居酒屋ぎゃろっぷ

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ジャッジング(judging)という言葉がある。

たとえば、日本の居酒屋なんかで呑んでる客同士の会話で「お前のそういうところが駄目なんだよー。」っというコメントをよく聞く。友達同士、親子同士など、普段よく聞くフレーズだ。

しかし、同じようなことをアメリカ人に言ったらまずキレるだろう。
「あんたからそんなことを言われる筋合いはない!(It's none of your business!)」 
「ジャッジしないで!(Don't judge me!)」と
逆ギレされるだろう。なぜか?それはアメリカ人の気質と関係している。

ご存知の通りアメリカは多民族国家だ。ほぼ皆が違うため共通の価値観というものが存在しない。その結果、他人の生き方、考え方に干渉すること(Judging)は良くないとされる。故に、個人は好きなことをでき、それを責める人など誰もいない。個人主義が徹底しているのだ。

一方、アメリカとは正反対の単一民族国家日本。ほぼ皆が同じベースを持っているため、違う文化や宗教など関係なく、個人について、ずばずば言う (judging)。そして、そういう関係こそ真の友達関係と考えられる傾向がある。呑んで言い合って親交を深める。おそらくアメリカ人には理解できないだろう。

日本人の僕は、最初はアメリカの個人主義に心地よさを覚えていたが、最近はそんなにいい面ばかり持っているわけではないような気がしてきた。自分が明らかに間違った方向に向かおうとしているとしても、そういう時でさえ、「いいねー。やってみなよ。」と言われれば、「つまり、あんまり知ったこっちゃない」んだなーっと距離の遠さを感じずにはいられない。

Judgingはアメリカでは悪いこと。だから、こっちに来てから突っ込んだ会話をした人はいない。でも、突っ込んで話ができないのは、結構悲しいものだ。呑んで、くだまいて、Judgingして。僕にはそのほうが人間味があっていい。
2004.12.17:えのっち:count(633):[メモ/アメリカ・サンディエゴより]
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