天保六年 新田 彌字右衛門の伜(せがれ)弥市の作とあり、ご住職の話を頼りに新田の観音堂の
向いの方にお願いして調べてもらった。
すると判明したのだった。
早速2月10日午後から取材をお願いして高畠に向かった。
新田地区は玉龍院から、さらに2,3キロ奥に入った10数戸の山間の集落で、彌次右衛門の姓は「原
田」だった。原田家はその集落の、坂を上った一番奥の屋敷である。
雪道を上って行くと原田家の庭には、雪囲いをされた大きな椿の木があった。
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後から話を聞くと、弥市が伊勢に修行に行った帰り持ち帰った伊勢椿の苗を植えたものらしい。
すると樹齢200年の椿ということになる。弥市は様々な事に強く興味を持ち、伊勢皇大神宮へ
修行に行って獅子頭彫刻や塗り、田植え踊りの芸能を会得して帰って来たのだという。
庄屋だったという現在の家は天保11年に焼失し過去帳は亡失し、弥市を語る資料は残っていなかっ
たが弥市の制作した大小二頭の獅子や天狗面、神楽面、細工物等が大事に伝えられていた。
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独特の表情の猿田彦面
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おそらく火吹男面
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獅子頭はまさに玉龍寺の獅子頭の作風で、同所熊ノ前の熊野神社、米沢六郷は桐原の八幡神社
川西町尾長島の玉光寺で見た文殊尊の獅子頭等、弥市の作と思われる確証を得たのだ。
齢90のご当主の話から獅子頭について一昨年電話の問い合わせがあり、既に獅子頭について
調査した方がいたと言う事だ。
その方を探してみると置賜民俗学会の副会長小川氏だった。
早速電話してみた。
小川氏が57年前、高畠の中学へ赴任していた際、古民具の取材で原田家へ訪れていたのだ。
既に亡くなった原田家の当主の話だったが、祖先が玉龍院の獅子頭の作者の事や
その他高畠町深沼八坂神社、赤湯烏帽子山八幡の獅子も制作している事、伊勢に修行に行き
伊勢から椿の苗を持ち帰って植えた話等を伺った。
何しろ57年も話なので再調査して詳しく聞き出したいと考えている。
さて獅子頭はいずれも共通した顔付なので、雛形になったモデルがあるのだろう。
伊勢を調べてみると椿大神社(つばきおおかみやしろ)や椿岸神社という有名な神社が
検索された。似ている獅子頭検索については、これからだが弥市の道筋が現れてくるかも知れ
ない。
見せて戴いた神楽面も相当な腕前で、180年の年月を経た鬼気とした迫力を放っている。
弥市は伊勢帰ってから塗りの修得により独特の金箔や朱の色合いを見せている。
目や歯に用いる金は金箔か金泥かははっきり判別出来ないが、くすんだ光り具合から見て
金泥だろう。弥市の獅子と判別する大きな特徴といえる。
秘められた置賜の獅子彫り師がまた一人明らかになってきた。
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