春の快晴につられて米沢市万世町梓山に取材に出掛けた。
目的は梅津弥兵衛作の獅子頭一対である。
梓山・・「あずさやま」と書いて「ずさやま」と呼び「あ」を略して呼ぶ所が面白い。
パソコンで変換する時いちいち「あ」を消さなければならない伝統とは少し不便だ。
以前、梓山獅子踊りを取材しに訪れたが、福島に向かう途中でここには何か有るなという予感
がしていたのだが予感は当たった。
ナビで調べると13号線沿いに有るので場所は探しは楽勝と見込んでいた。
やはり直ぐ見つかったが、余りに廃墟化してちょっと気後れしてしまった。
では、まず周辺を見て廻ろうと南進し法将寺があった。
こちらは獅子踊の会場であり獅子頭の保管庫もある。
ほれぼれする達筆な文字の看板に目が吸い寄せられた。
もう一箇所は松林寺(しょうりんじ)である。
獅子踊は七月の第一土曜にはこちらの梓神社で行われ、お盆の時は法将寺と松林寺で行われる
そうだ。
さて、いよいよ飛び込み取材交渉突撃に個人宅に向かう。
玄関先のトショリのワンコを発見して警戒するが、こちらには一向に気がつかない。
トショリすぎて番犬も寛大になったのだろうか。ただ車庫のシャッターには反応して
ちゃんと吼える事が出来た。
名刺を差し出し、おそるおそる、かしこまって取材交渉をしてみると、あっけない程快諾して
いただいた。どーぞどーぞと案内してもらい獅子頭とご対面だ。
やはり見事な梅津弥兵衛の獅子頭一対だ。
白いタテガミが煤けて黒く、バリバリで漆も艶は失い劣化しているが素晴らしい作である。
奉納は明治23年で、126年以来あまり手付かずで、そのままの状態なのでないだろうか?
漆の経年劣化を知る貴重な状態の獅子頭でもある。
ヤクの毛の鼻ヒゲは抜け落ちるが、タテガミは絡み付いてなのか比較的残存している。
金箔も触らなくても剥げ落ちるようだ。漆は紫外線に弱いらしいので日の当った場所は劣化し
やすい。獅子頭の大きい方の耳の下のコブの多さに気が付く。
普通多くても六個だが、こちらは七個もあり珍しい。彫りや塗りに大変手間のかかる場所であ
り渾身の作品だ。
この一対の獅子頭には奉納札があり、明確な記録が残っていてありありがたい。
当時の神主は大乗寺廣観、上杉神社の神主である。
奉納は小浦イシ 梅津藤弥(獅子頭所蔵のお宅のご先祖)
宮町(長井の宮村)梅津弥兵衛(作者)有志総代 後藤伊兵衛 遠藤文右エ門
梅津弥兵衛のお宅は長井市大町で、近くに後藤、遠藤肉屋さんがあって何か関係有りではない
かと睨んでいる。
奉献白山神社廣前獅子像二体有志諸家内安全身体固堅
裏には明治廿三年一月十八日 祭典日 三月十五日
六月十五日
十二月十五日 とある。
獅子頭の安置している床の間の前には細長い見慣れない形の太鼓があるが、太鼓や台は
わが町清水町の古い太鼓似ているので、長井で太鼓製作をしている川崎和助氏のご先祖か?
さて獅子頭は雄雌の獅子とされ一方が小さめで、長井では雌雄の形で奉納される慣習はあまり
無い。
獅子頭所蔵の梅津家当主の話では梅津藤弥氏が神主の資格を取った事、梅津家の山に石切場が
有った事、所蔵の家と獅子制作者が梅津である事、奉納した小浦イシの小浦姓や有志総代の
後藤と遠藤氏の事などを手がかりに一対の獅子頭の奉納について調べてみたい。
取材をしてみて思うのだが、「獅子頭を拝見したい」と唐突に訪れた客に対して何て
親切なのだろうと思う・・・ありがたいことである。
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