平成六年頃だっただろうか?
「おしっさま展」を開催した時、平山の青木伴三郎氏宅を取材した
青木伴三郎氏宅には三淵大明神の分霊を祀っている
もっと上流の長井ダムに沈む為に移動した三淵神社の出張所みたいなものだ
もう二十年以上も前の話でうる憶えだが・・
総宮神社の奥の院とされる木造の三淵神社は明治時代の大風で破損して以来
小さな石の祠に立て替えられた
私もその当時、総宮神社獅子連中の方々と険しい山道を登り参拝したことがある
獅子舞を奉納しようと太鼓を背負って、ちょっと小高い三淵神社の前で獅子舞の奉納をお手伝
いした
青木半三郎氏宅には卯の花姫のものと伝えられている櫛(くし)とコウガイなどが残されてい
ると聞き拝見したのだ
鼈甲(べっこう)製のマゲを結う時に使うものである
卯の花姫伝説の本物の物的証拠となれば貴重な宝である
卯の花姫が三淵の渓谷に身投げした淵にあった遺品とか・・
今後、芸工大に調査を依頼し後世に残す事も大事かと思う
その他、明治時代に大風で壊れた奥の院三淵神社の彫刻を氏子達に分配された
その一部である、一対の獅子の彫刻や龍のレリーフをお借りして「おしっさま展」で展示させ
て戴いた
江戸時代に出羽三山や朝日連峰の信仰、明治になり朝日軍道の開拓などで栄えた野川から朝日
連峰の山道は今では想像出来ない人の往来があり、文化の交流が存在したようだ
こう言う話もある
平山部落の一番上にある青木伴三郎は総宮神社の祭りに招かれた龍神を出迎える役だった
夜中、川原に座し龍神を待つのだそうだ
突然激しい風雨に襲われたかと思いきや後ろから声が聞こえたそうだ
「只今参ったぞ・・伴三郎ご苦労であった」
伝説も宝だ・・
夜も更けて晩酌も覚めてきた頃合いだ
伴三郎が何故龍神を出迎える役なのか疑問に感じた
今NHK大河ドラマの真田丸の家紋六文銭について調べていると
六文銭は死んであの世に行く為の三途の川の渡し賃が六文銭
無くなった人に最後のお別れの時に持たせる六枚の硬貨である
伴三郎の直ぐ側に野川があり、土橋があり総宮神社の例大祭には神官と獅子連中三役
そして警護が出迎えに行く習わしだった(現在は定かでない)
昔、山は神様であり霊の留まる神聖な霊場と考えられた
その出迎える、その場所が死後の世界と現世との境と考えられたのではないか?(推論)
龍神をあの世から招き、獅子に宿らせ人々に福をもたらす祭りを執り行うため
成田の獅子連中が獅子舞の準備で公民館に入ると、いの一番に行う儀式がある
講堂の中央に置かれた、塩を盛った鉢に硬貨を差し入れるのだ
そして服を脱いで下帯一つで傍の川で水垢離をする
硬貨を清め賽銭とする意味もあるのだろうが、獅子舞のため擬死再生の意で三途の川を渡る
六文銭を差し出し獅子舞を前に死をも恐れぬ気概を表すのではないか
現在は十円だったり五円だったり様々だが、そもそもは硬貨六枚を渡し賃として支払う
意味なのかもしれない
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