以前こちらでご紹介した瑞龍院の彫刻の作者が判明した
調査した方は、今年から「しらたか地域おこし協力隊」に赴任された石井紀子さんだ
白鷹町山口地区担当で、先月獅子頭制作実演でバッタリお会いした
石井さんは芸工大の修復科卒のバリバリの歴女というか仏女で、お若いのに大変詳しい
これから白鷹山口地区を中心にインディジョーンズのごとく歴史文化を発掘して戴け
のではないかと期待している
さて瑞龍院史にその発見があったらしい
実は先日、私も白鷹町の図書館でその本を手にしたのである
パラパラと点読大般若のように読んで後回しにした本である
瑞龍院観音堂の棟札に銘があったとか
(略) 棟梁北越村村上 稲垣八郎兵衛藤原正重 正重代
有磯周左衛門藤原高則
(略) 脇棟梁菅原鹿蔵藤原重正」
*銘文は『瑞龍院史』(平成3年、稲荷山瑞龍院史編纂委員会)より抜粋
彫り師は新潟村上の菅原鹿蔵だったのだ
このブログでもご紹介した十王龍澤寺の彫刻を三人の名人と共作した彫り師である
三人とは菅原鹿蔵、長谷部吉之助、新海惣松
・・・すると明治25年頃に制作された西高玉稲荷神社の獅子頭の彫り師の可能性も出て来た
二頭の内一頭は長谷部吉之助なので菅原鹿蔵の可能性大である!!
同神社長谷部吉之助作の獅子頭
・・・するとアレも?コレも?と獅子頭の顔が浮かんでくる
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