精のノート

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今日、米沢工業高校にて、地区総体のリーグ戦最終戦が行われました。
10時キックオフで対長井工業高校。

前半は相手の3−5−2のシステムに戸惑い、中盤を支配されて苦しい展開。
しかし、九里は全員が集中を切らさず、最後まで体を寄せて決定機を作らせません。
なんとかしのいで前半終了。
ハーフタイムで監督佐藤が前半の分析をもとに指示を出して修正。
後半は相手の動きにも慣れ、対応できるようになるに従って、徐々に九里ペースに。
相手の3バックの背後のスペースをうまく突き、左から立て続けにシュートまでもちこみました。なかなかゴールが割れずにいましたが、点数の匂いが・・・。

右からも深く相手自陣をえぐってチャンスを作るもまたもやゴールならず。
1点が遠いなと感じた残り3分。
九里コーナーキックからゴール前で混戦となり、ゴール正面からフリーでシュート。
ベンチも飛び出し、決まったと思った瞬間。
相手ゴールキーパーのファインセーブにあい、またもやゴールならず。

結局このまま引き分けで試合終了。

残念ながら県大会出場の目標には届きませんでしたが、九里らしい、走りきるいいサッカーができたと思います。

多くの方が応援にかけつけてくださいました。とても大きな力になりました。
ありがとうございます。

明日は9時キックオフで対戦相手は高畠高校です。
明日はきっと勝ちます。
また応援よろしくお願いします。
今日もお絵かきイベントを行った。
今日は、2週間前に来てくれて仲良くなったYちゃんが来てくれた。

Yちゃんはとても絵が好きで、前回もたくさんの絵を描いてくれた。
市営体育館を出て、アパートに暮らし始めたので、前回は参加していいのか分からずに来なかったそうだ。それでも先週、お母さんに会うことができて、連れてきてと伝えたところ、本当に来てくれた。

「今日は何を描くの?」
と聞くと、
「今日は絵手紙にする」のだそうだ。
早速、はがきを持ってくると、絵の具でサクランボの絵を描き始めた。
そして、これに
「文字を書くんだあ」と言って、黒の絵の具で字を書き始めた。

その文字は、
「甘くなあれ」

僕の感覚だと
「甘いよ」とか「甘くなったよ」
とかそのおいしさを伝えるもんだと思っていた。

ところが
「甘くなあれ」

次はブドウの絵を描き、
「たくさんなあれ」
バナナには「いっぱいなあれ」

とそこには「願い」が書き込まれた。

そして、本人とお姉ちゃん、お母さんが並んだ絵を描き、
また、お姉ちゃん、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして本人が並んだ絵も描いて
どちらにも
「楽しくなあれ」と・・・。
どの顔も笑顔で微笑んでいる顔が並んでいた。

昨日の地震で、Yちゃんは頭を抱え、
「なんで、せっかく一生懸命に忘れようとしてるのに〜!!」
と叫び、熱を出してしまったらしい。

そして、今日のこの願いの込められた絵。

ああ、この子も必死になって前に進もうともがいてるんだんなあ。
今ある状態から抜け出して、いいことがたくさんある生活をしたいんだなあ。
と彼女の小さな胸の叫びを聞き、声にならない声をあげ、ただため息だけが漏れた。

きっと希望を持っていないと、自分の心が崩れてしまいそうで、不安なんだろうなと思う。
一生懸命、希望を忘れず、進んでいこうとする彼女。
彼女の願いが一日でも早く実現することを願った。
小さな彼女が必死になって戦っているのだから、僕たち大人がしっかりと支えてあげないといけないと強く感じた1日だった。
今日、避難者の方がいる市営体育館である少年に出会った。

僕がお手伝いをしているボランティアグループ「クレヨンネット」のお絵かきイベントでだ。

今日は数名の子ども達が来て、思い思いに絵を描いてくれたのだが、その時に一人の男の子と仲良くなった。

彼が絵を描いている傍らに座り、筆をとってあげたり、水を換えてあげたりしていた。するとだんだん仲良くなり、いろいろ話してくれるようになった。

今描いている絵のこと、妹のこと、お父さん、お母さんのこと。
いろんな遊びに行った時の思い出も話してくれた。

「放射能怖いよ」

と言いながら絵を描く姿に僕は言葉を失った。

「今度小学校行くんだ」
という言葉に、かけるべき言葉が見つからなかった。

そして、彼の言葉をただただ聞いていた。

でも、彼は
「僕ね、大丈夫なんだ。モンスターをやっつけるんだ。」と言ってくれた。

「どうして?」と聞くと、

「お父さん頑張ってるよ。
 お父さん、今日も相馬に仕事に行った。夜遅く帰ってくるけどお父さん頑張って るもん。」

驚いた。
すごいなあ、こんなに小さいのに、しっかりとお父さんの気持ちを受け止めているなあと感心した。
彼は色んな思いをしながらも、その小さいな胸にお父さんの思いをしっかりと抱き、前を向いているんだなあと感動した。

帰る時、「また来るよ」と言って手を振ってくれた彼の姿に、
「ありがとう」
と温かい気持ちで答えることができた。

今日はなんだかホッコリとした気持ちになれた。

彼は僕に
「頑張れよ」
と伝えに来てくれたのかもしれない。
今日、名取に行ってきた。

震災から一週間。
名取の両親の顔を見たかったのと同時に、なんとかやりくりしていた食料も底をついたらしいので、応援に行ったのだ。

宮城は今、深刻な物資不足に陥っている。
被災地ではスーパーなどが優先的に避難所に物資を供給しているため、モノがない。だから、多くのスーパーが閉店しており、開店しても需要に見合うだけのモノがないのだそうだ。ガソリンも圧倒的になく、買いに出かけることも不可能な状況。

仙台空港近くの友人宅も深刻な食糧難に陥っていたため、少しの食料を携え行ってきた。なんとそこでは近隣で家を流されてしまった両親や親せきなどが集まって10人以上で2階で生活していた(1階は津波で浸水にあったため、使用できない)。
近くにはスーパーがなく、他の地区のスーパーに行こうにもガソリンがない。
しかもほとんどの店が閉店。
このような状況で、みんなが辛い思いをしていたらしい。

付近の人はみんなどこかへ行ってしまい、取り残されていたらしく、支援も入っていない状況。聞くと、近くにも似たような境遇の人が集まっていると聞き、わずかに残っている餅を届けてきた。
公的な避難所ではなく、NGOも入っていない集会所だ。

近隣の避難所に食料をもらいに行ける人はまだいいほうで、避難所での生活をやめた人、あるいは親せきを頼って、災害のひどい地域にいまだに残っている人たちは支援の盲点となっている。そうでなくても、宮城県全般において、深刻な食糧難に陥っている。

想像以上の状況だった。
ある情報では、物資はある程度足りてきていると言っていた。
ところが、現実は想像を超えるものである。

人は想像するという能力を神から授けられた。
今年度、僕のクラスの授業でも想像力についての授業をした。
想像することで、人類はあらゆることを成し遂げることができた。

今、想像することが求められていると思う。
被災地の人の状況を想像する。
彼らの心理を想像する。
これからのことを想像する。

そうするとここ米沢にいる我々の行動も変わってくるはずだ。
ちょっと想像すれば、私たちと被災地の方とのつながりも想像できるはず。

訪れた友人の子供は、津波のことがトラウマになっているようで、水が怖くなってしまったそうだ。たぶん、お風呂なんてとんでもないと母親は言っていた。
彼らの今後のことも想像することも必要だ。

学校に行けなくなった子どもたちもいるだろう。
文房具がない子どもたちもいるだろう。
今は春休みシーズンで比較的ボランティアも集まりやすいが、これが終わったら・・・。

生き残ってしまったと考えてしまう人もいるらしい。
彼らの未来も、生き方も想像しなければいけない。

私たちにはたくさんのやるべきことがある。
それでも、私たちは「想像力」を使い、解決していかなければいけないと思う。
人は想像することで、宇宙へ行くことも可能にした。
それならば、想像することで、不可能に思えることも可能にすることができるはず。

さすがに買い占めなどと言う愚かな行動はなくなったと思う。
それでも自分たちの行動がどうつながっていくのか、被災地の人の心情はどうなのか、遠くにいても考え続け、自分たちを律していかなければいけないと思う。
それが今求められている「想像力」であり、本校の「譲」の精神につながることだと考える。

福島の原発が予断を許さない状況下で、現在も続々と福島から避難してくる人がいる。
ここ置賜地区でも避難民を受け入れており、各地に避難所が設けられている。

米沢の市営体育館も避難所となっているが、そこでは数名の本校生、及び卒業生がボランティアとして働いている姿を見ることができた。
もしかすると他の避難所でも生徒や卒業生が同じようにボランティア活動に励んでいるかもしれない。

多くの他のボランティアの方たちと力を合わせて、人々の助けとなるよう頑張ってほしいと思う。

一方で、かなり多くの方がボランティアに駆けつけてくださったようだが、そのボランティアの方たちを統括し、指示を出すことが難しくなっているという話を聞いた。
おそらく、予想を超える人数のボランティアが集まり、また、こういった状況なので、混乱も生じ、忙しさも手伝って、ボランティアの統括にまで手がまわらないのが現状なのだろう。

そこで、各地で働く本校生や卒業生の皆さんには、自主性を持って活動してもらいたいと思う。
何かしたいという気持ちがああって、駆けつけているのだから、指示を待つのではなく、何をやろうか、何をしたらよいのか考え、自主的に動いてほしいと思う。
迷ったなら、そこで避難している方に困っていることはないか、何をしてもらいたいか、個別に聞いて対応してもよいと思う。
そういったニーズを聞くことによって、何か自分にできることができるかもしれない。もしかすると、話を聞くだけでも立派なボランティアになるかもしれない。

参考までに、阪神大震災時に、「被災地の人を応援する市民の会」事務局長を務めた早瀬さんは次のように言っている。
「ボランティアに一番大切なことは、一人ひとりにこだわることなのですよ。つまり、行政は、公平に対応するのですが、一人ひとりの生活に寄り添えるのはボランティアなのです。例えば、今回の場合は事態が違うので、一概には言えませんが、津波がなく震災だけだった阪神淡路大震災の時に、我々が被災地でやったことは、今日みたいな日だったら、被災者の皆さんが家に帰って、荷物を探しているわけです。そういう時に、ボランティアも一緒になって色々なものを探すのですね。へその緒を探したり、ああ、これはねとか、そういうような一人ひとりの生活に寄り添うことが、ボランティアの役目なのですよ。行政は、個別に対応することはできません。何百万人とか言うけれど、数ではなくて、全部一人と一人と一人の合計が、何百万になる。だから、一人の人に寄り添うということが、ボランティアの本来の仕事なのですよ。」

心の温かい君たちだから、きっとほっとする方も多いはずだ。
君たちの行動に僕も温かい気持ちになったのだから。
震災から一週間。
まだまだ、避難生活を送っている人もいるし、救助活動も行われている。

各地から続々と被害についての報告が入り、そのたびに落胆し、やり場のない怒りさえ覚える。

先が見えない現状に、眠れない日々を送っている人がどれほど多いだろうと想像すると、胸が苦しくなる。

そんな中、多くの人が立ち上がり、支援の輪が広がっていることはとても嬉しいことだ。この日本、まだまだ捨てたものではないどころか、これほどのうねりを作り出せるパワーを持っていると誇らしくさえ思える。

しかし、一方で心配していることがある。
ひとつは支援活動だ。
今、多くの人が自分にできることはないかと、ボランティアを初めとする活動に参加したり、物資を送るなどの行動をしている。
それは大きな流れとなり、明日へ向かって大きなパワーとなっている。
しかし、今回は恐らく長丁場になるだろう。そうなった時、このパワーにガス欠がおこり、流れが止まった時に、どうなるのだろうかという不安がある。
取り残された人々は、物資は、流れに乗った人々のその後は・・・。

これは決して今回の動きに水を差そうというモノではない。

ただ、一時的なモノではなく、長い目で見て、先を見通しながら継続的な援助を考えなければならないということ。
決して一つのムーブメントとして終わらせてはならないことであり、本当に全ての人が本来あるべき姿に戻ることができるまで、動き続けなければならないと思う。

もう一つは外国人だ。
今回、至る所で多くの外国人も被害にあっているはずだ。
しかし、恐らく、多くの情報が日本語によって共有され、日本語を母語としない外国人は社会的盲点となり、救助、あるいは援助が行き届かない可能性もある。
今後も充分なケアがどれほど受けられるか。
英語や韓国語、中国語などでのリソースセンターが動いてはいるモノの、末端の部分でどれほど情報が細部に渡って伝えられているか不安である。

大学時代、そのような日本語をあまりよく理解できない外国人のための災害マニュアルを作成したことがある。
そして、実際にザンビアで外国人として生活してみて、マイノリティが不便を感じるつらさを味わってきた。大統領選挙前の暴動に出くわした時はどう動いたらいいか分からず怖ささえ感じた。

国際社会、グローバル社会と言われるこの社会で、決して外国人が社会的弱者になってはいけない。彼らが立派に社会的に保障されて「共生」と言える。
そう、この震災時でも、「共に生きる」ことができるように、外国人への支援も考えたいと思う。
この状況下、自分に何ができるのだろうか?
何をしたらよいのだろうかと考え、やきもきしていている人も多いと思う。

僕自身がそうだ。
しかし、ボランティアと言っても、現地ではまだまだ情報が整理されておらず、個人が入れる状況になく、勝手に行って現地の救援隊などの邪魔になるようなことがあってはならない。
でも何かできないか。そんな葛藤を抱えている。

そんな僕たちの代わりに活動してくれる存在にNGOがある。
そして、ここ山形にも国際ボランティアセンター山形(IVY)というNGOがある。

IVYは僕が参加している国際理解教育の実践グループでもお世話になっており、僕のクラスにも貧困についてのワークショップを行いに来てくれた。

IVYは今回の震災で、同じ東北にありながら、比較的良好な状態である山形の団体が調整役となって活動をすべきとの考え方から早速被害のあった名取市に入り、調査を進めながら、避難所に物資を送り、炊き出しなどの活動を行ってきたそうだ。

現地にスタッフを滞在させ、調査を進めながら現地のニーズを満たせるように今後も継続的に活動を行っていくという。
興味のある方はIVYのホームページで活動をチェックしてみてください。
  http://www.ivyivy.org/ 
 

今、僕は夜ろうそくで生活をするなど、節電に努めながら、こういうNGOを応援することも僕にできることだなと感じた。

今朝はいつもよりも早く目が覚めた。
隣には3歳のわが子の寝顔。

ふと先日講演で聴いたマリールイーズさんの一言がよみがえる。
「安心して眠ることができるということは、平和だということ」

今、多くの人が眠れない日々を過ごしている。
そんな人々のことを思うと、いたたまれない気持ちになるが、家族と過ごすことができている自分はなんと幸せなのかと思う。
やはり家族は何物にも代えられない尊くて大切な存在だ。

そして、多くの人から励ましのメッセージをもらった。
イラン人の友人、タンザニアに住む友人、イタリア人の友人からもアメリカからも。もちろん多くの日本人からも。
ザンビア人の同僚は電話までくれた。
ただ一言
「祈ってるよ」と伝えるためだけに。

やぼったい言い方だが、改めて友情のもつパワーとエネルギーの大きさを感じた。
この人と人のつながりが人を突き動かして、大きなうねりとなり、世界を変えていくことができるだろう。

彼らは口々に言う、
 「おれたちがいるぞ。そして、俺たちもできる限りのことをやる。だから大丈夫だ。Be strong!Never give up!」

こんな友人たちを持つことができた自分はやはり幸せなんだと思う。

今、世界中で多くの人がアクションを起こしてくれている。
普段は感じられない人のつながりが今、はっきりと見てとれる。
世界はつながっている。世界が一つになっている。
この感覚を忘れてはいけないと思う。

そして、今苦しんでいる人々が一刻でも早く安心して眠れる夜が訪れうことを願う。
いや、願うだけではなく、些細なことでも必ず大きなパワーになると信じて、彼らのために動くことが大切だと思う。

生徒のみなさん。
家族に「ありがとう」と伝えてください。
そして、ボランティア精神を持って行動してほしいと思います。
「マダリソの思い出 難しい授業??? 」の画像
先日、国際協力実体験プログラムに参加した。
そこで、カンボジアでの算数教育に力を入れているNGOの話を聞くことができた。

すると、あれ、あれ、あれ、
どこかで聞いたような見たような感じにびっくり!!!

それは僕がザンビアで活動していたときと同じような悩みや問題だったのです。
そして、あの時の苦労や出来事を思い出し、ちょっとザンビアが恋しくなりました。

僕も当然、活動中はここには書ききれないほどの悩みや課題を抱えていたのだが、そのうちの一つが算数の授業だ。

子供たちは算数が苦手。
小学校5年生や6年生であっても九九を暗算できなかったり、2桁、3桁の繰り上がりのある足し算や引き算ができなかったり。
分数も2分の1より10分の1のほうが大きいと思っていたり。

それで、これらを何とかしようと取り組んだのですが、何せ、教科書もろくになく、副教材はもちろん、日本でならいくらでもあるような楽しい道具もない。
あるのは何もないという事実だけ。
そんなことを同僚と言っていたっけ。

それでも
「ここには人がある。そしてアイディアがある。」
と、工夫してみた。
ものの変わりに人を実際に使い、子供たちを色分けしたり、
グループわけをしたりして、そのこどもたちが行ったいり来たりしながら足し算や引き算をさせ、計算の仕方をまさに体験させたり、
あるいは紙をちぎってカードを作り、それらを並べながら計算方法を学習したり。

こどもたちは本当に楽しそうに学習してくれた。
学習を定着させようとドリルをつくり、それを持たせて宿題にしたり、ドリルマラソンを行って、競わせてみたり。
それでも保護者から家に帰ったら家の手伝いをするのに決まっているんだから宿題なんかさせられないと苦情を言われたこともあったっけ。

そんなこんながあっても嬉しいのはできなかった問題がやっとできるようになって丸をつけてもらい、嬉しそうにニコニコしている子供の顔を見た時。

ああ、この笑顔のためにもう少し頑張ろうと思えた。
少しは算数が楽しいと思ってもらえただろうか???
それが気にかかるところだ。

写真は紙をちぎって作ったカードを使って10を作る授業

「国際協力実体験プログラムに参加!!」の画像
先週18日、19日と、宮城県仙台市で行われたJICA(国際協力機構)主催の国際協力実体験プログラムに生徒会執行委員4名が参加してきました。

これは東北6県から17校の高校生が集まり、チュニジアで活動した協力隊OBやネパールの孤児院を支援しているNGO、カンボジアの算数教育を支援しているNGOの大学生などの話を聞きながら、国際協力について知り、考え、そして自分たちのアクションプランを考えるというものです。

1日目は高校関係なくグループ分けされたメンバーで、上記の活動についてそれぞれ分かれてワークショップに参加し、国際協力について考え、2日目は高校ごとに分かれて、
「何のために自分たちは国際協力するのか」
「国際協力することで、自分たちの学校がどうなってほしいのか」
というそもそも何で国際協力?という理念を考え、それを実行するためのアクションプランを考え、プレゼンテーションをしました。

本校の生徒は
「国際協力することで、多くのことを知ることができるし、大切なことを学ぶことができる」
「みんなもっとたくさんの事を知って、自分から行動できるようになるといい」
「今回知らないことをたくさん知ることができたように、国際協力をやると発見があって嬉しいし、もっと知りたいとか、もっと交流したいとか喜びが大きくなる」

などと話し合い、

「喜びのサイクル実行計画!!!」
というテーマで生徒たちが国際協力を通して新たな発見をし、それが喜びとなり、何かやろうという動機付けにつながり、そして何かをやってまた喜びに変わるというサイクルを確立しようと、アクションプランを作りました。

そしてそれを実行するために本校の強みを活かした国際交流を通して多くのことを知り、国際協力につなげ、さらには地元の団体と協力して自分たちでワークショップを展開できるようになって、活動を広げていくという計画です。

それが審査員の方々の目にとまり、なんと審査員特別賞をいただきました。
これは独創性、アイディアの面白さ、自分たちの強みを活かしている部分などが評価されたそうです。

参加した生徒は
「普通の学校生活ではあまり捉えることができない事について、考える、話し合う、まとめる、発表することができました。発表することで多くの考え方を知ることもでき、他の学校の生徒とも友だちになれてとても楽しかった」
と感想を述べています。

これからますます考えていかなくてはならない国際貢献。
この執行委員の生徒達はまずは自分達が学び、そこで得た知識を他の生徒に還元しながら、自分達にできる国際協力をしていこうと意欲に満ち溢れています。
生徒たちは実現へ向けて小さくとも確実なその第一歩を踏み出しました。
「マダリソの思い出 ルサカワンダラーズ」の画像
ザンビアで最も人気のあるスポーツはサッカーだ。
どこを歩いてもサッカーをして楽しむ少年たちの姿を見ることができる。

僕も長くサッカー部の顧問をしていた経験を生かそうと、赴任早々サッカークラブを立ち上げた。

最初はたった12人で始まった。
それでもサッカーをしたくて集まってくれた連中だ。

こちらも期待と、何としてもこの子たちを伸ばしてやるとの責任から、
毎日厳しい練習を課してきた。
毎回子どもたちの課題やストロングポイントを見つけてはそれを克服し、伸ばすための練習を工夫して、バラエティに富む練習内容になっていった。
すると、それを見ていた子どもたちが
「コーチ、僕も入れてくれ」
と言いだし、
さらに少し試合で勝ち始めると、
他のチームからも
「こっちのチームに入れてくれ」
と多くの子どもたちが加入するようになった。

こちらではチームは多いものの、指導者が不足しているため、コーチといっても適当に試合のアレンジなどをする人がいるだけで、練習はただゲームをするだけなのが現状だ。
だから、僕の練習が物珍しかったのだろう。

それでも厳しい態度で練習に臨むことは変えなかった。
「自分に負けないこと」
「継続して努力する大切さ」
「チームメイトを尊重すること」
を目標に、毎日本当に声がかれるまで大声を出して練習に励んだ。

正直に言うと、そんな僕の態度についてこられずにやめていった少年もいる。
それでも、本気でやれば、必ず自分の気持ちを分かってくれるはずだと信じ、取り組んできた。

ちぐはぐだったチームも地区のトーナメントで準優勝し、Uー17のカテゴリーのチームはディビジョン2(ザンビアプロサッカーリーグの3部にあたる。日本ではJFLに相当するリーグ)のチームと互角にゲームをするまでに至った。

ただ、僕が嬉しかったのは、そんなことではなかった。
帰国する時、彼らが
「毎日一生懸命指導してくれてありがとう。
コーチが僕たちを大切にしてくれていたことがとても嬉しかった。
確かに練習はクレイジーなほど厳しかったけど、コーチが僕たちのためを思ってしてくれているのは分かっていたし、それでレベルもずいぶん上がり、成長できたから幸せだ。」
と言ってくれた言葉が最高に嬉しかった。

彼らは空港まで見送りに来てくれ、
「コーチ、
チームメイト尊重しろ!だろ!
忘れないよ!」
と僕が口を開ける前に口にしていた。

彼らに何を残せたか、今も自信はない。
ただ、彼らと過ごしたグランドでの日々は確実に僕の心の中にある。

ルサカワンダラーズ。
ルサカで最も素敵なチームだと誇りに思っている。
「マダリソの思い出 伝説のサッカー選手」の画像
ある日、いつものようにフットサル仲間とプレーをするためにフットサル場に足を運んだ。

すると、いつもとは明らかに違う雰囲気が漂っていた。

アップをしながら見ると、とてもハイレベル。
ボールスピード、判断、プレッシャー、テクニック、どれをとってもものすごいものがあった。

それもそのはず、この日、プレーしていたのはいつものサッカー仲間に加え、フランスリーグでプレーしていたザンビア代表のアシスタントコーチに、なんと代表監督という二人のフランス人、ザンビアリーグでプレーする現役プロ選手などがプレーしていたからだ。

彼らはプレーを楽しみながら、かつ、勝敗にこだわってやっていた。
だから、一緒にプレーする時はとても緊張したことを覚えている。

でもこの日、とても僕の目を惹いたのはあるザンビア人だった。
そうそうたるメンバーの中で、ひときわ優雅に、そして華麗にプレーしている選手に僕の目は釘付けになった。
決して若くはないはずなのに、間合いの取り方やボールタッチ、ポジションの取り方、コーチングなど、どれもがやばいくらいにすごかった。
そしてその名を聞いて納得した。

その名はカルーシャ・ブワーリャ。

ザンビアでは伝説のサッカープレーヤーで、その時はザンビアサッカー協会の会長をしていた選手だ。

彼は昔、オランダのPSVという名門チームで、あのロマーリオと2トップを組んで得点を量産し、その後ドイツなどでもプレーした程のプレーヤーだ。
長くザンビア代表のキャプテンも務め、ソウル五輪にザンビア代表を導き、アフリカネーションズカップでもベスト4に導くなどの結果を残し、その存在が伝説となっている。

そんな彼と一緒に(たまたまこの日は同じチームになった)プレーできたことは僕にとってはこの上ない思い出になった。
その後も何度か一緒にプレーする機会に恵まれ、顔見知りとなり、なんと、ホテルで偶然会った時は彼の方から
「ハイ、マイフレンド」
といいながらハグをしてくれた。

もう僕は感激して倒れそうになった。
そして、あれだけの地位と名誉を築きながら全く気取るところがなく、気さくで対等に相手をしてくれるその謙虚さに改めてすごい人だなあと感心した。

日本では得ることのできないとても幸福な経験をさせてもらった。

残念なことは遠慮と畏れおおいのとで写真を一緒に撮らなかったことだ。

この写真はサッカー仲間。
イギリス人の友人はマンUのコーチをしていた人物。

「プロの救急救命」の画像
先週金曜日、わがプログレスコースの1年7組は授業の一環として、救急救命について学んだ。
そこでは、単なる知識としての救命ではなく、実践する力を身に付けるための授業が行われた。

救急救命に関する基礎知識や、これからの考え方など、幅広い知識を学んだ後、AEDの使い方をはじめ、実際にどのように救命を行うかの実践が行われた。
どの生徒も目を輝かせ、素直な疑問や感想を講師の左和明先生にぶつけながらの、非常に前向きで自発的な取り組みを見せてくれた。そのため、学ぼうとする意欲あふれる非常によい雰囲気が生まれ、先生も気持ちよく授業してくださったのではないかと思う。

我がクラスには救急救命士を志している生徒もおり、進路との関係性においても有意義な時間だったと思う。
その生徒は「とても参考になったし、おもしろいッス!!!」と笑顔で答えてくれた。

救急救命士になるだろう彼もそうでない他のみんなにとっても、いつか役に立つ大切なことを学んだことと思う。忘れずに大切にしてほしい。

プログレスコースだから勉強ばかりしているわけではなく、勉強だけを大切にするのではなく、多様な、そして、生きた本物の力を身に付け、世の中で貢献できるよういろんなことを大切にしようと思っている。

担任として、今できるだけ多くのことを吸収し、学んだことを表現できる(実践できる)行動力のある人間に育ってほしいと願うばかりである。
「マダリソの思い出 ロナウジーニョ!!!」の画像
ザンビアはサッカーが盛んだ。
代表チームはチポロポロ(弾丸)という愛称で呼ばれ、アフリカネーションズカップではベスト4に入った。

バーやパブではテレビでいつもヨーロッパのサッカーのビッグゲームが放映され、人々はビール片手にお気に入りのチームを応援している。

僕もよくローカルバーへ足を運び、ザンビア人たちとサッカー談義に花を咲かせた。

だから多くの人々は有名なサッカー選手を知っている。

ある日、僕はいつものようにいつものような服装でバーへ行き、ヨーロッパチャンピオンズリーグを観ようと思っていた。
ただ、髪型だけはいつもと違って、ドレットに編んでいた。

すると、

すると、バーに入るや否や、
ピューピューピューという口笛と共に
「ワオーーーーーー!!!」という歓声が上がり、

ついで
「ロナウジーニョ!!!ロナウジーニョ!!!」という連呼が始まった。

ザンビア人が言うには、僕がロナウジーニョにそっくりだというのである。

僕が
「お前らのほうがよっぽどロナウジーニョみたいじゃねえかよ!!」
というと、
「いや、お前はまさにロナウジーニョだ!今、試合に出てなくて良いのか???」
と冗談をふっかけてくる。

もうしばらくはテレビ観戦どころではなくなった。

そして、驚くことに、その日から、ただ街を歩いているだけでも、全然知らない通りすがりの人にまで
「ロナウジーニョ!!」
と呼ばれるようになった。

前から歩いてくるラスタ(ドレットにしている男性をラスタと呼んでいた)も
僕を見ると微笑みながら
「ヘイ、マイブラザー!」
と言いながら、ラスタ同士に交わされる特有の挨拶をしてきた。

確かに、確かに日本にいてもロナウジーニョに似ているとは言われていたが・・・・。

これでサッカーをしているともう大変。
付近からロナウジーニョがサッカーしていると多くの人が駆けつけてきてある意味見せ物になってしまった。

そんな僕を教え子の子どもたちは
「コーチはロナウジーニョみたいに上手いからそう呼ばれていて僕たちも嬉しいよ!」
などと涙が出るようなことを言ってくれた。

ああ、もう一度あの子たちとサッカーをしたい。

「プロ魂で体育祭総合2位」の画像
プログレスコースが快挙を達成!!!

なんと、今日の体育祭で総合2位を勝ち取ったのだ。

1年から3年のプログレスコースの生徒、そして担任団が一致団結し、それぞれが責任と強い気持ちを持って、競技に臨み、お互いが一生懸命応援した結果がこれだったのではないかと思う。

普段は国立大学や有名難関私立大学合格を目指し、日々の授業や家庭学習に頑張って取り組んでいるプロの生徒たち。

でも今日は、プロは運動もできるんだ、部活動だって頑張ってやっているんだというところを見せてやれとばかりに頑張った。

そしてどうすれば勝てるのか戦略を練った。

そして、運動部の生徒も文化部の生徒もそれぞれが力を発揮できる適材適所を見つけたことも勝因だ。

プログレスコースの生徒は1年から3年まで仲がよく、お互いを尊重し合っているとてもいい雰囲気がある。
いつも一緒に掃除をし、教室は隣り合わせ、そして行事はいつも一つのチーム。

そういう仲の良さ、雰囲気の良さが今日のまとまりを生み、みんなが頑張れて、楽しめた1日につながった。

総合2位という結果より、担任としてはプロのみんなの心から楽しそうに一生懸命競技に取り組む姿を見ることができたことの方が、実は嬉しかったりする。
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