精のノート

精のノート
ログイン

最近マイケルジャクソンが亡くなったことで世の人々が彼と彼の才能、そして偉大なる功績を惜しんでいる。
そのため彼の映像を目にすることが多くなったのだが、その時決まって思い出す一人の少年がいる。

少年の名はパトリック。

僕がザンビアで結成したサッカークラブ「ルサカ・ワンダラーズ」のメンバーで立ち上げ当初からのメンバーだ。

13才の彼は僕にとってもなついていたプレーヤーの一人で、僕の試合にもよく見に来てくれるし、練習の前や後にたくさん話しかけてきてくれた。
サッカーがとても大好きで、本気で将来はプロになりたいと考え、毎日必ずトレーニングに参加してきた。練習前などに僕がちょっとした小技を見せると大はしゃぎでそれを真似てやってみようとする。
いつも彼と話していたせいか、彼は僕の気持ちを理解し、練習中に教えるサッカーの技術や戦術はもちろん、それ以外のプレーヤーとして大切だと思うメンタル的な部分についても一生懸命聞いてくれたことを覚えている。
僕が怒るととてもがっかりした表情を見せ、僕が喜ぶと本当に嬉しそうな屈託のない笑顔を見せてくれる。

そんな彼はやはりマイケルジャクソンが大好きで、よく「Beat it」を歌いながらブレイクダンスを踊っていた。
一番覚えているのはミニバスをチャーターして練習試合に出掛けていった時、帰る途中でガス欠になり、ドライバーがガソリンを買ってくる間、一時間ちょっと道端で待たされたことがあった。その時、車のヘッドライトを照らし、それを証明にして彼がダンスを踊ってみんなを楽しませたことがあった。僕も彼らと一緒にパトリックのダンスを楽しんだ。

彼には僕の任期が2年と限られていて、終了したら帰国しなければならない事情が理解できないらしく、
僕の帰国がせまってくると彼は毎日のように
「本当に帰るのか?」
「俺たちをおいてなんで帰るんだ?」
と口にしていた。

帰国する日。空港まで見送りに来てくれたザンビア人友人たちの中に彼の姿もあった。しかし、彼は最後まで「No,SEI!行くな!」と不満顔であった。
とうとう最後まで彼とは笑顔で分かれることができなかった。
そんなこともあって、彼のことはいつも頭から離れない。

いつか彼がプロの選手となった時、会いに行きたいと思っている。

写真中、僕の頭を指さしているのがパトリック



すっかりザンビア生活に慣れた僕は、いや、ザンビアンと化した僕は停電もなんのその日々ろうそくで生活することに苦を感じなくなっていた。

が・・・・・・

「電気なんかなくてもいいや」とばかりも言えない事情もあった。

それは信号。

首都ルサカにはいくつか信号機がある。
確かに日本の状況と比べると非常に少ないのだが、それでも数えるほどの信号機が街中にはある。

が、しかし、多くの場合故障、または停電のため、点いてない。
だから多くの主要幹線道路で大変な渋滞が起こってしまう。
ただでさえ信号無視が当たり前のこの国で、信号機が止まったとなれば無秩序な状態に拍車が掛かることは当然のこと。
特に夕方のラッシュ時のタウン(ルサカ中心部)のバス乗り場付近の渋滞は大変なものだ。

我が物顔で走る悪名高いミニバスドライバーをはじめ、多くの運転手たちが他の車など思いやらずに走る。渋滞を避けようとし、歩道まで乗り上げてくるミニバスもあるくらいだ。だから自転車に乗っている僕らは非常に怖い思いをする。また、そんな時にミニバスに乗っていれば先の見えない渋滞にはまり、予定が大幅に遅れてしまう。

「自分のことばかり考えずに将棋のようにちょっと2手先3手先を考えて譲り合ったりすればこんなに複雑な渋滞にはならないのに、ザンビア人は先を見通す力に欠けるなあ」などと考えたりした。

ルールを守ることや他を思いやるといった、いわば「当たり前」のことがいかに社会を円滑に動かすのに大切なことかと思い知らされた。

車がどんどん増えていく様子を見るにつけ、車の普及に社会(交通法規の徹底や取り締まり、信号や道路の整備など)がついていけてないなと感じた。

写真は壊れたままの信号機。道路は北部州やルアプラ州につながる幹線道路。




アフリカというと電気がないとか水道がないとかネガティブなイメージがつきまとってしまうが、実際そうなんだから仕方がない。
電気・水道がない村は多々あるし、そんなところでは共同井戸で水くみから毎日が始まり、ろうそくの明かりで夜を過ごす。

でもね、ありますよ、ちゃんと。
首都には電気も水道もきちんと整備されてます。
地方都市も結構整備されてるんです。

ただ・・・・・・・・。

ただちょっとだけシステムが古かったり、容量が小さかったりして停電が頻繁に起こるだけなんです。
どのくらいの頻度かってひどい時には(2008年の12月から3月にかけての雨季)週に5日くらい。
普通の時で週に1日くらい。

最初は停電のたびに
「ああ、今日も電気がねえ。飯どうやってつくんだ!?」
「電気なくてどうやって仕事すんだよ!!!!」
ってストレスを感じていた。

でも人間って面白い。
いつしか停電が嬉しくなってきた。
だって、停電になれば仕事をしなくてすむ言い訳ができる。
今日は仕事できないってあきらめがつく。
じゃあどうする?

ビールが僕を待っている。
そう「早く飲まないとぬるくなるよ」って
ついていない冷蔵庫の中から呼びかけてくる。

それで炭に火をおこし、肉を焼いて庭先でバーベキュー状態。

のんびり満天の星を眺めながらビールを飲み、ろうそくの明かりで本を読んで一日が終わる。

なんて至福の時なんだろう。

それからは家路につく時、停電の様子を見ては
「ヨッシャー、今日は電気がねえええええ!!!」って
喜びながら帰宅。
日々バーベキューを楽しむのでした。

ああ人間がだめになりそう・・・

前回コンゴ国境で危ない目に遭ったエピソードを紹介したが実際にコンゴからザンビアに入ってくる人々は多い。ジンバブウェからも政情不安定を理由に逃げてくる人が多いのだが、裏を返せばそれだけザンビアは安全な国なんだということだと思う。
しかしコンゴなどから流入してくる人たちが犯罪者になってしまうことも多い。したがってザンビア人はあまりコンゴ人を良く思っておらず、時に馬鹿にする風潮もある。

さて僕の友だちのザンビア人にコリンズというやつがいる。ベンバ族でれっきとしたザンビア人だ。僕がいつも利用していたフットサル場を管理しており、プレーヤーとしてもフットサルリーグで活躍していた。
彼はリーグで最も強い「サークル・イタリアーノ」の選手。それでもよく一緒に練習をしたものだった。だから彼との対戦はいつも楽しみだった。
そんな彼がフットサルザンビア代表に選ばれ、本人も僕も大喜びだった。それだけじゃなく、彼は人なつっこい人柄で人気者だったため、多くのひとが彼の代表入りを喜んだ。
そして練習を重ね、ガーナで行われるアフリカ選手権に出場するため、イタリアで合宿をはろうということになり、かれも渡伊のためパスポートの申請をした。

が・・・・・・・・

なんと彼は管理局から「お前はコンゴ人に違いない」と決めつけられパスポートを取得できなかったのだ。もちろん遠征にも参加できず、アフリカ選手権も出場できなかった。

そんなことがあってか彼の試合の時にはスタンドから
「そこのコンゴリー、パスポートを見せろ!!!」
などといった冷やかしのヤジが飛ぶようになった。
ただしこれは彼を愛する人々がおもしろがってジョークにしていただけ。

それでも彼はリーグでゴールを重ね、得点王争いでも上位に食い込む活躍を見せた。彼との対戦時、彼だけにはゴールをさせないと頑張った。試合には負けたがハードないい試合だったし彼との勝負も楽しめた。

僕が帰国する時、フットサル仲間が集まって送別試合をしてくれた。もちろんコリンズも。その時もらった彼のザンビア代表のユニフォームはとっても大切な宝物だ。



僕はボーダーラインに立った。

ザンビアの国境とジンバブウェの国境、まさにその境を作るラインに立った。

しかし時に国境付近では快くないことが起こる。

そう、その時僕は出張のためコンゴ国境付近にあるムフリラという町に同期隊員と共に出掛けていった。
コンゴは長く続く内戦のため現在も政情不安定でザンビアにも難民が流れてきている。また、その国境付近は依然として武装勢力がいたり、あるいは、武装勢力から流れてきた自動小銃などが強盗に出回ったりして危険な地域になっている。
当然出入国管理局は警備を強める。

だから・・・・・。

ムフリラの町に入ったとたん、銃を持った管理局員に呼び止められ、車に乗せられてしまった。
町のバスターミナルまで迎えに来てくれたムフリラに住むザンビア人の友人も一生懸命説明してくれるのだが一向に聞き入れてくれない。
とりあえず身柄を預かるのだと・・・・・。

「ああ、このまま連行されて拘束されてしまうのか」との不安が頭をよぎった。
必至に密入国社ではないことを説明するが、だんだんヒートアップする僕の様子に入国管理官はますます疑いの目を向ける。

一緒に行った同期の女の子は絶望のあまり今にも泣き出しそうな表情。

「ああ、自分が仕事の手伝いをおねがいしたばっかりに・・・」
「JICAのボランティアに来たばっかりに・・・・・」
いろんな思いが胸を詰まらせる。

その時。・・・・・・・・・ん?????JICA?????

そうだ、JICAは何よりも信用があると聞いたことがある。
そう思いついた僕はJICAのIDカードと労働許可証、日本の公用パスポートを見せてみた。

その瞬間。

入国管理官はニコリと笑い、「OK!!!I like JICA!!」
と言っていかにジャイカ、そして日本という国がザンビアに貢献しているか、ザンビア人がそのことに感謝しているかを語ってくれた。

今まで日本人がこの地でいかに頑張ってきたのか、その貢献度がいかに大きかったのかを実感し、日本人で良かったなあと思いました。


日本にいてはなかなか見えにくい物がある。

そのうちのひとつに国境がある。

日本は島国で外国と隣接していないため、国境が意識されず、また、外国に行く時でもたいていは飛行機で空を飛んでしまうため、実際に国境を越えるという感覚はないと思う。

ザンビアはアフリカ大陸の内陸部にある。周辺をジンバブウェやマラウイ、コンゴ、アンゴラ、ボツワナ、タンザニアなどに囲まれているため、国境周辺には出入国管理局があり、入国管理官がパトロールをしている。

さて、その普段意識しない国境を僕は「越えた」。

先日紹介したバンジージャンプができる場所はザンビアとジンバブウェの国境にある。ザンビアとジンバブウェをつなぐ橋の真ん中にある。
だからバンジーをするためには一度国境にあるザンビアの出入国管理局で出国の申請をして(実際には窓口でバンジーをすることを伝え、ハンコをもらうだけ)ザンビアの「外」に出る。

歩くこと数分。ザンベジ川に架かる橋が見えてくる。橋の向こう側はジンバブウェ。そして橋を渡っていくとそこにあるのは・・・・・。

ザンビアとジンバブウェのボーダー。

黄色の線で示されたそのボーダーをまたいでみる。

その瞬間自分は国境をまたいでいるのだという不思議な感覚がこみ上げてくる。

この国境には政情不安定で経済が大打撃を受けているジンバブウェの国民が物資を買い求めてザンビアに入国する「ボーダー越え」の人々が多く見られる。

地球市民ということを考えるとなんら意味をなさない国境。
その意味をかみしめながら国境を踏んづけてみた。

ちなみに「ビヨンド・ザ・ボーダー」というボランティア精神をテーマにした映画を観て派遣前に使命感を燃え上がらせた。

前回チキンが好きだと言った。
しかしそれは僕がチキンだということではない!!!

チキン、それは臆病者を指す言葉。

たまにザンビアにいる日本人の友人達から
「せいさんって意外とチキンなんじゃないの〜!?」と言われた。

でも僕はチキンじゃない!!!     

と思う。

そしてそれを証明して見せた。

ザンビアには有名な滝がある。
南米のイグアスの滝、北米のナイアガラの滝に並ぶ世界3大瀑布の一つ、世界遺産にも登録されているビクトリアの滝がそれだ。
偉大なる河、ザンベジ川にある幅1100m、落差110mの大きな滝だ。
そしてこの滝にはこの落差を利用した観光客を魅了するクティビティがある。

それは「バンジージャンプ」
110mを落ちる世界で2番目に長いバンジーだ。


受付でいろんな書類にサインをし、お金を($85)払って体重をはかると、その体重が腕に書かれる。そうなにをかくそう、この体重が書かれた腕がバンジージャンパーの証なのだ。

そしていざジャンプ台に・・・・

陽気なスタッフが緊張を和らげるため気さくに話しかけてくる。
準備の間、飛ばない、いや、飛べないチキンの観光客が集まってくる。

もうここまで来て後退は許されない。

台の縁に立つ。正面を見る。

不思議と恐怖感は生まれなかった。
それより自然と一体になるような感覚が全身を包み、あの自然の中に飛び込みたいという衝動のほうが大きかった。

「3.2.1.バンジーーーーーーーーー!!!!!!」

その瞬間、飛んでいた。確かに僕は飛んでいた。自然の中に引き込まれていった。


嬉しい。笑みが思わずでていた。

僕はチキンじゃない。

あの爽快感は忘れられない。






ザンビアでは色んなものを食べた。本当によく食べた。あんなもの、こんなもの。どれもがおいしいもので意外と食には不自由しなかった。それどころか物によっては日本よりもおいしい物がたくさん。
その一つがチキン。
ザンビアでは人をもてなす時、なにか大切な行事やまつりがある時、人はチキンを振る舞い食べる習慣がある。つまり一番のごちそうはチキンなのだ。
その中でも僕が大好きだったのはビレッジチキンと呼ばれる鶏。いわゆるブロイラーとは違う日本で言う地鶏のような鶏をビレッジチキンと呼びブロイラーより大きく筋肉などもしっかりとしている鶏が最高!!!!!
ちょっと堅めだが芳ばしく深みのあるその味にもう、もう、もう・・・・
止まらない。
大胆に熱湯に一羽をつけ、羽をむしって丸焼きにする。そして完熟のトマトで作ったソースに絡める。
ああ幸せ。
電気・水道のない村に泊まった時は朝からこのビレッジチキンでもてなされ、木陰でしゃぶりつく。もう朝からバーベキュー状態。
こんな生活やめられない。
ああ僕はチキンが恋しい。

ザンビアはイギリスの植民地だった。だからイギリスの文化の影響をたくさん受けている。その一つがお茶。ティーブレイクの時間をとても大切にし、時には授業中でも会議中であってもお茶が運ばれてくると休憩になってしまう。
普通の紅茶、たまにミルクの入ったミルクティ。それはそれでおいしいのですが。
その紅茶にザンビア人はなんと・・・。

砂糖を1さじ・2さじ・3さじ・4さじ・・・。

スプーンで何さじもの砂糖を入れて飲むのです。
僕が砂糖を入れずに飲もうとすると「Hei, Sei!! It's not tea!!!」と言われる始末。
僕が油断していると気を利かした同僚がたくさんの砂糖を入れて紅茶を差し出してくれます。そのお味は・・・・

あま〜〜〜〜い!!!!!!!!!

日本の緑茶も楽しんでもらおうと日本から送ってもらったティパックを持って言った時もザンビア人たちはその緑茶に1さじ・2さじ・3さじと砂糖を入れて味わっておりました。

でも慣れって恐ろしいですね。

2年も住むとそんなお茶が大好きになり、朝たあ〜っぷりと砂糖の入ったミルクティをつくって味わう自分がいました。

そう僕にはあのあま〜〜〜いお茶も忘れられない思い出の一つです。

マダリソとはザンビアでの活動中、現地の人々に名付けられた僕のザンビアンネーム。現地語の一つニャンジャ語で「祝福」。配属先で日本文化紹介の大きなイベントを開き、多くの子ども達を集めて楽しんでもらったところ、地域の人々から「お前はわざわざ日本からこんな遠い国までやってきて子ども達に教育を与えている。そして今日は多くの子ども達に希望を与えてくれた。お前はこの地域を祝福してくれる人のようだ。」といってこの名前を与えられた。
思えばこの時からザンビアロックソーラン隊が結成され、ザンビア各地を巡業することになった。
ザンビアは72の部族が存在し、73の言語がある国。その中でも代表的なニャンジャ語・ベンバ語・トンガ語・ロジ語・ルバレ語・レンジェ語・カオンデ語の7つの言語を準公用語として使っていた。ちなみに公用語は英語。
だからちまたでは何がなんだか分からない言葉が飛び交っており、ザンビア人たちのあいだでも通じてないこともたびたびであった。


Powered by samidare