戦国観光やまがた情報局

和銅5年(712)創建。初めは蚕菅社(こすげしゃ)と呼ばれ、白子明神と称していました。県内最古の社宝として平安時代の鬼瓦が保存されています。

鎌倉時代、暦仁元年(1238)、領主長井時広が社殿を修復して置賜郡の総鎮守としました。その後蒲生時代に米沢城の鎮守となり、歴代藩主の崇敬が篤く、特に、上杉鷹山は藩主となった明和4年(1767)、藩の中興を誓った誓詞を納めています。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
▼地図:Google Maps
直江兼続が米沢で密かに鉄砲製造を行なった資料展が、当時の製造場所といわれている白布温泉で開催されています。また「日本における鉄砲」と題してシリーズ講座も開催されます。

■「白布温泉鉄砲鍛造資料展」

場  所:白布森の館(米沢市森林体験交流センター)
開催期間:平成21年4月24日(金)〜平成22年1月17日(日)
時  間:午前9時〜午後5時
定休日 :毎週水曜日
入場料 :無料

■シリーズ講座
 「天地人」NHK放映を記念して鉄砲に関しての講座を白布森の館にて3回開催されます。
「日本における鉄砲」講師:国立歴史民俗博物館名誉教授 宇田川武久 氏

☆第1弾 「鉄砲伝来の実像〜外来文化の定着〜」
      6月26日(金)午後2時〜      ←終了しました
☆第2弾 「戦国合戦と鉄砲〜鉄砲術武芸者の群像〜」
      7月24日(金)午後2時〜
☆第3弾 「鉄砲技術の模倣と限界〜鉄砲術の技術的展開〜」
      9月25日(金)午後2時〜

▼問合せ:白布森の館 TEL0238−55−2118
 山形城西方の支城で、上杉領の置賜地方から山形に抜ける狐越街道沿いにある山城です。関ヶ原の戦いと時を同じくして起きた長谷堂合戦の際には、最上家家臣の江口五兵衛光清が守将を務めました。
 5百ばかりの少数で直江兼続率いる上杉軍2万を迎え撃ち善戦したものの、さすがに守りきれず2日後に落城、光清は自刃しました。

▼交通:JR山辺駅から車で約20分
    東北中央自動車道山形中央ICから車で約45分
▼駐車場:小型バス・自家用車可
▼入場料:なし
▼所要時間:40分
▼トイレ:なし
▼問合せ:山辺町産業課 TEL 023−667−1106

▼地図:Google Maps

米沢藩の下級武士(原方衆と呼ばれる)が暮らした屋敷が、米沢市南部の各地区(主に芳泉町・石垣町・通町)に数多く現存しています。

上杉家が会津から米沢に移封になった際、城下には家臣全員を収容しきれなかったため、防衛の役割を与えて下級武士を郊外に配置したものです。

原方衆は農業をしながら武芸に励むという半士半農の生活を送り、荒地の開墾も行いました。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
    東北中央自動車道米沢八幡原ICから車で約10分
▼駐車場:なし 車窓から見学
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(市内ガイド1名1時間1,000円・予約制)
▼問合せ:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226

▼地図:Google Maps


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天文15年(1546)〜天正10年(1582)
 武田信玄の四男として誕生。母は側室諏訪御料人。上杉景勝の正室となった菊姫の兄でもある。
 母方の諏訪氏の名跡を継ぐが、兄の武田義信の死により、武田氏の後継者として武田勝頼となり、元亀4年(1573)父信玄の死により家督を相続する。
 信玄は病床で「孫の信勝が元服するまで後を継ぎ、甲・信・上・駿を束ねよ」と勝頼に遺して逝去した。勝頼は遺命を守るため諸国と戦うが、長篠の戦いで織田・徳川軍に惨敗。
 勝頼は北条氏政の妹と結婚し北条氏と同盟を強化するが、後に北条氏と対立。天正7年(1579)上杉景勝に妹菊姫を娶らせ、上杉氏と同盟を結ぶが、天正10年(1582)織田・徳川軍の侵攻を受け自害。享年37。勝頼の代で武田家は滅亡。
奥羽の関ヶ原と呼ばれる慶長出羽合戦時に、上杉軍の別働隊が進軍した道を辿るコースです。

10:00〜10:40
 米沢城址・松が岬公園散策
  ・上杉神社(上杉謙信公を祀る神社)
  ・上杉神社稽照殿(直江兼続所用「愛の甲冑」ほか上杉家伝来の宝物を展示)
  ・松岬神社(上杉鷹山公、上杉景勝公、直江兼続公ほかを祀る神社)
10:40〜11:30
 伝国の杜・米沢市上杉博物館
  大河ドラマ特別展「天地人博2009」開催中!

  車で移動【所要時間20分】

11:50〜12:40
 よねおりかんこうセンター [昼食&買い物タイム]

  車で移動【所要時間5分】 

12:45〜13:15
 高畠ワイナリー

  車で移動【所要時間30分】 

13:45〜14:15
 上山城(最上氏時代は南の抑え、天守閣を復元)

  車で移動【所要時間15分】

14:30〜15:20
 長谷堂城址(頂上の本丸跡まで山道徒歩15分)

  車で移動【所要時間15分】

15:35〜16:05
 山形城址・霞城公園(東大手門、最上義光像)
16:05〜16:25
 最上義光歴史館

宿泊先へのご案内
 蔵王温泉 所要時間:車で約50分 到着時刻17:15
 かみのやま温泉  所要時間:車で約25分 到着時刻16:50
 天童温泉  所要時間:車で約25分 到着時刻16:50

※印刷用行程表をダウンロード(PDFファイル)
  (ダウンロード完了まで少し時間がかかります。)
奥羽の関ヶ原と呼ばれる慶長出羽合戦時に、直江兼続が軍勢を率いた道を辿るコースです。

10:00〜10:40
 米沢城址・松が岬公園散策
  ・上杉神社(上杉謙信公を祀る神社)
  ・上杉神社稽照殿(直江兼続所用「愛の甲冑」ほか上杉家伝来の宝物を展示)
  ・松岬神社(上杉鷹山公、上杉景勝公、直江兼続公ほかを祀る神社)
10:40〜11:30
 伝国の杜・米沢市上杉博物館
  大河ドラマ特別展「天地人博2009」開催中!

  車で移動【所要時間30分】

12:00〜12:50
 道の駅いいで めざみの里観光物産館 [昼食&買い物タイム]

  車で移動【所要時間40分】

13:30〜13:50
 御楯稲荷神社(荒砥城址・直江兼続が戦勝を祈願)

  車で移動【所要時間20分】 

14:10〜14:50
 畑谷城址(頂上の本丸跡まで山道徒歩10分)

  車で移動【所要時間25分】 

15:15〜16:05
 長谷堂城址(頂上の本丸跡まで山道徒歩15分)

  車で移動【所要時間15分】

16:20〜16:50
 山形城址・霞城公園(東大手門、最上義光像)

宿泊先へのご案内
 蔵王温泉 所要時間:車で約50分 到着時刻17:40
 かみのやま温泉  所要時間:車で約25分 到着時刻17:15
 天童温泉  所要時間:車で約25分 到着時刻17:15

※印刷用行程表をダウンロード(PDFファイル)
  (ダウンロード完了まで少し時間がかかります。)
{PDF} ダウンロード 1.2MB_Adobe PDF

ぐるっと、米沢!史跡めぐり
米沢市内観光循環バス「ぐるよね号」が期間限定で運行します。
大河ドラマ「天地人」ゆかりの史跡を循環バスで巡ってみませんか。
1日乗車券があれば乗り降り自由です。

■運行日程(合計16日間)
  9/19(土)・20(日)・21(祝)・22(祝)・23(祝)・26(土)・27(日)
  10/3(土)・4(日)・10(土)11(日)・12(祝)・17(土)・18(日)・24(土)・25(日)

ご好評につき運行期間延長!
  10/31(土)・11/1(日)・3(祝)・7(土)・8(日)・14(土)・15(日)・21(土)・22(日)・23(祝)

■運行ルート
  札の辻⇒上杉家廟所⇒春日山林泉寺⇒笹野観音⇒直江石堤⇒堂森善光寺⇒宮坂考古館⇒米沢駅前⇒東光の酒蔵⇒札の辻
■運行時間
  午前10時〜午後5時25分
   (札の辻最終到着便は、臨時駐車場シャトルバス最終便に接続)
■運行本数
  1日14便 1周約60分 30分間隔で運行
■運賃
  1回乗車:200円(子供100円)
  1日乗車券:500円(子供250円)
   ※1日乗車券は当日の「ぐるよね号」のみ乗車可能です。山交バス、市民バスにはご乗車できません。

米沢城は暦仁元年(1238)、長井時広によって築かれ、慶長3年(1598)から上杉氏領となりました。上杉景勝が越後から会津120万石に転封となった際、直江兼続に与えられた城でした。関ヶ原の戦いで西軍が敗れると、上杉景勝は米沢30万石に減封され、慶長6年(1601)に兼続に代わって上杉景勝が城主となりました。

明治2年(1869)の版籍奉還まで(2代景勝から14代茂憲まで)舞鶴城と称されていました。明治6年(1873)、城が取り壊され、翌年から松が岬公園として市民に開放されました。

上杉鷹山公像、稽照殿、春日神社、福徳稲荷神社、招魂碑、謙信公祠堂跡、曦山公碑などがあり、観光スポットとして賑わいます。また、春には濠に囲まれた四周を桜で埋め尽くし、桜の名所になっています。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
    東北中央自動車道米沢中央ICから車で約15分
▼駐車場:隣接のおまつり広場駐車場利用(無料) 大型バス・自家用車可
▼入場料:なし トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(無料・予約制:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226)
▼問合せ:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226

▼地図:Google Maps


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 總宮神社に隣接する真言宗の寺院。もともと「奥の高野」と呼ばれた置賜地方でも古い寺です。
 上杉家の家臣寺島長資が魚津城の戦いの際に討死したことに報いるため、子の寺島正貞を上長井郷の代官としました。この時から寺島家の菩提寺となり、現在も寺島長資の墓碑が伝わっています。


▼交通:フラワー長井線あやめ公園駅から徒歩で約5分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約30分
▼駐車場:隣接のあやめ公園東口駐車場利用(無料) 中型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:10分
▼トイレ利用不可
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(予約制・無料)
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111

元和4年(1618)に上杉景勝と直江兼続が創建した臨済宗の寺院で、当初は禅林寺と称していました。
直江兼続が禅僧九山を足利学校に学ばせ、業成った九山を招き、「禅林文庫」と呼ばれる蔵書を備え、学問の修業の場としました。兼続逝去後、九山も米沢を去ったため、学問所は実を結びませんでした。慶安元年(1648)上杉綱勝が禅林寺境内に文殊堂を建立し、禅林文庫の鎮守としました。

元禄3年(1690)上杉綱憲の命により「法泉寺」と改称されました。境内には、兼続の参禅の遺跡、3代藩主上杉定勝の娘で吉良上野介夫人・三姫の墓があります。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
    東北中央自動車道米沢中央ICから車で約10分
▼駐車場:隣接のすこやかセンター駐車場利用(無料)
▼拝観料:なし
▼所要時間:15分
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(市内ガイド1名1時間1,000円・予約制)
▼所在地:米沢市城西2−1−4
▼問合せ:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226

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天文6年(1537)〜慶長3年(1598)
 尾張国の百姓の子として生まれ、天下人にまで上りつめた立身出世の代名詞的な人物。
 織田信長に仕えて頭角を表し、本能寺の変で信長を討った明智光秀を破って、信長の後継者として名のりを上げる。北陸に居城を持っていた柴田勝家と後継を巡って対立。同じく勝家と対峙していた上杉景勝と同盟を結んだ。
 天正11年(1583)越前北ノ庄城にて勝家を攻め滅ぼすと、信長後継の地位を確立、毛利家、長宗我部家、上杉家、徳川家、島津家などを次々と臣従させた。
 天正18年(1590)小田原征伐を行う。これに伊達政宗、最上義光ら奥州諸大名も参陣し臣従、北条家も降伏し、天下統一を成し遂げた。
 慶長3年(1598)上杉景勝を奥州の要地である会津120万石に加増移封。その際、才能を高く評価していた上杉家執政・直江兼続に出羽米沢30万石を与えたといわれている。この年、景勝ら五大老に後事を託して伏見城で没した。享年62。
三の丸の西および北の外堀代用として、慶長14年(1609)、家臣の平林氏に命じて拡幅し、掘り拡げた川です。

新田開発・生活用水・農業用水路などとして新設されました。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
▼地図:Google Maps

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名古屋名鉄百貨店での「山形県の物産と観光展」開催にあわせ、物産展PRと天地人ゆかりの地・山形のPRを行いました。

「愛の前立て」が光る直江兼続の甲冑を着込んだ米沢市観光課の鈴木係長、米沢の観光キャンペーンで活躍していただいている上杉小町が、関係機関を訪問させていただきました。写真は、NHK名古屋放送局の生放送番組に出演させていただいた際のものです。

名古屋地区マスコミ訪問 平成20年6月10日(火)
訪問先:朝日新聞社、中部経済新聞社、読売新聞社、中日新聞社、中日スポーツ、毎日新聞社、日刊工業新聞社

NHKテレビ出演 平成20年6月11日(水)11:00〜
 NHK名古屋放送局「サラサラさらだ」