宇津・権九郎型の獅子について

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宇津型の名古屋獅子

全国の多くの地域の神社例祭に宇津型と権九郎型の獅子が見受けられる。この二獅子
が日本における最も著名で普及している獅子ではないだろうか。

一対で所蔵される場合に宇津型は雄、権九郎型は雌獅子と伝えられているが、その謂
れについてはネット検索ではついに探せなかった。しかし幾つか真相に近づいた資料
も現れたのでご紹介しよう。

ちょうど良く、宇津型権九郎型一対の獅子を所蔵し獅子宿に展示している。


権九郎型の雌獅子


まず二頭の特徴を比較してみると宇津型は巻き毛眉に細く線彫りされ、黒や金のツー
トンで塗り分けされている。脳天に平滑な盛り上がった丘の様な部分が特徴で、唇に
は複雑に入り組んだ金や黒の溝が彫られている。

眉毛と目の境目が唯一直線で、優雅な曲線の連続の彫りの中で浮きだって違和感を感
じる。一対の獅子は寄木造りで制作され眉と目の境に継ぎ目がある為だろうと推測し
ている。耳の下には同じ様に厚めの巻き毛が複数彫り込まれている。

宇津型と比較すると権九郎型の彫りや巻き毛も端的で、特に単純な眉には意外な程薄
っすらと溝が彫られているだけである。額の3本の横ラインの上部から後部にかけて
金と黒の縦縞が薄彫りされている。
宇津型の脳天の隆起にと比較してもあっさり過ぎて一対の獅子頭としての類似性に乏
しい。耳の下の巻き毛も三つの巻き毛にタテガミがカールした様なデザインを薄くレ
リーフされている。これは権九郎型の獅子頭に特有の「三つ巻き毛」である。これは
伊勢や熱田系の太神楽の獅子頭の印であると説もあるが定かではない。

この一対の獅子頭の大きな特徴として「寄木造りの獅子頭」であることが特筆される。
これについて非常に面白い論文と出合った。

 「寄木獅子頭」造りから学んだモノづくり 山本真希氏著作
京都造形芸術大学通信教育部 芸術教養学科WEB卒業研究展  である。

引用させていただくと・・・

山本氏は愛知県刈谷市出身で刈谷市に現存する寄木獅子頭職人について、その歴史や何
故刈谷市で寄木の獅子頭なのか考察されたものである。刈谷市は愛知県の中央に位置し
人口15万人都市で自動車関連産業の工場が立ち並んでいる。この地に二つの工房があり

お一人は早川高師氏 日展作家 明治末期より仏壇・仏具の彫り師の三代目。戦時中の
空襲で名古屋から刈谷へ移転した。

その早川氏の甥である鈴木富喜氏は早川氏のもとで修行し2008年に独立し獅子頭の彫
り師兼塗師として独立され、早川氏と同じく祖父の家系の寄木の獅子頭造りを継承され
ている。

その技術は尾張藩の御用彫り師であった早瀬長兵衛と瀬川治助という優れた彫り師たち
が存在していた。彼らは近郊各地の寺社建築彫刻や山車彫刻を主に手がけ、その技術が
尾張の仏壇仏具彫刻に影響を与えた。名古屋城築城もあり全国から大工職人や家具職人
、建具職人、たちが集結したという。その為、彫り師たちは効率的に製造するため専門
分野に分業化しコスパに優れた製品を生み出した。この時、寄木獅子頭の技術も発展す
ることになった。下級武士の内職だった仏具作りを基盤に明治以降、家具職人たちの使
用した木曽の桧(ヒノキ)の残材を用いて、安くて良質な仏具木地材料が量産された。

多種にわたって分業化された専門職人は低兼な賃金によるコスト管理によって製品の量
産化を発展させて卸商を中核とする「問屋制家内工業」として発達したのだという。

初代の早川嘉一氏は明治末期に名古屋で彫り師として仏壇を制作していたが、問屋から
獅子頭の制作を依頼され、提供された見本の獅子頭を分解し組み立て直し独自で寄木造
りの技術を生みだし成功している。寄木造りの獅子頭には仏具制作技術の背景があった
からこその技術革命だったと思われる。寄木の獅子頭のメリットとして、軽く(1kg程)
価格が安く、木口に割れにくい板目の部分を接着できる事が挙げられる。丸太一木造り
では不可能な薄彫による軽量化は獅子頭を被る伊勢太神楽のスタイルに最適だろう。ま
た乾燥材を用いることによって納期短縮も可能である。ただし、私の地域の強烈に歯打
ちする様な使い方では適さないであろう。

最後に山本氏は今後の課題として、こうまとめている。

寄木獅子頭は作者不明の獅子頭が多い。それは仏壇同職人は顔を出さずに卸問屋経由で
流通している為である。鈴木氏はその販売ルートを危惧し直接受注販売を始め、より顧
客ニーズに対応出来る様にすると共に、海外の製品流入による激減する職人やコストの
問題など含め今後の新しい技術革新に取り組んでいる。




初代の總宇津型の獅子


側面


脳天の二つの巻き毛

白鷹町十王皇大神社の獅子頭の塗り替えを手がけた事があった。明治期に地元の有志の
方が地域活性化を願い名古屋から買い求めた宇津型の獅子頭である。現在もその獅子頭
を元に2代目が飯豊町中津川の渡部氏によって制作され毎年獅子舞を行なってる。この
宇津型の獅子は、今回の調査した鈴木富喜氏の獅子分類資料によると「總宇津」という
分類とあった。宇津・権九郎の獅子も東海三県(愛知・三重・岐阜)において「名護野
型」。全国においては「名古屋型」。そして東海三県において「總宇津型」。その獅子
は名護野型の権九郎の脳天に更に逆立った巻き毛二つが彫られている。その型が白鷹十
王の獅子の型になっていた。また三重地方において伊勢獅子という型が分類されていた。
それぞれネットで検索してみたが、どこにもこれらを裏付ける資料はなく伝統的な独自
の見解なのだろう。



伊勢太神楽で用いている獅子と酷似



伊勢獅子型の獅子頭のコレクションは以前このブログでも紹介している。三重県桑名市
太夫町には伊勢太神楽を伝承している団体が6組、同県四日市市東阿倉には5組の団体が
現在も伊勢太神楽を行なっている二大拠点が存在しているという。それらの獅子頭を見
てみると確かに宇津・権九郎型とは全く違う型の獅子頭を用いている事が分かった。
一対の獅子で、一方が私のコレクションとほとんど同型であった。コレクションは眉が
緩い巻き毛であり、一方が権九郎の様な一本眉に区別出来る様だ。すると巻き毛が雄獅
子となるだろうか?

名古屋型や伊勢型の獅子頭については、やっと資料が見つかった段階である。できれば
現地に訪れて伊勢の太神楽を取材して見たいものである。伊勢太神楽は参勤交代の大名
と共に江戸や水戸に伝わり発展し、さらに陸奥にも伝播している。山形市で400年続い
た丸一餌鷹神楽の家元も近年途絶え、山形県内一円に広がった太神楽も消えかかってい
る。ようやく少し、その足跡が見えてきた様な気がするのは錯覚だろうか?



㊀上山月岡城御用太神楽の太夫 佐藤氏所蔵の獅子頭 名古屋型権九郎?


山形市上野神楽太夫 高橋氏所蔵の獅子



2020.02.14:shishi8:[コンテンツ]

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