みんなの茶の間

みんなの茶の間
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「みんなの茶の間」とは、地域のお茶の間です。一人暮らしでさびしいなと思っている方。お友達とおしゃべりをしたり、習い事をするところが欲しい方。どこにも行くところがない方。そんな人々が、やってきて、楽しい時間を過ごすことができる場所があったらいいなと考えて立ち上げました。立ち上げから、まだ1年もたっていません。介護保険を使わず、できるだけ安い料金で利用していただこうと考えています。お昼を食べて、ゆっくりとおしゃべりなどをしていっていただくことが中心です。
 女性たった二人で運営しています。食事を作ることが大変な方のためには、弁当配達もやっています。手作りで昔ながらの献立はとても喜ばれています。
 少しももうけが出ませんが、地域の役に立つことができればいいと思っています。
 ここには、2階があり、その3部屋を賄い付きの下宿にしました。コンビニで買う弁当ではなく、手作りの家庭料理付きの下宿です。安くして、利用してもらおうと思っています。
 我が家の元旦の伝統をご紹介します。
その1 葉物の野菜を食べない。したがって、雑煮には青物の野菜が入っていません。また、白菜づけなども食べません。子供のころ、なぜうちの雑煮にはミツバが入っていないのだろうかと不思議でたまりませんでした。理由を聞くと、先祖に葉っぱの野菜が嫌いな人がいたからだそうです。なんとも愉快な理由ですが、せっかく面白い伝統が残っているので、相変わらず我が家では、葉っぱを食べることをタブーとしています。

その2 先祖の肖像画を飾る。本来、大みそかや正月は先祖の霊を祭るという意味がありました。兼好法師が「徒然草」で大晦日に先祖の霊を祭る風習が無くなったことを嘆いた段がありますが、これからも分かるように、正月は新しい年神様を迎えるだけでなく、先祖の霊を祭る風習がありました。肖像画を飾るということにも、その意識があるのだと思います。そんなわけで、我が家ではこの伝統も相変わらず守っています。 
 我が家では、昔から大みそかの夕食の献立が決まっています。煮物(里芋、ニンジン、ゴボウ、蒟蒻)、焼き魚(塩引き鮭)、味噌汁(焼き豆腐と大根)です。この食事を食べると年を越して、新しい年になるといわれてきました。古来日本人は、夜から新しい一日が始まるものと考えていたので、大晦日にごちそうを食べて新年の神様を迎えたのでしょう。現在では、このような意識はすっかり薄くなっていますが、我が家では相変わらず決まった献立が出ます。年越しそばは食べません。
一昨日からの寒波で、とうとう当地にも雪が降りました。冬は寒くないと本当の冬とは思えませんが、まだ体が慣れないせいか、寒さがこたえます。柊の緑がとてもきれいに見えます。
 柊という文字から宮柊二を思い出し、彼の最初の歌集を開きました。
   玻璃越しに霜凍くろき山茶花やいついつとなく冬も深みぬ
今日は、隣町の公民館で学んでいる方々約30名が、わが町にやってきました。目的は、わが町の歴史を訪ねるです。みぞれ交じりの寒い天候にもかかわらず、皆さん元気で勝つ熱心に私たち、観光ボランティアガイドの説明を聞いてくださいました。わが町は人口2万人にもとどかない、小さな町ですが、寺が11あります。江戸時代にはこの倍はあったそうです。わが町にやってこられた皆様は、寺や藩の学問所の門などを見て喜んでいただきました。
 
 
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