おさむ茶マイルーム

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 今日、来るべき第二の人生設計デザインのヒントを得るべく「シニア新社会参加塾」という社会学講座に参加してきました。「団塊世代よ!大志を抱け」ちゅうところでしょうな。

 午前中山形市で二講座、そして高畠町のゆうきの里へ移動して出張講座。その間ほとんど寝てましたが、ランチタイムでは眠気も醒めてバッチリw。そんときの弁当ですが、有機農業の元祖を自認するだけあってすべて地産地消メニュー。

ご飯は無農薬米の五分づき(白米はミネラルを殆ど捨ててるんだって)、意外と玄米ご飯のような食べにくさなかったですよ。野菜も地元の新鮮取れたて、置賜伝統メニューのおもてなしに…体の毒素が抜けていくような思いしました。

ちなみに《他のメニュー一覧》
山菜の煮物、玉こんにゃく、おみ漬、あけびの袋揚げ、ポテトサラダ、もって菊のおひたし、生鮭のホィール蒸、ゆで栗、イチゴムース、ぶどう…以上ランチの報告終わります。

 これは桃パンと言うのだそうだ。桃の果肉が入っているというので、珍しいので買ってきました。子供のホッペ(お尻?)のようで、思わずさわりたくなってしまう。

よくここまでパン生地で桃らしくつくることができたなぁと暫く見とれて、食べるのを忘れてしまいました。
 味ですか〜?せがれと娘に食われて、確認できませんでした、とほほ。

 一昨日から、居候しているワンちゃんで、名前はハッピー。種類はブリテッシュなんとか…まだ生まれて3ヶ月だとかチョーかわいいです。

なぜ居候かというと、カミサンのお友達が家族旅行に行ってるので、その間お預かりというわけです。3日間も寝食?をともにすると、情が移って放したくなくなる心境の変化が…、このまま拉致しちゃおうかなw。

 ワンちゃんの乱入の余波で、うちのネコ2匹どもは、自分の存在感が危ういと感じてか、プチ家出しちゃいました。ま〜そのうち戻ってくると思うけど…。

 この2匹のネコは親子です。奥が母親、手前がクーと勝手に名前をつけています。5年前の冬、近所を6匹連れだって彷徨っていた野良親子でした。
 ネコマニアのカミサンが「この寒空で、可哀そう」と餌づけして、車庫で慣らしたあと、我が家では、すでに2匹飼っていましたので、これ以上増やすのは許されませんでしたので、飼い主を見つけてそれぞれを片付けました。

 最後に残ったのがこの親子、また子を産んでしまうと同じ思いを…可哀そうでしたが避妊手術をして、近所のおばさんに引き取ってもらいました。
 今はかわいがられて大変しあわせに暮らしています、メデタシメデタシ。 いい話やな〜(自画自賛)w。


 「秋の日はつるべ落とし」と言いますが、日を追うごとに外が暗くなるのが早くなってきました。田んぼでは、稲の刈り取りもほぼ終わり、山形の秋はやっぱり短いなー、と感じるのであります。前置きが長くなりましたが、拙宅の盆栽の銀杏が色つきはじめました。帰宅して玄関を開けたとき、毎日疲れが癒されます。

 ところで10月を別称で「神無月」(かんなづき)と言いいますが、これは、全国の神々が出雲の国に集い、神議(かんばか)りを行うからだそうで、知ってました?ワタクシも今日知ったばかりですけど…w。

 いま、私の住む集落の農家では、食用菊 “もってのほか”の収穫期の真っ盛り、10月いっぱい続きそうです。自宅から眺めると、一面が菊畑で紫のジュータンを敷き詰めたようで見事です。

 菊を食べる?というと、また何でも食べる山形県人かよ、と驚かれる方も多いと思いますが、秋の山形の味覚として欠かすことのできない旬の食材です。基本的に菊の花はどれも食べられるとのことですが、特に味や香りのよいのが、この“もってのほか”で、しゃきしゃきとした歯ごたえとほろ苦さが好まれているようです。

“もってのほか”は山形の方言で「とんでもない」という意味ですが、「こんな美味い菊の花を食べるとはもってのほか」だとか、「もってのほか(思っていたよりもずっと)おいしい」といった諸説ありますが、真相は定かでありません。
 昨日、おすそ分けで初物をいただきましたが、シャキっとした食感に秋の深まりを感じたところです。

 最近のキジさんは、とても頭が利口になってきたようです。
というのも、河川敷に営巣するとハンターにやられるとの危機管理が働くせいでしょうか、職場敷地内のやぶに居を構えているようです。
天気の良い昼下がり、散歩する姿をよく見かけますが、先日は5〜6匹のキジが道路をゆっくりとデモ行進していました。とっさに携帯でスクープ写真を…コーフンのあまり手ぶれしちゃいました(;゚-゚)

人間っていくつになっても、毎日を無我夢中で走っていると思いませんか? 
20代の頃の自分と、今の自分を比較すること自体がおこがましいですが、気持的には「自分はまだ青春の中にいる」そんなモチベーションを持ち続けることが、前向きに生きていくために大事な要素なんじゃないでしょうか? 

先月、妻恋コンサートに何万人も集まったおやじ&おばんさん、同じ思いを共有してんだよね。
 これから自問自答しながらも、心の内にある情熱に火を灯し続けるように努力して行きたいと願うものです。
 それでは、わがバイブルとする「青春」の詩を、秋の夜長ジックリと噛みしめましょうか〜w。


「青春」 サムエル・ウルマン(宇野収・作山宗久訳)

青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。

 北海道の漁師料理として有名なちゃんちゃん焼ですが、東北地方でも鮭の上がる宮城県でよくやる料理で、一昨晩我が家でもチャレンジしました。これは鮭と野菜を混ぜ合わせて味噌を加えていただく北海道独特の焼き物料理ですが、出来上がりは「ちゃんちゃん焼き」というよりも、ちゃんちゃん焼きもどきでしたが…w。

お父ちゃんが料理(焼く)するから、ちゃんちゃん焼きと呼ぶ説や、鮭を焼くときに、「チャンチャン」という音がするからという様々な説があるが、定かではない。
わいわいいいながら鉄板を突っつきあうコンセプトは鍋物にも匹敵し、ほのぼの温か家庭料理として楽しめます。味は、鮭の脂と味噌がほのかに焼ける匂いにバターの香りがグッド。食欲の秋は、なんでも美味しいから体重計がコワイw。


 昭和の時代は、ご近所に必ずといっていいほど駄菓子から日用品まで扱うお店がありました。お袋にねだったお小遣いを握り締め、一目散に駆け込んだものです。5円ですと、夏ですとアイスキャンデーかところてんにありつけ、10円でしたら豪華あずき入りミルクアイスが買えました。当時、ばら売りで1個50銭のアメもありましたから、今とでは隔世の感があります。

 絵にあるようなパンも、腹をすかした欠食児童にとっては、何よりのご馳走でした。酒を売ってる店では、店先でコップ酒を飲んでるオヤジもおりましたから、スタンドバーとファーストフード店を兼ねていたような…、子供にとっては1個10円のイチゴジャムパンやあんこパンを食べてるときが至福のときでした、もちろん飲み物なしでした。

黄金にそまっていた田んぼの稲刈りが終わり、深まり行く秋を感じます。実りの秋、1年を通して一番食べ物の美味しい季節なりましたね。秋といえば、金持ちもビンボーも山形人に欠かせないのが青菜漬と並ぶ山形の代表的な漬物で、細かく刻んだ青菜(野沢菜と似た野菜)と薬味をつかった漬け物の一種である。おみ漬けは、昔捨てていた青菜の葉の部分を近江商人が漬物にした近江漬が、ナマっておみ漬と呼ばれるようになったとか。

我が家でも、おみ漬が今秋初めて食卓にのぼりました。朝、アツアツのご飯にかけると、何杯もいけますね。バリエーションとして、納豆に対し半分程度のおみ漬けを混ぜた「おみ漬け納豆」やバターを溶かしたごはんにかける食べ方もあるようですが、さすがにバターはちょっとね。
他に我が家オリジナル派生調理法として、青菜とちりめんや小エビを炒めてふりかけを作りますが、これもよくごはんに合います。この時期新米が出回るから、ごはんそのもの美味しいんでしょけどね…。

 3連休を境に朝晩ぐっと冷え込むようになりました。我が家のネコも、現金なものでネコハウスに暖房入ったら完全引きこもりです。気持ちよさそうに眠っている姿をながめてると、うらやましい限りです。
人間様も、いったんストーブをつけてしまうともう離れなくなりますから、ネコのこととやかく言えないかw。

 今夜の夕食は、手抜き工事の丼もんでした。名づけて“スペシャル自家製海鮮丼”、海鮮丼といってネタは、いくら、マグロ、ホタテ、イカとリーズナブルなものばかり。これにウニなんか加わるとサイコーなんですがね、稼ぎが稼ぎだけにだけにゼイタクはいえません。それを言っちゃうと、天に唾するようなもんですからね(゚Д゚;。 丼といえば、秋鮭の季節そろそろですが、「はら飯」早く食いてえよぉ。
 宮沢賢治好きですねえ、というより尊敬してます。有名な「雨ニモマケズ」の詩は、永遠の心の応援歌です。
雨ニモマケズ   風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ  丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク  決シテ怒ラズ  イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト  味噌ト少シノ野菜ヲタベ   

 この詩を読んでると、一日四合の玄米を消化する胃腸の強靱さばかりでなく、私たちが現在失ってしまったものが何であるかを、強烈なメッセージとじゃないかと、思い知らされる。清貧、質素、奉仕、献身、慈悲心、愛など…。
 キツネやタヌキが語り、森の木や風が歌う童話を通して賢治が表現したかったのは、ただ自らの自然と宇宙に対する驚きと人間のちっぽけさを問いたかったのではないか。
賢治のような人間になれたらいいよね、少しでも近づきたいけど絶対無理、だから尊敬するんだろうね。

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昨日のつづきです。おすそわけの舞茸の行方ですが、夕ご飯で天ぷらを期待したのですが、フェイントかけられ舞茸ご飯でした。栗も入ってたから、まっいいか〜。
夜nの食べすぎはイカンと思いつつも「ちょっと待て!その一口がブタになる」の標語が脳裏にちらついたのですが、食欲という名の欲望には勝てず2杯もいっちゃいました、でへ。
 お隣の秋刀魚ですが、ネコからかじられたのではありません。食べてから写真撮るのを思い出したためですので、念のため。