ここにも天下分け目。「富神山」

  • ここにも天下分け目。「富神山」
富神山に登って来ました。慶長5年(1600年)豊臣・徳川天下分け目の関ヶ原の合戦、石田三成(豊臣)方直江兼続(上杉軍)が徳川方山形城主最上義光の拠点山形城を攻めようと陣を取り、十日間この山で待機しかし霞がかかって山形城が見えず、石田軍の敗戦の連絡が入り引き戻ったとのことで有名な山です。山頂から霞城公園を見ましたが今日も少し霞がかかっていました。
2009.07.13:okuyama_s:[コンテンツ]

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