精のノート

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震災から一週間。
まだまだ、避難生活を送っている人もいるし、救助活動も行われている。

各地から続々と被害についての報告が入り、そのたびに落胆し、やり場のない怒りさえ覚える。

先が見えない現状に、眠れない日々を送っている人がどれほど多いだろうと想像すると、胸が苦しくなる。

そんな中、多くの人が立ち上がり、支援の輪が広がっていることはとても嬉しいことだ。この日本、まだまだ捨てたものではないどころか、これほどのうねりを作り出せるパワーを持っていると誇らしくさえ思える。

しかし、一方で心配していることがある。
ひとつは支援活動だ。
今、多くの人が自分にできることはないかと、ボランティアを初めとする活動に参加したり、物資を送るなどの行動をしている。
それは大きな流れとなり、明日へ向かって大きなパワーとなっている。
しかし、今回は恐らく長丁場になるだろう。そうなった時、このパワーにガス欠がおこり、流れが止まった時に、どうなるのだろうかという不安がある。
取り残された人々は、物資は、流れに乗った人々のその後は・・・。

これは決して今回の動きに水を差そうというモノではない。

ただ、一時的なモノではなく、長い目で見て、先を見通しながら継続的な援助を考えなければならないということ。
決して一つのムーブメントとして終わらせてはならないことであり、本当に全ての人が本来あるべき姿に戻ることができるまで、動き続けなければならないと思う。

もう一つは外国人だ。
今回、至る所で多くの外国人も被害にあっているはずだ。
しかし、恐らく、多くの情報が日本語によって共有され、日本語を母語としない外国人は社会的盲点となり、救助、あるいは援助が行き届かない可能性もある。
今後も充分なケアがどれほど受けられるか。
英語や韓国語、中国語などでのリソースセンターが動いてはいるモノの、末端の部分でどれほど情報が細部に渡って伝えられているか不安である。

大学時代、そのような日本語をあまりよく理解できない外国人のための災害マニュアルを作成したことがある。
そして、実際にザンビアで外国人として生活してみて、マイノリティが不便を感じるつらさを味わってきた。大統領選挙前の暴動に出くわした時はどう動いたらいいか分からず怖ささえ感じた。

国際社会、グローバル社会と言われるこの社会で、決して外国人が社会的弱者になってはいけない。彼らが立派に社会的に保障されて「共生」と言える。
そう、この震災時でも、「共に生きる」ことができるように、外国人への支援も考えたいと思う。

2011.03.19:sei36:count(1,491):[メモ/コンテンツ]
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