工藤氏は獅子舞も上手く、獅子の逸話にも詳しい自他ともに認める獅子バカである。
前回は四頭の獅子頭等を拝見出来たが、まだ見足りない物が沢山あった。
先ずは、明治39年7月17日 寄進中 と記名のある、珍しい多色染めの獅子幕である。
置賜には他に類を見ないが、信州や越前の獅子幕は鮮やかな絵柄が見られるものである。
広げてみると12mと長大で、藍染の背景に筒描きやボカシの技法も用いられ波飛沫が見事に描かれている。
前回紹介した昭和31年の記念写真に、この獅子幕が写っている。その後、平成17年にその幕と同じ模様に
新調して現在用いている。
どのような経緯があり、この多色の獅子幕が奉納されたのか・・・解明したいものだ。
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_4983-2.jpg)
次は前回見分出来なかった山伏の背負う箱「笈」に似た箱があり、扉を開けるとその中には木造仏が三躰と
石仏一躰と、石仏の破損した膝の部分が収められていた。
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_4975-2.jpg)
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_4976-2.jpg)
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_4982-2.jpg)
観音像は接着剤の膠が劣化し分解し、小ぶりの仁王像風の仏像は顔が削られ両腕が欠損して正体不明だ。
更に箱の隣に、白木造りの祠があって、観音扉を開けると・・なんと! 美しい膨よかな如意輪観音が安置
されていたのだった。
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_4985-2.jpg)
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_4988-2.jpg)
前回、神殿の裏の彫刻に法輪を確認したが、この仏と深い関わりがあるのではないか。
明治の神仏分離で、仏像は神社内から寺院に移されたはずなので、何らかの事情があったのだろう。
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_4711-2.jpg)
次は獅子箱の裏に多数の古そうな棟札を拝見した。
獅子頭の奉納札を期待したが、あまりに多いので新しい大正昭和は省いた程で25枚確認した。
正徳四年(1714年)に別当 龍宮寺とあり、以前に神社の下に消失した寺があったので、その寺のこと
だろうと推測できる。その火災の際に、仏像が難を逃れ現存したのだろう。
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_5001-2.jpg)
また神社の北、現在の農協の山側辺りに蛇付神社があって、いつしか廃止になり巨四王神社に合祀され
たという。工藤氏が古老から聞いた話では蛇付神社にも獅子舞があって、巨四王神社の獅子舞よりかなり
低い構えの獅子舞だったそうだ。巨四王神社の小関久蔵の作は二頭あるので、どちらかが蛇付神社の獅子
でないかとも考えられるが不詳である。
今度、神社跡を捜索してみようと工藤氏と話した。
発見はまだあった。
仏像のある棚の下を捜索すると、獅子頭の顎が出てきたのだ。
![](http://samidare.jp/shishi7/box/IMG_5010-2.jpg)
どの獅子のものかは直ぐに分かった。竹田吉四郎の作の獅子の顎が作り直されていたからだ。
舌の根元に補強板を取り付けていて、舌に注がれた酒を飲むために穴を開けている。
顎の底は膨らむように作られていた。
神社によって形は様々だが珍しい。紐が取り付けられていて、左手を紐に絡めて固定するそうだ。
警護掛かりで顎が上がらないように紐で押さえつける効果があるそうだ。
こうなると核心の神殿内部が気になり始める。
まぁ・・触らぬ神は祟りなしというが、ここまで触ってしまうと私には免疫がありそうなので
是非核心を拝見したいものである。
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