長井市大町で幕末から明治にかけて活躍した獅子彫り師 梅津弥兵衛さんのご子孫に取材した。
ただ貴重な資料が多く、調査には時間がかかりそうである。
意外な事に明治時代から写真屋をしながら人力車屋を経営した当時の写真もある。
獅子頭の制作という伝統的な技術を極めながら当時ではハイテクである写真技術を手掛け
人力車とは・・・柔軟な発想力を備えていたのだろう。
矢印は、立派な彫刻の板看板「冩眞」という文字が見える。
左後方には、火の見やぐらの足が見える。大町のポンプ小屋辺りかもしれない。
以前、大町の大東薬局さんの北隣に小さな消防ポンプ小屋があり、人力車を飾っていたが、
考えてみると弥兵衛さんの人力車の可能性もある。
元写真館のご子孫は30年前に蔵を解体した時に出てきた資料を多数保存しておられた。
弥兵衛さんは指物(さしもの)大工でもあり、手描きのタンスや茶タンス、仏壇の平面図など
の図面も見つかった。
弥兵衛さん60歳、奥さん59歳のツーショット明治20年の還暦の記念だろう。
この自分用の三十三箇所巡礼のお札の版も自作だろう。注 画像処理して反転している
これから少し時間をかけて資料を紐解いていきたい。
川西小松新山神社の獅子頭 梅津弥兵衛の作
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