昭和29年に創建された神社が解体され石碑として生まれ変わる。
戦後間も無く高度成長期がいよいよ始まりの頃だ。
今はまだ訳有りなので詳しくは紹介出来ないのだが・・・。
その解体された社殿を飾る彫刻の一部を戴いた。
先日神社の解体情報を知り、知り合いに案内をしてもらい見に行った。
小振りの社殿に比較的若い作風の彫刻があり、その龍の眼の作風に見覚えがあった。
やはり記名を見つけると南陽市法師柳の農民彫刻家「佐藤耕雲」だった。
西大塚の薬師堂や犬川龍蔵神社、長井草岡の津島神社や寺泉五所神社にも獅子頭を納めている
彫り師である。
その耕雲が神社の彫刻を制作していたのだった。
ここから直ぐ近くの例の詳しいオジサン渡邊氏も知らなかったので、子供の様な優越感を覚える
のは否めない。笑
最近、こんな発見の連続で楽しいのだ。
さらに・・・彫刻の譲渡の件の連絡を戴いた、その神社の神主宅にお邪魔しお茶飲み話の中に、また
発見があった。
こちらの神社の獅子舞の由縁は大正時代に遡る。
神社近くの獅子舞いに魅せられた若い衆たちが勝手に獅子頭を用意して自主連による獅子舞を始めた
そうだ。
評判になり、ご祝儀も集まったが神社の総代がその話を聞きつけ、若い衆を諌めたらしい。
神様に断りも無く獅子舞とはケシカラン! 獅子舞いするならば、ちゃんと正式に習って神社のお祭
りでしなさい・・・と。
アチコチ獅子舞いを見て歩いた獅子舞通の若い衆達は、なんと長井の成田の獅子舞いを指名したそう
だ。
早速、若い衆達が長井まで急造の獅子頭を持参し成田若宮八幡神社に獅子舞習いに通ったというのが
獅子舞の始まりらしい。
尚、この話は多少酔いの勢いで脚色され、成田八幡神社の関係者の証言の確証を取っている
前倒しの話なので話し半分である事をご了承戴きたい。
こうして見ると未だ未だ、こういった獅子舞四方山裏話が潜んでいるようだと確信した。
もっと人生の先輩方の話に耳を傾けるべきだなと感じたのである。
昭和29年の彫り物
2016.03.27:shishi5:[獅子彫り日誌]
この記事へのコメントはこちら