飯豊町小白川の才頭神社

  • 飯豊町小白川の才頭神社
飯豊町小白川には複数の神社があり、昭和中期に消滅してしまった獅子舞が複数あることがわかった。
まず、一之宮神社と猿田彦神社が昭和35年に合祀なる以前、一之宮神社で獅子舞を行なっていたという
資料を確認している。さらに小白川の奥の舟山家の伊勢堂でも同じ様に獅子舞があり、やはり才頭先神
社(さいずざき)でも江戸中期から昭和初期まで子供の獅子舞を行なっていたが途絶えたという。
 11月22日冷たい雨降る飯豊町小白川一ノ宮地区を彷徨っていると雪囲い作業中の方を見つけた。土地
家屋士の看板が目に入ったので才頭神社について尋ねてみた。仕事柄土地勘は詳しい方で、才頭先の地
名と宮守の「彦右衛門」に直ぐにピンときたらしく電話で問い合わせして戴きこれから取材の了解を得
る事が出来た。更に、少し待ち合わせ時間があるので、事務所でお茶をいただく事になったのだ。

何時もながら驚くことだが、見知らぬ者なのに実に寛容で親切である。そこで拝見した資料が面白かっ
た。小白川地区全戸配布した「小白川江戸地図」地域づくり協議会制作の資料である。これは万延元年
(1860)に小白川村の田畑と家屋を調べて作成された絵地図で肝煎り(村長)の名前があり、米沢藩
に提出するために作ったもので、それを昭和47年に描き写した見事な複製だった。それを元に分かり
やすく現在の地図と重ねて比較して見せている、いわばマニア垂涎の資料である。そこにも彦右衛門
や舟山家の名前が記され旧家であることがわかった。早速、教育委員会の高橋氏に資料について問い合
わせると、なんと高橋氏が関わった事業で資料提供してもらう事を了解戴いたのである。




 さて、とんとん拍子に屋号の彦右衛門こと五十嵐家に訪問し昭和3年生まれ90歳の五十嵐勉氏に才頭
先神社の獅子舞の話を聞く事が出来た。神社は「子授の神」で例祭に小振りの黒い獅子頭で2・30人ほ
どの子供達で獅子舞をしていたが、子供も少なくなり勉氏の祖父の時代で廃絶してしまったという。獅
子頭は地区の白水舞踊団に貸し出ししているうちに行方不明になったらしい。皮を張り直した太鼓は現
存しており、破けた際に太鼓の内部に江戸中期の記名があったと資料にあった。その他、高張提灯や道
具類も一揃えあったらしい。

石の祠の前には、相撲の土俵跡らしき場所もあるとか・・今から現地調査してみようと思う。

家を出るとポツポツ雨が落ちてきたが小白川の五十嵐家に訪れると雨が止んで明るくなっていた。
ついに初雪が降ったせいか風が冷たくなっている。
ご当主にお願いし才頭神社に向かった。五十嵐家の西側の斜面を登り100mほどの杉林に石の祠があり
隣に石碑、稲荷神社が並んでいる。その前には六畳位の昔、土俵があったという空間があった。







万延年間の地図には「才津御林」とあり曰く由縁が潜んでいる様な雰囲気である。才頭神社の祠の左隣
の石碑の文字が読めない・・〇〇山は寺の寺号っぽいが「⬜田山 宗吾霊」とも読めるがお墓になって
しまう。分かりやすいように着色してみた。





お分かりになった方がいたら、ご教授戴きたい。才頭神社は子授かりの神様で、石の祠の中には木製の
男根があり祠前には長細い石が奉納されていた。昔は後継者の有る無しは死活問題であり、すがるもの
は神頼みだったのだろう。今でも、信者が参拝に訪れるという。


2018.11.24:shishi7:[コンテンツ]

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