飯豊町椿の熊野神社の獅子頭

  • 飯豊町椿の熊野神社の獅子頭
とある飯豊町の獅子頭が来訪中である。
勝手に分類すると萩生諏訪型の天眼型の獅子頭である。




初見の印象では明治期の伊藤彦右衛門の作と頭に浮かんだが、神社に詳しい方の言い伝えから
すると昭和30年川西町小松の佐藤太蔵の作という事である。それでも作風などに多少納得のい
かない点もあり鑑定してみると佐藤太蔵と伊藤彦右衛門の要素が混ざっているようだ。


佐藤太蔵氏特有の模様

獅子頭を新調する際、佐藤氏にモデルとなった神社の獅子頭とそっくりに制作を依頼したという
話が伝わっている。頭部の小鼻の両脇や、顎前部に唐草の佐藤氏特有の文様が彫り込まれ、舌の
形が先が丸い舌顎部は佐藤氏の作と思われる。しかし頭の内部には昭和丗(30)年12月28日と
だけ記名が有り、名前の記名が無いのが不自然である。最近行われた修理痕があるが、その時以
前に記名の周りを塗り重ねた痕がある事から何度か修繕が行われたと思われる。軸棒が3本あり
その一本に墨で書かれた文字らしきものが見つかった。残念ながら赤外線カメラで撮影を試みた
が判別できなかった。これは伊藤彦右衛門が残す独特の記名である。それを太蔵氏が同じように
倣っての事たのかも知れない。


軸棒の赤外線写真 


二つ仮説が考えられる。作者は伊藤彦右衛門で、後に顎を佐藤太蔵が作り直した説。
昭和30年に佐藤太蔵がこの獅子頭を新調制作した説である。今の所、佐藤太蔵の作説が有力と考
えるのが妥当と思われる。この神社の獅子舞の始まりは不詳だが、元々豪農の個人の屋敷神が地
域が主体となり運営するようなったと思われる。実は、この獅子頭より古い総宮型の獅子頭が存
在している話があり、現在拝見できるよう依頼している。その獅子頭の調査で興味深い史実が出
現するかも知れない。
2020.02.07:shishi8:[コンテンツ]

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。
今日 27件
昨日 59件
合計 115,044件