ついに川西町西大塚の皇大神社の獅子頭にお目にかかる事が出来た。
西大塚薬師堂の赤獅子
拝殿左手に置かれた獅子と対面した瞬間、同所薬師堂の赤い獅子頭と同類の獅子と直感した
のだ。
色や目の印象は違っていたが、まさしく同じ作者と思われるが、子供獅子用に作られたので
薬師堂の獅子より小振りである。荒々しく塗り替えされ記銘は見当たらず残念なのだが、目
の部分に「輪」の跡が見える。鮎貝型の形なのに総宮型の唇のシワが有るのが興味深い。総
宮型の獅子を作った経験がある彫り師なのだろう。
皇大神社は田圃の真ん中にあり、三時前訪れると古老お二人が焚火をしていた。そのお一人
は伊佐沢神社の神主 高橋敏永氏だった。近づいて見るとカド(ニシン)を焼いて調理中であ
る。これから直会で振舞う一品だそうだ。
口に十円硬貨を挟んでいる。近くの個人宅の獅子頭でも同じような作法を行なっていた。
拝殿で直会が始まった。突然、獅子の絵馬について説明の依頼があり、暫しプレゼンする事
になった。話をしながら気付かなかった奉納札に「獅子」の文字が浮かんで見えた。達筆で
読み難いが、「獅子ナントカ」と記されている。後に年号が記され、元治元年(1864)と
記されてあった。後で判明したが獅子ナントカは「獅子寄附」だろう。この獅子頭は155年
前に奉納されたものと考えられる。薬師堂の赤獅子も同時期となる。
西大塚の彫り師金子熊太郎の作説や鮎貝八幡神社の獅子の作者の作説の可能性は無くなった
が依然、作者の謎は深まるばかりである。
50年前までお祭りで子供達による獅子回しが行われていたが廃止されたと言う。その当時は
北方念仏踊りも行われ活気ある地域だった。今では氏子戸数、十数軒の小さな神社に優れた
獅子の絵馬が四点、見事な獅子頭も残されていた。
江戸時代は最上川舟運で栄えた繁栄の賜物が、その栄枯盛衰を物語っている。
四点の獅子舞絵馬奉納の時代は明和5年(1768)安永6年(1777)文政10年で獅子頭奉納の
年代安永元年(1864)よりだいぶ古い。絵馬から見ると獅子舞はプロ集団の伊勢系神楽獅子
で、物々しく刀を腰に差して獅子を舞っている。
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2024.11.23 (田村桂子)獅子頭
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2023.04.08 (モリヤ)お神楽についてですが
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2023.03.22 (獅子宿店主)黒沢の住人様
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2023.03.22 (黒沢の住人)感謝
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2022.12.08 (獅子宿店主)もりや様コメントありがとうございます
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