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獅子舞見聞記4

  • 獅子舞見聞記4
まず・・成田の獅子舞を取材記なのであるが、神社の建物に少し触れてみたい

というのも一般の神社と比べ拝殿が建築様式が少し違うのだ

一般的に神社は拝殿、幣殿(へいでん)、神殿に分かれている



川原沢巨四王神社



拝殿は横町の総宮神社の建築に見る様に、入り口に屋根から伸びたヒサシが伸び

大きな鈴がぶら下げられ、拝殿に上がる階段がある



成田の拝殿には、そのヒサシや階段が無いシンプル構造なのだ

詳しくご存知の方は教えて戴きたい

気になって近辺の神社をくるッと巡って比較してみた



勧進代の総宮神社は同じ様式だ



このように修験道の盛んな時代の歴史有りの神社であり、勧進代の総宮神社とある

八幡神社が合社されている為に獅子幕の前幕の麻布の部分には大きく「八」の
一文字が染め抜かれている



続いて西高玉の稲荷神社だ


成田の隣の蘊安神社も同じ様式である


平山熊野神社も・・

八幡神社繋がりで歌丸や河井も比較してみたが異なっていた

只今調査中なのだが、明治始めに廃止された修験道に関係しているようだ

何故此の様な疑問が湧き出て来たかというと、成田の出獅子(伝統的な言い方ではない)
の際、獅子頭を角力が受け取る場所である

総宮神社では奥の神殿前で神主から獅子連中に受け渡され、幣殿、拝殿へと獅子舞が続く
そして鈴のぶら下がっている拝殿入り口で千鳥(ちどり)と呼ばれる舞の後、境内に獅子が
放たれる

成田の角力にあたる警護は拝殿前に待機し、神社内には入らない

成田の獅子舞いは、総宮の獅子舞いの千鳥にあたる舞で始まり、神社内の舞いは無いのだ

神社形式の同じ勧進代と西高玉、五十川蘊安神社も同様である


さて世界大百科より引用
へんばい【反閇】を調べてみた

陰陽師が邪気を払い除くため呪文を唱え大地を踏みしめ,千鳥足に歩む呪法。
三足,五足,九足などさまざまの種類がある。
平安朝以来天皇・将軍など貴族の外出にあたって多く行われ,悪い方角を踏み破る意味が
あるという。
土御門(安倍)家の秘法では反閇のとき燃灯し,水,米,大豆,ゴマ,アワ,麦,酒,
生牛乳などを用意して散供(さんぐ)を行う。
平安朝,陰陽道の進出につれ,日本古来の鎮魂の作法が反閇と習合し,神楽が芸能化する
中世にはそれに伴って反閇も《翁》《三番叟》《道成寺》など猿楽にとりいれられ,
乱拍子(らんびようし)などとも呼び,祝福的意味をもつようになった。

千鳥足の部分を赤く表示しているのでご注目だ
前に記述した総宮の境内から出る際の千鳥の舞いの意味ではないだろうか?

更に三足、五足、九足などとさまざまあるという・・・白鷹の鮎貝八幡系の獅子舞
の七五三の舞いの意だろうか?

総宮系の舞い方は見返しという基本的な舞いの組み立てによって成り立っている
向かい合う方角、建物や人に対して行う重要な所作である
左足に右足を交差させ獅子頭を、歌舞伎の見栄を切るように振り返る

この足付きが独特で気になっていた


その【反閇】ついて面白い解説がある


「六甲術(遁甲術)」の1つに『反閇(へんばい)』とい呼ばれる法術があります。
「反閇(へんばい)」は、『禹歩(うほ)』とも呼ばれ、貴族や帝が出行する際や鎮めの際に
行われた呪法で、その所作は、陰陽師が邪気を払い除く為に呪文を唱えながら大地を
踏みしめ、千鳥足に歩むもので、悪い方角を踏み破るという意味があり、平安朝以来、
天皇や将軍などの貴族の外出にあたって多く行われ、陰陽道の宗家である賀茂・安倍両氏
の習伝するところとなっていました。
大地を踏む所作が「禹歩」と呼ばれ、陰陽道が進出するにつれ、日本古来の鎮魂の作法と
習合し、神道や密教、有職故実の世界などにも流入するに至り、現在でも相撲の力士の
踏む四股は、反閇に起源を辿る事が出来ると云われています

上記に六甲(ろっこう)術とある

六甲術を調べると

六甲術 ろっこうじゅつ
世界大百科事典内の六甲術の言及
【身固】より
…これは密教でいう護持に相当し,一般には撫物(なでもの)と称し,陰陽師の用いる人形を,
依頼する人がなでまわしてこれを川に流す呪法も,広い意味からは身固の作法の一部とみなしうる。
一説に身固は反閇(へんばい)の略法ともいわれ,反閇は六甲術とも称し,その作法の陰陽道の宗家
である賀茂・安倍両氏の習伝するところで,大地を踏む所作(禹歩)が含まれる。
鎌倉幕府では将軍の身固を9人の陰陽師が奉仕し,鶴岡八幡宮社参の際は廊車寄の戸においてこれを勤める。
・・とある
専門的でなかなか難しいが結局 六甲術=反閇=禹歩となる

総宮神社の拝殿内の獅子舞で六町建元総代に対しての舞いがある
口伝えで「ろっぽう」である 
一説には六方と称し・・天と地そして東西南北に対しての祓いであるという説もあるが

「ろっぽう」の語源はこの六甲術ではないか?

六甲術=反閇=禹歩=千鳥の舞いとなる

さて、総宮神社の千鳥の舞いについては後日ご紹介するとして成田の拝殿からの最初の
獅子舞に戻る

ここから仮説
角力から獅子連の頭に獅子が手渡しされると直ぐ舞が始まる
角力は獅子を使って拝殿の前の神輿に移された御神体を六甲術=反閇=禹歩によって祓い清めるのではないか

総宮の千鳥の舞とは違う成田のやり方によってだ

こんな資料もある
五十川蘊安神社の獅子舞いについて 芳文より
「嶽本芳雄氏著の五十川蘊安神社獅子舞の事」には

・・・なお現在の獅子振りの基本は明治40年、宮 総宮神社の名獅子頭斉藤与次兵氏が
五十川蘊安神社に適した振り方を当時の獅子連中に伝授し、連綿八十年後の現在に受け継がれている・・・とある

長井近辺の獅子舞いは総宮神社から習ったという
成田の獅子舞いも五十川と同じ様に斉藤与次兵氏の伝授であろうか?
仮説空想ばかりで眉唾物な話であるが、裏を固めて失われた世界を垣間見たいものである

                   次回につづく
2015.09.23:shishi4:[コンテンツ]

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