「ふるさと」から50年後の1964年(昭和39年)に、「ああ上野駅」が発表された。「サライ」の約30年前である。この時代は明治期から続く地方からの人口流出の流れが、「就職列車」という形で、国家的な掛け声のもとに進められた時代である。この歌には当時の社会情勢が強く反映されていると思う。
この歌では、ふるさとに残る父母とは、「休みになったら畑仕事を手伝い、もういいと言うまで肩をもんでやるからな」という密接な関係が残っている。そして、「お店の仕事は辛いけど胸にゃデッカイ夢がある」という具体的な夢が表現されている。それは、「ふるさと」では明確に意識されずに、「サライ」では消えてしまっているものである。国民が共通して持てるような“夢”がなくなったことを示すものであろうか。
ドキュメンタリー番組などでは、集団就職の辛い別れの様子が流れるが、歌い手の井沢八郎の声は明るく張りがあり、その表情には悲しさや辛さを感じなかったように思う。それは、高度経済成長へとつながる日本全体の明るさを背景にしたものであったろうか。いづれにしても私たちの駅に対する原体験や原風景も、「ああ上野駅」にあるように思えるのだ。
【おらだの会】写真は、上野駅広小路口にあるモニュメントだそうだが、残念ながらまだ見たことがない。