おさむ茶マイルーム

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 今日は久しぶりに予定なしで、雨降りも重なってゴロ寝サンデー。
こうなるとTV見てるしかありません。アンビリーバボーの再放送で、館林さんという女子高校生が自動車事故で受けた頚椎損傷という障害による絶望の日々から家族や友人との葛藤、そして介助犬アトムとの運命的な出会い、そしてアトムと共に学び歩んだ大学生活…そんなドキュメントでした。

 彼女と介助犬の関係は、「一方的に介助犬から何かしてもらうではなく、何をしてあげられるか」とインタビューで答えていたように、当事者でしか理解できない対人間以上の絆の強さを感じました。

 もし、自分が交通事故に遭って車椅子生活しかできなくなったら…「彼女と同じように立ち直ることができるだろうか?」「いくら家族の手助けがあっても、身の回りのことなどで負担をかけてしまう」という現実に耐えることができるのだろうか…と逡巡しました。

 でも、あのハンディを感じさせない頑張る姿は、ブラウン管を通してですが、生きるために必要な勇気メッセージそのものでした。日常の雑事に流されて、大きなことが見えなくなり小さなことに悩んでる自分…滑稽に見えて、足もとを見つめ直す意味でいい番組でした。


 「シャケのベイビー、食われてたまるかい!」と言ったかどうかですが、釣られた鮭も必死でした。
一昨日の荒天が嘘のように、今日は朝からピーカンです。北海道の竜巻の被災状況が明らかになっているが、建物や車が50m以上も飛ばされたと言う状況は想像を絶する。竜巻はアメリカや映画の世界でのイメージしかないが、ニュース解説者は「日本も竜巻は発生している、何処で起きても不思議ではないし、局地的な観測や予測は難しい」との話に、自然界の猛威にただ驚かされる。
 
県内でも昨日、蔵王に初冠雪のニュースが…、例年よりは遅いとのことであり、非常にアナログ的であるが、カマキリの卵の位置が今年は低いとの話もあって、雪の量は昨年よりは少ないという説がもっぱらだ。雪の降り過ぎも困るが降らないと困る方もいる訳で、日常会話に雪予想が話題になる今日この頃です。
画像は、蔵王ドッコ沼から届いた初冠雪風景です。

 先日、山仲間のパーティで寿司の出店サービスがありました。
回転寿司の平禄寿司さんに頼んだんだそうで、出席者に大変好評でした。
 ただ、さすがに回転ベルトを持ち込むわけにいかず、寿司職人さんも勝手が違うようでした。


 今日この映画を見てきました。
「ALWAYS3丁目の夕日」でいい味だした堤真一主演で、話は主人公が過去にタイムスリップする話。

 彼は地下鉄に乗るのだが、
地下鉄を乗り換えるために歩いていた駅の中で、
子供時代に死んだ兄を見る。
それを追いかけると地下鉄の駅を出ることになるのだが、
出て見ると自分が、子供のころの時代の町の風景になっている。
 
 この映画のことは見ていない人のために、これ以上は話せませんが、
自分の人生は自分のもの。そんなことを浅田次郎は訴えたかったのかな?

 馬乳酒って皆さん飲んだことありますかね?文字通り馬の乳を発酵させたモンゴルの酒として有名ですが、24年前旧ソ連のアルマータで遊牧民のパオを訪問したとき、馬乳酒 をごちそうになりました。

いや〜酸っぱいの酸っぱくないのって…強烈な酸味と臭いに鼻をつまみながらやっと飲み終わった途端、よほど美味いと勘違いしたらしく、遊牧民おっさんが「さ、さ〜もう一杯」(言葉はワカリマセンでしたが、こんな雰囲気でした)と…もうなみだ目にながら、2杯目は手が動きませんでしたw。

 先日『米どころ庄内』のシンボルの山居倉庫に出張ついでに寄ってきました。「おしん」ロケ舞台になったことを思い出しながら、見学してきました。
パンフレットによると、明治26年に建造されたとか…築百年以上経った今も現役の農業倉庫として活躍してるとは大したもんです。重厚な土蔵造り倉を囲むケヤキ大木、その歩道は絶好のロケーション。映画のワンシーンを見ている錯覚におそわれました。
 現在倉庫の一部が観光物産館として活用されおり、これからますます観光スポットとして脚光を浴びることでしょう。

 日本シリーズも終わっちゃいましたが、この人形は3年前になくなった近鉄バッファローズのマスコットバッフィーちゃんです。
 9割がた周囲がジャイアンツファンなのに、生来がアマノジャクのせいか、物心ついたころからのファンでした。球団がなくなった今も捨てられなくってね…、人形にも魂が宿るいうじゃないですか〜?そのため処分に困っております。

 うちのニャンコのお気に入りは、ワタクシの腹の上…そう肉布団でんがな。風呂上り寝転がってTV見ていると、脂肪タップリの腹部付近によじのぼりチャッカリうたた寝はじめます。画像に写っている」ネコの下は、ワタクシの腹ですw。

 人肌がちょうどネコにとって熱くなし寒くなしで、適温なんでしょうね。ネコが起きるまでその間身動きできないことはいうまでもありません。ただ、不覚にもガス事故が起きた場合、その爆発音に驚いて一目散に逃亡するようですw。

 昨日、昼過ぎからカミサンと映画鑑賞行ってきました。富司純子×寺島しのぶ親子主演の「待合室」という映画です。
 映画鑑賞といっても会場は映画館ではなくて公民館ホール、自主上映として東北各地を転々と上映しているようです。もちろん公民館なので、音響悪いし椅子はパイプ椅子だしスクリーンは見えずづらいしで、結構疲れました。

 でも、映画はよかったぁ〜。ちょっと泣けましたし、岩手のちっちゃな駅の待合室の話なんですけど、そこに訪れる人たちと”駅前のお店のおばちゃん”との命のノートを通しての文通の話です。これは実際にあった話を元に作成された映画らしいのですが、その駅に一回行ってみたいとかられるようないい話でした。

 最後に綾戸智絵さんが主題歌を歌っているんですが、エンドロールが始まった瞬間、おじちゃん、おばちゃんがいっせいにしゃべりだしたのには引いてしまいましたが…。


これは、かりんではありません「ぼけの実」です。
ぼけ防止かって?それもあるけど、枕元に置いてくと、
ほのかな香りが心地よい睡眠を誘うんですよ。
騙されたと思って、お試しあれ!

7年前、中国の雲南省「昆明・麗江」を旅したときの少数民族ナシ族の民族衣装スナップです。ここには中国の55少数民族のうち25の少数民族が暮らしていましたが、100年前にタイムスリップしたような不思議な魅力を湛えていました。

中国では、人口抑制のため依然一人っ子政策がとられているが、ここだけは少数民族保護のため2人目以上も許されていると、ガイドが話していました。

ナシ族の働き手は主に女性で,男性はあまり働かないようである。何をしているのと聞いたら…トンパ経の勉強をしていると言う。同じガイドから、まさにここは男性天国ですよと説明を受けてから、ナシ族の田舎料理を頂いたが、見た目とは裏腹にキョーレツな匂いに閉口…なんとそれはドクダミでした。


 日曜日、セミナー参加のため山形市へ。休日のせいか早く着きすぎたため、文翔館付近をしばし散策。日ごろ何気なく通り過ぎるだけでしたが、あらためて近くで見るとルネサンス様式を基調としたレンガ造りの威厳なたたずまいにただただ圧倒されるばかりでした。

 ネットで調べたら、文翔館は県庁舎と議事堂として大正5年6月に建てられ、昭和51年県庁移転まで行政&立法府として使用されたとか。昭和59年に国の重要文化財に指定された後、昭和61年から修理工事を始め、10年の歳月をかけて平成7年9月に完成したそうです。

 何でも不要になったものを切り捨てる時代、この大正の古き良き時代の薫りを保存した当時の県の判断には喝采をおくります。たまにはお役人もよいことやるじゃん。夜のライトアップした姿も、昼と違った表情をみせてくれて、県民ひとしく大事にしたい宝物の一つです。


土曜日、美空ひばり2時間スペシャル番組を見た方いらっしゃいますか?
最初は、日本シリーズと交互に見てましたが、後半はチャンネル固定して釘付け状態になってしまいました。ひばりの歌は、演歌とかポップスとか、ジャンルを超えた説得力を感じます。

昭和という同時代を並行して生きてきた一人として、その生き様には感動を覚えます。特に晩年、命と引換えに歌いとおしたドームコンサート、その中の「愛燦燦」と「川の流れのように」は鬼気迫るものがありました。心の琴線にふれる珠玉の名曲ですね。

晩年の曲って、裕次郎の「わが人生に悔いはなし」にしろ、ひばりが自らの死期を知るかのように歌う「愛燦燦」にしろ、淡々と綴られる歌詞には、涙腺が緩んで止まりませんでした。愛だとか恋だとかを超越した詩にこめられた人生哀歌…人生って悲しい時の方が多いから、ささやかな喜びでも嬉しい…不思議なものですね。

雨 燦燦)と この身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)う
人生って 不思議なものですね


 昼休み、職場近辺の河川土手道のウォーキングを日課としてますが、寒河江川にて鮭の釣獲調査・鮭つりが行われていました。10月21日から限定7日間で行われているとか、雨の中にもかかわらず多くの釣人でにぎわっていました。

 この期間は、寒河江川に遡上したシロザケを釣ることが許されることから、毎年県外からの多くの釣り人がかけつけ、管轄する最上川第二漁協関係者に聞いたら、遠くは福岡から参加した人もいるとか…。大半がルアーとフライでチャレンジしていましたが、天候のせいかは不明ですが、残念ながらヒットは少なかったようです。
 この釣り人に無理言って撮った写真がこれ、は午前中で2匹ヒットしていました。