精のノート
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マダリソの思い出 イタリア人監督!?
ザックジャパンが好調だ。
前への推進力を打ち出したスタイルでアルゼンチンに勝利し、宿敵韓国にもあわやという素晴らしいゲームをした。
イタリア人監督がどこまで日本のサッカーを変えられるのか、あるいはイタリア人のコンセプトが日本で適応するのか議論が分かれているが、個人的には期待している。
イタリア人監督と言えば、ザンビアで活動時代、ザンビアフットサルリーグで、イタリア人監督が率いる、スポーツ・アリーナというチームに所属し、プレーしていたことを思い出す。
このイタリア人は名前をマウロといい、ザンビアフットサル代表監督も兼任している人で、ザンビアにフットサルを持ち込んだ人物でもある。
まあ、このチームはマウロが自分でもプレーしたくて作ったチームではあるが、こんなチームでもイギリス人やイタリア人、アメリカ人、イスラエル人などが所属しており、多国籍であったため、外国でプレーすることの大変さなど、勉強になるところも多かった。
特に、イタリア人が監督であったため、守備にはかなりうるさく言われた。
早くブロックを作り、それを崩さないようにディフェンスすることをしつこく言われ、「ああ、イタリア人だなあ」と感じた。
また、英語が不得意であったため、試合中の意志疎通が上手く図れず、自分の考えと合わずに交替させられたり、ロッカールームでもチームメイトの話についていけず、孤独感を感じたり。
自己主張の強いイタリア人やイスラエル人に押され、自分にミスを押しつけられてしまうこともあった。
プレーそのもの以外の部分で、チームになじめない難しさを感じた。
結局、自分の役割を割り切ってしっかりこなしたり、よく分からなくても個人的な雑談をするように心がけたりして、少しずつ認めてもらい、最終的にはなんとか試合に出してもらえるようになった。
向こうもガンガン言ってくるので負けじと言ってみると案外向こうも文句を言うぶん、こちらが言うことにもそんなに気にしないらしく、スムーズにコミュニケーションがとれるようになった。
なめられないように遠慮しないで主張することも大切だと感じた。
外国でプレーするといろんな要素がサッカーに含まれてくる。
おもしろい経験をさせてもらった。
写真はチームメイトの日本人。
ガンバのユースで稲本選手らとプレーしていた人だった。
2010.10.13:
sei36
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プロのいも煮????
先週学年行事でいも煮会が松川河川敷で行われました。
たくさんの保護者にも参加していただき、大人の「力」を見せつけられながら
いも煮を楽しみました。
さて、当然わがプロコース、1年7組も参加しました。
うちのクラスは全員で一つの鍋を作り上げたのですが、男は火の担当、女子は調理の担当、味見はみんなでなどと結構うまく役割分担し、仲良くやっていました。
プログレスコースだけに、「プロ」の味を目指し、お酒の量をちょっと多くして味をまろやかにしてみたり(保護者の方の好み???)、
みそを隠し味に入れて味を調えてみたりと工夫してやっていました。
味は・・・
もちろん最高!!
クラスの仲の良さ、まとまりの良さ、人の良さを象徴するような、それぞれの具材の良さがそれぞれにうまみを出し、
それらがまとまって、バランスがいい非常に調和の取れた味で、
さらに、食べると心まで温かくなり幸せを感じる素敵ないも煮
ができました。
作っている間も色んな話をすることができて、僕も久しぶりにたくさん笑い、
お腹も心も満足した一日を過ごすことができました。
最後はみんなでクラスTでの記念撮影。
また大切な思い出がみんなの心に刻まれたね。
2010.10.12:
sei36
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マダリソの思い出 色々な子
ザンビアでも美術という科目があった。
クリエイティブアートというのがその名前だ。
名前の通り、創造力を養おうというのが狙いなのかもしれない。
ところが、
ところがである。
ここはザンビア。
やはり絵の具やクレヨンといった、美術に必要な道具がない。
もちろん、描くための紙もないといった感じだ。
僕はザンビアで4年生5年生の混合クラスの先生だった。
当然、この美術の授業もしなければならない。
普段は地面にみんなでゾウやキリンの絵を描き、そこに石を敷き詰めて絵を完成させたりして協力すること目標に行っていた。
それはそれで楽しいのだが、物足りなさも感じていた。
で、
美術をやる父親に頼んで絵の具を送ってもらった。
そして、日本では定番の、手形を押す授業を行った。
テーマは友情。
みんなの手が集まって、一つの完成された絵になる。
もちろん、一つ一つの手はいろんな色(個性)があって、そんな色(個人)が集まって素晴らしい絵(みんなの輪)ができるということをテーマに。
これがとても面白かった。
日本では定番であまり盛り上がらないのかもしれないが、ザンビアではこんなことも初めて。
子供たちは大騒ぎで色を選んでは手に塗っていく。
右手は青、左手は赤と色を変える子どもも、両方緑の子も。
それぞれがいろんな色(思い)を紙に押し付けた。
素晴らしいカラフルな一枚の「芸術作品」が完成した。
壁に貼ると「ワーーーーー!」
という歓声と拍手。
みんなでああだこうだと感想を述べながら絵の前を離れなかった。
みんなで作り上げた作品を前に照れくさそうに
「ワンダフル」
と言った笑顔が忘れられない。
そして、ここで終わらなかった。
なんと、この日、この地区の水道が止まった。
ということは子供たちは手についた絵の具を落とせないということだ。
家路につく彼らを見送りながら、
あいつら色のついた手でシマ(現地の主食。手で食べる)を食べるのだなあと思うと笑えてきた。
2010.10.01:
sei36
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マダリソの思い出 時間を生きる?人と生きる?
今日、朝から雨が降っていて、ふと
「ああ、ザンビアだったら2時間は遅れて学校が始まるなあ」
と思い出しつつ、日本がいかにわずかな狂いもなく時間通り動いているかを感じた。
一方で日本人の、時間に縛られた生活を異常に感じたことも思い出した。
ザンビアは悪く言うと時間にルーズである。
というよりも時間というものに関して、考え方が違うのかもしれない。
長距離バスに乗る時、7時出発とは言ってもだいたい9時や10時に出発する。
日本でバスや電車が2時間も遅れたとなると大問題になるだろう。
人々は怒り、この時間をどうしてくれるんだと苦情で収拾がつかなくなるはずだ。
そして、無駄な時間を「費やした」と嘆くだろう。
まさに、日本人にとって、時間は費用と密接な関係を持っている。
また、日本に帰国した時に異様に感じたことがある。
乗客がそれぞれが携帯を手に、機械とにらめっこ。
人々が同じ空間にいるのに、それぞれが携帯とにらめっこ。
まるで周囲の人と異空間を生きてるかのよう。
ザンビアは違った。
バスが2時間遅れようと3時間遅れようと何てことはない。
銀行などの長蛇の列もなんのその。
隣り合わせになった人との楽しい会話の時間となる。
だから誰も文句を言わない。
僕もよく隣に座ったザンビア人と出発前、いや出発してからも色んなことを話した。
老若男女問わず至る所で会話の花が咲いている。
ちょっと隣り合うことが出会いの空間となる。
時間は費やすものではなく、「生きる」もの。
人はバラバラに存在するのではなく「共生」するもの。
同じ「生きる」という行為をしているのに、違う「生き方」をしているなと感じた。
僕はやっぱりザンビアンライフがいいらしい。
写真は長距離バスターミナルで出発前にバス会社の社長と談笑
2010.09.28:
sei36
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マダリソの思い出 クワチャ安!!
最近日本では円高が問題となっており、ニュース番組や新聞で取り上げられている。
先日僕もザンビアへ送る学校からの寄付金(文化祭の模擬店やバザーの売り上げをザンビアの学校に寄付)をドルに替えた時、円高の恩恵にあずかった。
おかげさまで1000ドルを僕が活動していた学校の代表者に送ることが出来た。
さて、ザンビアの通貨はクワチャだ。
僕たち協力隊員は現地で、生活費が支給される。
しかし、クワチャで支払われるのではなく、ドルで現地で開いた銀行口座に振り込まれ、それを引き落としてクワチャに替えて使用していた。
だから、常にクワチャとドルのレートは気になっていた。
僕たち隊員にとって、わずかなレートの変動が生活を大きく左右するからだ。
僕が配属された時、銅の経済が好調で、1ドル3000クワチャだった。
そして、僕はだいたい一週間100ドル(=300000クワチャ)で生活していた。それは結構厳しいもので、ほとんど贅沢などはできなかった。
ところが
ところが任期中にザンビアの現職大統領が亡くなるという事件があり、そこから政情不安定という理由でクワチャがだんだん安くなっていった。
結局1ドル6000クワチャくらいまでになった。
僕たち隊員はこれが嬉しくて仕方がなかった。
だって、100ドル替えて300000クワチャだったのが、
同じ100ドルでもその2倍、600000クワチャになるのだから。
当然、暮らしが楽になる。
ビールも以前より気にしないで買えるようになる。
今がチャンスと1000ドルほど一気に替えたことを覚えている。
それも少しでもレートの良いところと、タウンを走り回ってあらゆるビューローを調べ、10クワチャでも良いところで替えた。
そしてザンビア人に言われた。
「なぜ日本人が金持ちになったのかよく分かったわ」
・・・・
恥ずかしい思い出だ
2010.09.24:
sei36
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マダリソの思い出 燃えるボート!!!
昨日日本では注目の民主党代表選挙が行われた。
うちのクラスの生徒が
「こんなにコロコロ首相が替わる国も珍しいですよね。
っていうより安定しないからやばいですよね」
と素直な感想を漏らしてくれた。
若者の政治離れが叫ばれる中、そんな話題で盛り上がるクラスを見て、
「日本もまだまだ大丈夫!」
と思いつつ、ふとザンビアの選挙を思い出した。
ザンビアで活動中、大きな選挙があった。
大統領選挙だ。
任期中の現職大統領がなんと病気で倒れ、そのまま逝去してしまったため、
次の大統領を決める選挙が行われた。
ジンバブウェやケニアでは大統領選挙に伴う暴動、混乱が生じたため、派遣されていた隊員が帰国を余儀なくされてしまうということもあって、ザンビアの隊員は非常に心配していた。
しかし、一方で、
「このザンビア人があんな暴動起こすわけがない。」
とたかをくくっていたことも事実だ。
それでも一部、熱狂的なある政党のサポーターが騒いでいて怖い思いもした。
その日も夕方、帰宅するためにバスに乗ろうと、マーケットの方に歩いていくと、なにやらいつもと違った雰囲気があり、大声も聞こえてくる。
それでもバスに乗らなきゃと近づいていくと、
なんと、なんと、
ある政党の旗を振ったり、おそろいのTシャツを着たザンビア人たちがボートを燃やして騒いでいた。
英語で投票することをボートという。だからそれに引っかけて木で作られたボートを燃やし、騒いでいたのだ。
周り構わず石を投げるヤツもいて、かなり危険な状況だったが、それ以上は騒動にならなかったようだ。
一部、ある政党の幹部の家が放火にあったという話も聞いたが、おおむね平和に選挙が行われた。
そのへんはやはりザンビア人だなあと感じた。
隣国で唯一戦争や内紛を経験したことが泣く、独立も武力によらずに果たした国、ザンビア。
人々はその平和である国柄を誇りに思っている。
これからもずっと平和であってほしいと願うばかりだ。
(怖くて写真どころではなく、残念ながらこの混乱の写真はない)
2010.09.15:
sei36
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マダリソの思い出 募金
中国で豪雨による水害・洪水の被害が拡大していることは皆さんも周知の事実だと思う。
本校の生徒の実家がある吉林省も被害にあり、現在本校では生徒会を中心に災害見舞金の募集を行っている。
募金というのは誰でもできるボランティアの在り方だと思うが、その募金の仕方に驚いたことがある。
ザンビアで活動していた時、隊員仲間とカフエ国立公園に遊びに出掛けた。
夕方、宿泊先のロッジでビールを飲みながら話をしていると、そこでヨーロッパから遊びに来ていた白人男性と居合わせた。
色々な話をしている内に、僕の話になり、自分の活動や学校の様子を伝えた。
すると
なんと、彼はポケットから300ドルを取り出し、
「これで子どもたちに役立つものを何か買ってくれ」
と手渡された。
なるべく自助自立をと思っていた僕は受け取れないと断ったのだが、
「これは俺の善意だから」
とのこと。
募金とは無理のない範囲で気持ちを寄付するという感覚が僕の中にあったので、
この300ドルというお金をポンと出すことに驚いた。
その場にいた留学経験のある友人によると、欧米では募金をすると言うことがかなりのステータスとなり、尊敬を集めるからそれなりの額を募金することがその人の人となりを象徴するような部分があると教えてくれた。
結局その300ドルは机と椅子の修理及び屋根の修理に使わせてもらった。
それでも、それでも僕はいつでも気軽に、しかも継続的に支援するためには無理のない額で行っていく方が、負担が少なくて良いのではないかと思っている。
写真はカフエ国立公園にて
2010.09.10:
sei36
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マダリソからのお知らせ
恥ずかしながら皆様にお知らせ致します。
ザンビアでの活動中書きつづっていたブログを中心に、ザンビアでの活動・生活を本にまとめてみました。
ネガティブなイメージで語られがちなアフリカの本当の姿を知ってほしくて、ザンビア人との交流、現地で感じたことを現地でのリポートをそのまま活かして、リアルタイムで感じているかのようにまとめてみました。
講演などでは語り尽くすことの出来ない体験やエピソードも入っており、現地での活動の様子がよく分かるようになっていると思います。
ぜひ購入していただければなと思っています。
明日の九里祭・一般公開時に1階JRC部の展示会場にて販売しております。
1500円です。
2010.08.27:
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1年7組展示は「見えない兵士」
いよいよ九里祭が開幕しました。
わが1年7組は「見えない兵士」について展示します。
読書会で「戦場から生きのびて〜僕は少年兵士だった」を読んで、
「自分たちはもっと子ども兵について知らなければならない」
「多くの人に子ども兵について知ってもらいたい」
との思いを持ち、今回の九里祭で「見えない兵士」と呼ばれる「子ども兵」についての展示を行います。
調べる過程で多くの事実や衝撃の体験を知り、やりきれない嘆きと憤りと悲しみを感じ、様々な思いを今回の展示にしてみました。
子ども兵について自分たちの思いをテーマにしたCMも作成し、展示会場で流します。
ぜひ多くの人に足を運んでいただきたいと思います。
そして、わが1年7組の生徒たちの「思い」を感じてください。
2010.08.27:
sei36
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マダリソの思い出 ザンビア人は歯が命?
アフリカの人たちの顔立ちというと、
大きなまん丸の目に真っ白な歯が印象的だと思う。
子どもたちがそんな目を一層大きくして瞳を輝かせ、白い歯を見せながらにっこり笑ってくれると本当にかわいらしい。
そしてよく思った。
なんでザンビア人はこんなに歯が白いんだと・・・。
ザンビア人に聞くと
「さとうきびを食ってるからだ!!
お前たち日本人はさとうきびを食わないから歯が白くないんだ!」
との答え。
驚いた。
歯が白いのはさとうきびが原因!!??
たしかに大人も子どももよくさとうきびをかじっている。
長くて太いさとうきびを歯で上手に向きながらかじっている。
さとうきびをかじりながら歩いている姿をよく見る。
僕が教えていた子どもたちも休み時間にどこかに行ったなと思うとさとうきびをとってきてはかじっていた。
甘いのが苦手な僕はあまり食べないでいたのだが、
「ティーチャーも食べな!」
と言って子どもたちがよくくれた。
その日も夕方、腹を空かして帰宅しようとすると、サッカークラブの子どもが
「コーチ、これを食っていけよ!パワーーーーー!!!」
と叫びながら長いさとうきびをくれた。
これはいいと思い、ザンビア人みたいにミニバスの中でむしゃむしゃやっていた。
すると・・・
それを後輩隊員に見られていたらしい。
「せいさん、ほんとザンビア人と一緒っすねえ。
ミニバスん中でシュガーケーン(さとうきびのこと)かじってんのザンビア人かせいさんくらいでしょ!」
と笑われた。
僕も言い返した。
「いいんだよ!お前さとうきび食うと歯が白くなるのしらねえだろ!!」
言い訳もザンビア人と同じだった・・・。
夏になり、すっかり日焼けして、今じゃザンビア系日本人になった。
あの甘い味がちょっぴり懐かしい。
写真はさとうきびをかじる少年
2010.07.14:
sei36
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保護者の皆さまへ ベトナム訪日団ホームステイ終了
7月3日から受け入れたベトナム訪日団のホームステイが先日終了しました。
ホームステイを受け入れてくださった保護者の皆さま、並びに一般のご家庭の皆さま、ありがとうございました。また、お疲れ様でした。
昨日の歓送会では名残惜しいように何度も抱擁し、手を握り締め、涙を流している姿がいたるところで見られました。
それだけかけがえのない、充実した時間を過ごし、お互いに熱いものが生まれたのではないかと思います。
それこそが真の国際交流で、このお互いに理解し、互いにかけがえのない大切な家族のような存在だと感じることが、両国をつなぐ懸け橋になるのだと信じて疑いません。
とても純粋で素朴で、フレンドリーなベトナム人。
今までちょっと遠い存在の人々だったのがぐっと一番近い存在になりました。
あの笑顔は忘れることができないと思います。
世界も含めて「We are family」
九里学園はこういったプログラムをまた用意いたします。
今後もご協力をお願いしまします。
このたびは大変お世話になりました。
2010.07.08:
sei36
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マダリソのつぶやき 貧困と富の分配
今日、わが1年7組のHRでは、山形の国際協力NGO、IVYさんに来ていただき、貧困と世界の富の分配についてのワークショップを行っていただいた。
子供兵の問題を掘り下げていくと、その根底には貧困という問題があった。
また、貧困にあえぐ者たちは、犯罪によって富にアクセスしようとするということもあり、その流れの中で、子供たちがテロや武装組織に組み込まれてしまうことも考えられた。
だから、貧困について知っておく必要があると思い、今回、カンボジアで教育や農業支援を行っているIVYさんに、カンボジアの写真やロールプレイを通して、裕福層と貧困層の違いについて考えるワークショップを行っていただいた。
ロールプレイでは、一人ひとりがカンボジアの家族になりきってふたつの家族の様子を演じ、裕福層の暮らしと貧困層の暮らしを比べてみた。
そしてある仮想の村での収入や支出を予想し、いかに格差が開いているかを知った。
その中で、貧困層の家族を演じたグループは「なにもねえんだよ」と開き直ったり、裕福層のグループをねたむ場面もあり、これが実際の村での感情となっていくんだと体験的に知ることができた。
そして、世界の富の80%をたった20%の裕福層が独占しており、残りの20%の富を80%の人々(ほとんどが中間層の人々で、20%ほどの貧困層の人々は世界の富の5%ほども持っていない)が持っているというアンバランスな事実を知り、これはやばいだろうとみんな驚いていた。
最後にこういったカンボジアの状況、世界の富の分配の不公平さをどうしたらよいか、自分たちで考えて発表した。
どれもが彼らなりに出した素晴らしいアイディアだった。彼らの発想の面白さに担任は感心した。
現役の東北大生と山大生にもファシリテートしてもらった今回のワークショップ。
終始、楽しくまさに参加体験型のだいご味を十分に味わうことができた。
そして、自分たちなりに貧困について考えることができてよかったと思う。
2010.07.07:
sei36
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マダリソのつぶやき 戦場から生きのびて
1日1日を生きのびることが
僕の人生目標だった。
人を殺すことが水を飲むのと同じくらい簡単になった。
頭がぷつんと切れて良心の呵責に耐えられないことを記憶するのをやめた。
シエラレオネで戦火を逃れて逃亡生活をし、捕らえられて少年兵として戦場で
生きることを余儀なくされたイシメールの言葉だ。
読書会で1年7組は「戦場から生きのびて・ぼくは少年兵士だった」を読んだ。
見えない兵士と呼ばれ、子供兵として、毎年50万人以上が犠牲になり、毎分1人の命が失われている。1000万人以上が心に傷を負っている。
本来、様々な夢を持ち、希望を持って人生を歩み、その可能性を広げていくはずの子ども。
それが生きることそのことだけが目標となってしまう悲しさ。
ドラックや心の障害で感覚がおかしくなり、水を飲むように銃で人を殺してしまい、良心をなくしてしまう恐ろしさ。
楽しいはずの子ども時代を奪われ、大切な家族を失い、そして人生を奪われていく。
そんな不条理なことに強い憤りを感じる。
生まれた国がたまたま違うだけで、こんなにも不平等であっていいのだろうか?
どの子どもたちにも楽しく安全に生きることが保障されているべきである。
この本を通じて子ども兵たちの苛酷な体験を知った。
心の傷の深さを感じた。
それでもこの本の著者は最後に希望を持つことが出来た。
そのことにとても救われた。
読書会で、この問題について自分たちにはどんなことが出来るかを話し合った。
子供兵の更生をを支援するNGOに募金するなどして支援する。
多くの人に子ども兵の実態を知ってもらえるような展示や発表を行う。
小型武器抑制やなど、戦争反対に関するイベントやキャンペーンに参加する。
いろんなアイディアが出た。
もちろんそれは小さな始まりにしか過ぎない。
でも、解決に向けての確実な一歩になるはずだ。
無関心で何もアクションを起こさないことが一番良くないことだからだ。
子供兵が一人でも救われるように。
ぼくたちは夢を持ってこの問題にアプローチしなければならない。
わが1年7組から始まる小さな輪が、いつか世界に届くことを信じて、彼らとこの問題に関わっていきたい。
2010.07.02:
sei36
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マダリソのつぶやき 帰国して
今週、ザンビアから帰国してちょうど1年がたった。
今距離的にも遠く、文化の面でも全く異なる日本で生活していると、ザンビアで活動していたことなんて、ウソのように思えてくる。
あれから1年、いろんな講演をして活動を振り返るたびに、
「もっとこうすればよかった」
「あんなことをやればよかった」
「あれもこれもできなかった」
と後悔ばかりが僕の胸をふさぐ。
そして、常にある疑問が頭から離れない。
僕があの地にいた意味はなんだったのか、
意味はあったのか?
と・・・・。
それでもザンビア人と過ごした思い出もやはり片時も頭から離れることはない。
1年前、僕をルサカ空港まで見送りに来てくれた大勢のザンビア人の友人や教え子たち。
彼らと別れる時、涙が溢れてきた。
飛行機の中で、彼らからもらったたくさんの手紙や寄せ書きを何度も読み返しては涙がとまらなかった。
彼らとの貴重な出会い、そして思い出は僕が紛れもなくザンビアにいたことの証。
あの疑問はこれからも頭から離れることはないだろう。
でも、彼らとの思い出を大切に、これからも彼らと共に歩んでいきたい。
写真は帰国時ルサカ空港にて。
(教え子たちが集まってくれた)
2010.06.19:
sei36
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ブータンってどんな国? 国際理解教育!!!
アフリカで活動してきた僕にとっての関心事は、やっぱりいろんな国のことをみんなに知ってもらうこと。
つまり国際理解。
だからできる限り生徒達が他国の文化や習慣について学ぶことができる時間を作ろうと思っている。
そしてそれが異文化理解となり、これからの社会をよりよく築き上げていくことにつながると信じている。
ということで今回は協力隊時代にザンビアで共に活動し、帰国後今度はブータンに派遣されて活動してきた友人に来てもらい、講演をしてもらった。
ブータンは長いこと鎖国をして自国の文化を守ってきた国だ。
幸せの国と呼ばれ、国民総幸福量という独自の指標を用いて、国の政策を行うおもしろい国でもある。
話の中で、電気を通す電線と、鶴が飛来する環境のどちらをとるかの選択を迫られた村人が、電線を作らずに鶴が飛来する環境を守ることが自分たちの幸せだと選択し、国がそれを尊重したというおもしろい話を聞くことができた。
日本人の価値観、ものの見方では考えられないことである。
知らないことを知るって楽しいことだと思いつつ、ブータンという国への興味が更に湧いた講演だった。
2010.05.22:
sei36
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