先月14日から長井市本町クロスバにて1ヶ月開催の獅子頭展に斜向かいの十王堂の獅子頭をお借りし
展示させて戴いた。飯豊町出身の太田康雄氏の作で、獅子頭をお堂に返却した際、例祭の記念写真を
拝見した。十数点の写真には子供や関係者の姿が当時の情勢を物語るように写し出されていた。中に
は数点年代不明の写真があり、画像の中の人物や物象を詳しく見て検証するのも楽しみである。平成
に入ると徐々に子供や関係者の数が減少してくるのがわかる。
昭和59年は獅子幕に入りきれない程の男の子がいた。太田氏の作の獅子頭
現在、十王堂の獅子頭は二頭あり太田氏の作の他、新しい獅子頭は本町の鈴木政次氏の作であるが、
白黒の古い写真にはもう一頭あることに気づいた。現在十王堂の隣の大型スーパーの廃屋以前には、
「播磨屋(はりまや)」があった。
指導者は山川氏 後ろのポスターの年号が昭和51年と見える。42年前の写真
私が小学生の頃の記憶では黒い板塀に囲まれた旧家の商家であった。10年程前、その家から出た獅子
頭が売りに出される事があり、某神社が買い取っている。その時目撃した記憶では獅子頭は竹田吉四
郎の作の小振りの獅子頭だったように思う。現在、獅子舞指導者の宮城氏にも確認すると播磨屋の獅
子だろうという事であった。十王堂の子供の獅子舞に用いられていたのは播磨屋から借用し獅子舞を
行なっていたという事だろう。
また、大勢の稚児達に引かれた山車が写っている写真もあり大変興味深い。背景に「乾物商店 山三」
や「清酒 住吉」の看板がある商店があり、現在の本町 新来軒向かいの飲食店の辺りにあった山三と
いう酒店だろう。ここは道路拡張以前はクランクになっていて広場の様な場所だった。年代は不明だが
十王堂と書かれた提灯もあり、本町で稚児による盛大な山車行列を行なっていたという事になる。稚児
が引くだんじり風の屋根の山車については不明だが、ご本尊を神輿に入れて練り歩いている事も考えら
れる。
もう一枚の写真には、尼様が二人写っている。先代のだろうか。今年から十王堂の尼様が引退し、あら
町の薬師寺が引き継いでいる。雨の日だったのか傘をさして下駄を履いている。竹田吉四郎の獅子頭だと
すれば、後ろにバスのバックミラーが見えるので戦後間も無くではないだろうか。皆、これから高度成長
に向けて気概に満ちた生き生きした顔つきである。
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2024.11.23 (田村桂子)獅子頭
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2023.04.08 (モリヤ)お神楽についてですが
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2023.03.22 (獅子宿店主)黒沢の住人様
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2023.03.22 (黒沢の住人)感謝
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2022.12.08 (獅子宿店主)もりや様コメントありがとうございます
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