調査で初めて太蔵氏の人となりと多様な作品と制作、人との繋がりが見えて
きた。
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