60年前の念仏踊り

  • 60年前の念仏踊り
戦後から8年・・昭和28年当時の西大塚念仏踊りの貴重な写真である。

川西の詳しいオジサンこと渡部氏に提供戴いた資料だ。

もう消滅解散して復興も検討されたが、難しい情勢。

伝統芸能は一旦途絶えると復興は至難の業だ・・・。

トップの写真は踊りの最中の様だろうか?休憩中か不明である。

左側には着物姿で花笠を被った四つ竹 ? ・・・それにしても大勢だ。

30人は居るだろうか?信じられない人数である。

弓張り提灯を持った取締役(伊佐沢では)が、しゃがんで休憩しているように見える。

その右手に男が何かを報告している・・・視線はその右手の奴だ。

奴の背負っている箱のデカイこと!!

その後ろにしゃがんでこれも休憩中の太鼓と笛の囃子だろう。

右端には纏があるが、伊佐沢の様に纏持ちが持っているのではなく固定しているようだ。

・・・と思ったら下の写真を見ると手持ちの纏がある。

纏には神が宿る重要な場所と聞いている。



なんと念仏踊り関係者百人の記念撮影である。

下の段にはオカメとヒョットコの面を持った若者が居る。

伊佐沢では面スリというヒョットコ面が居るが、オカメは居ない。

よく見ると後ろに女性の関係者がいる。伊佐沢念仏踊りでは今でも女人禁制なんだが・・。

男女混合だと、メリハリといか微妙な緊張感が芽生える。

出会いの場にもなったのだろう。



後ろに看板の文字が見える「大塚村北部青年会?」

戦後青年団の活動として行ったのだろう・・。この後、引き続き秋祭りに向けての獅子舞の

稽古が始まり村には活気が満ちていたのではないか。

五人が揃ったこの写真は大太鼓と締め太鼓、笛の囃子方だ。





九人の若者達は花笠を持っている。

半纏の襟の文字解析が面白い。

大塚と道楽◯  廣居組  ロングラン自轉車◯◯? アカユ西村・・・・・???

花笠の飾りも造花と実物の葉っぱで作られて凝っている。


戦後高度成長期の爆発的なエネルギーが伝わってくるようだ。


2016.03.18:shishi5:[獅子彫り日誌]

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