戦国観光やまがた情報局

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 山形県の歴史文化をもっと知りたい、広く学んでみたいとお考えの方を対象に、「山形県歴史文化講演会」(全4回)を開催します。
 今回は、県内4地域の文化や風土を育んだより大きな時代の枠組みである「藩」に着目し、それぞれの地域の歴史文化について学び、見つめ直す内容となっております。各回とも、募集人数に限りがありますので、お早めにお申込みください。

■対象者
 ・大河ドラマ「天地人」をきっかけに地元の歴史文化に興味を持った方
 ・山形県各地域の歴史文化について総合的に学びたい方
 ・観光ガイドとして必要な知識を身に付けたい方 など

■参加費  無 料

■主 催  大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会

■日時・内容

 第1回 平成22年1月16日(土) 米沢市・伝国の杜 2階 大会議室
  時 間 13:30〜15:30
  テーマ 米沢藩 天地人時代〜上杉家・米沢藩政
  講 師 角屋由美子氏(上杉博物館主任学芸員)
  募集締切 平成22年1月13日(水)まで

 第2回 平成22年1月23日(土) 鶴岡市・鶴岡市勤労者会館 大会議室
  時 間 13:30〜15:30
  テーマ 庄内藩 天地人時代〜酒井家・庄内藩政
  講 師 本間勝喜氏(鶴岡市史編さん委員)
  募集締切 平成22年1月20日(水)まで

 第3回 平成22年1月24日(日) 新庄市・ゆめりあ 2階 会議室
  時 間 13:30〜15:30
  テーマ 新庄藩 天地人時代〜戸沢家・新庄藩政
  講 師 大友義助氏(最上地域史研究会会長)
  募集締切 平成22年1月20日(水)まで

 第4回 平成22年1月30日(土) 山形市霞城セントラル1階山形市観光案内センター会議室
  時 間 13:30〜15:30
  テーマ 山形藩 天地人時代〜山形城と山形歴代藩主・山形藩政
  講 師 齋藤 仁氏(山形市埋蔵文化財発掘調査員)
  募集締切 平成22年1月27日(水)まで

■募集人数  各回40名程度
          ※参加希望者多数の場合は、先着順にて締め切らせていただきます。

■申込方法
  電話、FAX、郵送または電子メールにて下記事務局までお申込ください。
  ※いただいた個人情報は、この講演会のみに使用し、その他には使用いたしません。

■申込・問合せ先
  大河ドラマ「天地人」山形県推進協議会事務局
  〒990-8570 山形市松波2−8−1 山形県観光振興課内
  TEL:023−630−2373 FAX:023−630−2097
  ※メールアドレスは申込書に記載
「「朝日町の天地人」開催のお知らせ」の画像
朝日町エコミュージアム20周年記念事業として「朝日町の天地人」が開催されます。
慶長5年(1600)の慶長出羽合戦の際、上杉軍の別働隊が最上川沿いに進軍し、朝日町の鳥屋ヶ森城や八ッ沼城で戦いとなりました。

午前の部では、上杉軍の進軍ルートや八ッ沼城の構造を考察する歴史見学会が開催されます。
午後の部では、直江兼続が開削した「朝日軍道」に関する基調講演とパネルディスカッションが開催されます。
どうぞお出かけください。

■開催日:平成21年11月8日(日)

 午前の部:歴史見学会「朝日町の天地人」
  ▼時 間:午前9時〜午後12時30分
  ▼集合場所:朝日町エコミュージアムセンター「創遊館」2階会議室
  ▼参加費:500円
  ▼定 員:25名
  
 午後の部:基調講演「朝日軍道とエコミュージアム」
        パネルディスカッション「直江兼続が開いた朝日軍道」
  ▼時 間:午後1時30分〜午後4時
  ▼集合場所:朝日町教育研修センター(旧立木小学校)
  ▼参加費:無料 
...もっと詳しく
「米沢市内観光循環バス「ぐるよね号」のお知らせ【運行期間延長】」の画像
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ぐるっと、米沢!史跡めぐり
米沢市内観光循環バス「ぐるよね号」が期間限定で運行します。
大河ドラマ「天地人」ゆかりの史跡を循環バスで巡ってみませんか。
1日乗車券があれば乗り降り自由です。

■運行日程(合計16日間)
  9/19(土)・20(日)・21(祝)・22(祝)・23(祝)・26(土)・27(日)
  10/3(土)・4(日)・10(土)11(日)・12(祝)・17(土)・18(日)・24(土)・25(日)

ご好評につき運行期間延長!
  10/31(土)・11/1(日)・3(祝)・7(土)・8(日)・14(土)・15(日)・21(土)・22(日)・23(祝)

■運行ルート
  札の辻⇒上杉家廟所⇒春日山林泉寺⇒笹野観音⇒直江石堤⇒堂森善光寺⇒宮坂考古館⇒米沢駅前⇒東光の酒蔵⇒札の辻
■運行時間
  午前10時〜午後5時25分
   (札の辻最終到着便は、臨時駐車場シャトルバス最終便に接続)
■運行本数
  1日14便 1周約60分 30分間隔で運行
■運賃
  1回乗車:200円(子供100円)
  1日乗車券:500円(子供250円)
   ※1日乗車券は当日の「ぐるよね号」のみ乗車可能です。山交バス、市民バスにはご乗車できません。
 慶長3年(1598)、米沢城主であった直江兼続によって開削された「朝日軍道」。この道路は、当時しのぎを削っていた山形城主最上義光の所領(現在の村山・最上地区)を経由せずに米沢ともうひとつの所領である庄内とを最短ルートで結ぶために開削されました。最上義光との出羽合戦で利用されたと云われていますが、多くは謎に包まれています。
 
 今回の公開学習会では、渡辺茂蔵氏の論文「朝日軍道についての一考察(1978年)」などに学びながら、「大山尾浦慰山階道みち行改長」を解読し、次の事を学習します。
1)朝日軍道の復元ルート選定
2)60kmに及ぶルートの踏査報告
3)慶長5・6年の志駄義秀の通行検証
4)軍道をめぐる上杉と最上の抗争
5)江戸時代後期に大朝日岳登山がタブーだった理由

「朝日軍道」や直江兼続に興味のある方は是非ご参加ください。


■日時:平成21年11月15日(日) 午後1時〜3時
■会場:置賜生涯学習プラザ2階 大研修室(長井市九野本)
    TEL 0238−84−6900
■事例提供
   (1)朝日軍道と長井山岳会(長井山岳会 竹田憲作氏)
   (2)朝日軍道の痕跡調査登山について(岩根沢清川仙人会 山田栄二氏)
   (3)朝日軍道と志駄義秀(置賜史談会副会長 青木昭博氏)
■参加費:無料(資料準備のため下記へお申込みください)
■申込先:新野祐子さん宛(白鷹町横田尻)
     TEL0238−85−0393
■締切 :11月5日(木)まで
 米沢商工会議所主催「米沢観光文化検定」が今年で第4回を迎えます。今年は、米沢市制120周年の記念の年でもあり、大河ドラマ「天地人」放送記念としても注目されています。
 上杉の智将・直江兼続が大河ドラマの主人公となり、兼続の人物像や関連史跡など米沢観光への関心が高まってきました。この歴史ブームと「天地人」ブームに乗って市外・県外にも「米沢ファン」が増えることでしょう。
 今回行なわれる検定では、米沢市に関する歴史・観光・文化・時事などを中心に、直江兼続の生涯や大河ドラマ「天地人」の内容も盛り込まれるようです。
 この機会にあなたも『米沢ツウ』になってみませんか。


◎第4回米沢観光文化検定
■試験日時:平成21年12月6日(日)午前10時〜
■試験会場:九里学園高等学校(米沢市門東町1−1−72)
■受験料:1,000円
      ※受験申込後の返金は応じかねます。
■申込期間:10月5日(月)〜11月20日(金)まで
■申込手続:(1)窓口受付  
         米沢商工会議所窓口にて受付ます。
      (2)郵送受付  
         申込書・受講料・返信用切手80円を同封の上、「米沢商工会議所 米沢観光文化検定係」宛に郵送してください。折り返し受験票を送付致します。

▼出題内容・出題形式
  公式テキストブック『よねざわ まるごと事典』より米沢市に関する歴史・観光・文化・時事などの内容を、1問2点・計50問(満点100点)・四者択一式で出題。回答時間は45分。
▼合格基準
  7割以上の正答を以って合格とする。(70点・35問以上)
▼当日持参するもの
 (1)受験票
 (2)筆記用具(HBの黒鉛筆またはシャープペンシル、消しゴム)
 (3)身分証明書(運転免許証、パスポート、社員証、学生証など)
▼合格発表
  12月15日(火)午前10時
  米沢商工会議所ホームページおよび米沢商工会議所正面玄関口掲示板にて発表。

■お問合せ・お申込先
  米沢商工会議所総務企画部(米沢観光文化検定実行委員会事務局)
  〒992−0045 米沢市中央4−1−30
  TEL 0238−21−5111/0238−21−5116
  URL/http://www.ycci.or.jp

詳しくは米沢商工会議所ホームページをご覧ください。
 「米沢ラジオDEウォーク」は、TBCラジオ・YBCラジオ同時生放送!! ラジオの生放送を聞きながら米沢市内を歩く番組イベントです。ゲストの宝井琴柳さんや、佐藤修TBCアナウンサー、松下香織YBCアナウンサーたちが現地米沢から、史跡を案内しつつ歴史文化の解説やウォークの様子などを生放送します。
 参加者はその様子を聞きながら設定されたコースを歩き、米沢の魅力を堪能することができます。

◎「米沢ラジオDEウォーク」
   〜ラジオ生放送を聞きながら米沢を歩こう!〜

■日時:平成21年10月11日(日) 
    12:00〜14:30(生放送)
■受付:10:30〜
■集合場所:伝国の杜・芝生広場
■参加費:無料(事前申し込み不要)
■持参するもの:イヤホン付き携帯ラジオ
■ゲスト解説者:遠藤英氏(九里高等学校教諭)

▼ウォークコース
 伝国の杜―上杉神社―上杉記念館(伯爵邸)―大町上通り(街道跡)―愛染明王―小嶋総本店前―旧米沢高等工業学校本館―春日山林泉寺―伝国の杜


詳しくは、TBC東北放送のホームページにてご確認ください。
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「大河ドラマ「天地人」トークショー開催のお知らせ」の画像
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 大河ドラマ「天地人」の放送もいよいよクライマックスを迎えます。上杉家の米沢移封によりドラマの舞台も米沢へと移って、ますます目が離せません。
 今回の放送を記念して、大河ドラマ「天地人」トークショー実行委員会と、NHK山形放送局との共催によりトークショーを開催いたします。
 トークショーでは、「福島正則」役を演じている石原良純さんと、NHK制作統括チーフプロデューサーの内藤愼介氏をお迎えし、戦国の世に生きる武将を演じた心境や、大河ドラマ「天地人」撮影の裏話など、ここでしか聞けないお話を語って頂きます。

■大河ドラマ「天地人」トークショー
■日時:平成21年10月20日(火)
    開場17:30 開演18:00
■場所:山形テルサ「テルサホール」
     山形市双葉町1−2−3
■入場料:無料
■定員:750名(全席指定)

◎お申込み方法
▼往復はがきに「住所」「氏名」「電話番号」を記入の上お申込みください。(電話・FAX・メールによる申込みは受付けておりません)
▼1通につきお一人様の申込みとなります。抽選のうえ、全席指定で入場券をお送り致します。
▼申込み締切日:10月13日(火)必着
▼申込み先住所
  〒990−8540
   山形市役所観光物産課「トークショー係」

▼お問い合わせ先:山形市観光物産課
         TEL023−641−1212 内線423・424
「「信長の野望・天道」タイアップ武将データ配信開始」の画像
              (C)2009 KOEI Co., Ltd. All rights reserved.

20年以上の歴史を誇る、歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズの最新作「信長の野望・天道」が絶賛発売中です。

山形・宮城・福島の3県では、当地にゆかりの深い戦国武将データをダウンロードして、ゲーム内に登場させられるタイアップ企画を実施中です。

山形からは、この3名が登場です。
 “直江兼続の父”樋口 兼豊 (ひぐち かねとよ)
 “最上義光の懐刀”谷柏 直家 (やがしわ なおいえ)
 “最上家臣、知謀の士”成沢 道忠 (なりさわ みちただ)

もちろん、ゲームには、
 上杉謙信、上杉景勝、直江兼続、前田慶次…
 伊達政宗、片倉景綱、伊達成実、鬼庭綱元…
 最上義光、氏家守棟、志村光安、鮭延秀綱…

などなど、大勢の戦国武将が登場します。
ぜひぜひ、実際に遊んで確認してみてください。
「天地人」の時代のお勉強用としてもどうぞ!

 株式会社コーエー「信長の野望・天道」公式ホームページ

 「信長の野望・天道」タイアップ武将ページ

体験版も配信されていますので、お気軽にどうぞ!
 「信長の野望・天道」体験版ダウンロードページ
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首都圏で流している「天地人博2009」のテレビコマーシャルです。
その3「ゆかりの地編」です。
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首都圏で流している「天地人博2009」のテレビコマーシャルです。
その2「関連イベント編」です。
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首都圏で流している「天地人博2009」のテレビコマーシャルです。
その1「かねたん編」です。
伊達稙宗(だてたねむね):1488〜1565
  伊達家14代当主。周辺勢力と婚姻・養嗣子関係を結んで勢力を拡大。それまで前例のない陸奥守護職に任じられた。三男・実元の越後守護上杉家への入嗣問題をきっかけに、家臣団への統制強化に不満を持った有力家臣らに担がれた嫡男・晴宗に幽閉され、南奥羽全域を巻き込む天文の大乱が起こった。


伊達晴宗(だてはるむね):1519〜1577
  伊達家15代当主。稙宗の嫡男。父と対立して天文の大乱を引き起こした。乱の終息後に家督を相続。本拠地を米沢城に移した。代々大崎氏が継承してきた奥州探題職に就任した。父と同じく、婚姻外交を駆使して伊達家の勢力拡大を図った一方、有力家臣の権限を認めて、宿老の中野宗時を重用し、その専横を許した。
    関連史跡:米沢城址


伊達輝宗(だててるむね):1544〜1585
  伊達家16代当主。晴宗の次男。父との対立を経て家督を継ぐ。権勢を振るう宿老・中野宗時が謀叛を起こすが、これを討伐。その後は謀叛鎮圧に功績のあった遠藤基信を重用した。相馬家とたびたび争ったほか、義父の最上義守の要請を受けて最上義光とも争う。嫡男・政宗に家督を譲った翌年、二本松義継に拉致され、救援に来た伊達軍の銃撃に巻き込まれ死去。
    関連史跡:資福寺 輝宗墓所(高畠町)


伊達政宗(だてまさむね):1567〜1636
  伊達家17代当主。輝宗の嫡男。独眼竜の異称で知られる。18歳で父から家督を譲られると、瞬く間に周辺諸国を席巻。摺上原の戦いに勝利して会津の蘆名家を滅ぼし、南奥羽のほぼ全域を手中に収めた。
    関連史跡:米沢城址 伊達政宗公生誕之地の標柱


大有康甫(だいゆうこうほ):1534〜1618
  伊達稙宗の十三男。一風軒と号す。東昌寺十四世住職。伊達家の外交僧として活躍。政宗の学問の師として虎哉宗乙を推挙した。
    関連史跡:東正寺(南陽市)


伊達小次郎(だてこじろう):1568?〜1590
  輝宗の次男。政道(まさみち)と名乗ったとも云われる。蘆名家への養子の話があったが、佐竹家から義広が養子に入ったため、伊達家と蘆名家との関係が悪化した。1590年政宗が毒を盛られた事件が起こった際に誅殺された。


小原定綱(おばらさだつな):1555〜1592
  伊達小次郎の傳役。小次郎誅殺後、その遺骸の埋葬場所を求めて各地を流浪。埋葬が叶ったのちに殉死した。


粟野秀用(あわのひでもち):?〜1595
  伊達小次郎の傳役。二色根城主(南陽市)。小次郎誅殺後に伊達家を出奔し、関白豊臣秀次に仕えた。伊予松前15万石の大名にまで取り立てられる。1595年秀次事件に連座して自害した。この件では、伊達政宗も関与を疑われ、釈明に追われることとなった。


小梁川親朝(こやながわちかとも):?〜?
  1514年伊達稙宗に従って最上氏を攻めた。長谷堂城(山形市)の戦いにて、最上義定らの軍勢を破り、奪い取った長谷堂城の守備を任された。翌年、伊達稙宗の妹が最上義定に嫁ぐことで和議が成立すると、長谷堂城から撤退した。
     関連史跡:長谷堂城址(山形市)


小梁川親宗(こやながわちかむね):?〜1546
  親朝の子。天文の大乱では晴宗方につき、高畠城主となる。中野宗時とともに上洛するなど重臣として活躍し、北条氏康にも謁見している。
     関連史跡:高畠城址(高畠町)


小梁川盛宗(こやながわもりむね):1523〜1595
  親宗の子。高畠城主。伊達晴宗の娘婿。知勇に優れ、最上家や大内定綱との戦いで活躍した。しかし元亀の変の祭に、討伐を受けた中野宗時らを高畠城下にて見過ごしたため、輝宗から叱責された。後に出家して泥播斎と号す。政宗に近侍して、様々な献策をした。
     関連史跡:高畠城址(高畠町)


小梁川宗重(こやながわむねしげ):1545〜1602
  盛宗の子。刑部。一家に列せられる。


小梁川宗朝(こやながわむねとも):1469〜1565
  親朝の弟。京で兵法・剣術を修行し、将軍足利義晴に召し出された。帰国して稙宗に仕え、天文の大乱では、西山城に幽閉されていた稙宗を救出した。乱の終息後も稙宗に近侍し、稙宗の死後、殉死した。


小梁川宗秀(こやながわむねひで):1510〜1570
  宗朝の子。中野宗時らが反乱を企てた元亀の変では、新田景綱とともに追討軍の先鋒を務めて小松城を攻めた。宗時らを敗走させる奮戦のすえ、討死した。
     関連史跡:小松城址(川西町)


桑折景長(こおりかげなが):?〜?
  伊達稙宗の三男・実元の越後守護上杉家への入嗣に反対し、中野宗時らとともに稙宗の嫡男・晴宗を擁立した。天文の大乱では晴宗の重臣として活躍。


桑折貞長(こおりさだなが):?〜1577
  景長の長男。伊達晴宗の奥州探題就任に尽力し、牧野久仲とともに奥州守護代に任じられた。中野宗時、牧野久仲父子が謀叛した元亀の変後に、久仲に替わって小松城主となる。
     関連史跡:小松城址、佛成寺(川西町)


桑折宗長(こおりむねなが):1532〜1601
  貞長の長男。相馬家との争いや人取橋の戦いで活躍。摺上原の戦いにも出陣した。隠居後は点了斎不曲と号す。評定衆として政宗を補佐した。


桑折政長(こおりまさなが):1556〜1593
  宗長の長男。摺上原の戦いに父とともに出陣した。文禄の役の祭は、伊達政宗に従って朝鮮に渡海したが、病を得て釜山浦にて病死した。妻は飯坂宗康の長女、伊達政宗の側室・猫御前の姉。


原田宗政(はらだむねまさ):?〜1582
  原田城主。桑折宗長の次男で、伊達家累代の宿老・原田家を継ぐ。1582年に戦死。


原田宗時(はらだむねとき):1565〜1593
  桑折宗長の三男。山嶺源市郎の子。原田家を継いだ伯父の宗政が、嗣子の無いまま戦死したため。その跡を継いだ。伊達家宿老として会津攻略、佐竹・岩城連合軍との戦いなどで活躍した。朝鮮出兵の際は、政宗に従って渡海したが、病を得て対馬にて死去。
     関連史跡:原田城址(川西町)


原田宗資(はらだむねすけ):1582〜1623
  桑折宗長の四男。原田宗時が病死したため、伊達政宗の命により原田家を継いだ。徳川家康が上杉景勝の討伐を決め、帰国を命じられた政宗が宿敵の相馬領を通過する際に、使者として赴き、無事に通過させることに成功した。伊達騒動の当事者のひとり、原田甲斐宗輔の父。


片倉景時(かたくらかげとき):?〜?
  小桜城主(長井市)。天文の大乱では晴宗方につく。稙宗方の鮎貝、大立目、最上氏の連合軍の南下を押し返し、置賜地方での晴宗方の勝利に貢献した智勇兼備の名将。
     関連史跡:小桜城址(長井市)


片倉景親(かたくらかげちか):?〜?
  景時の長男。意休斎と号す。父の跡を継いで小桜城主(長井市)となる。輝宗・政宗の二代に仕え、大内定綱への使者を務めている。弟の景重は米沢成島八幡神社の神職となった。
     関連史跡:小桜城址(長井市)


片倉景綱(かたくらかげつな):1557〜1615
  米沢成島八幡神社の神職・片倉景重の次男。遠藤基信の推挙により、伊達政宗の近侍となる。知の面から政宗を補佐し、参謀として活躍した。伊達成実、鬼庭綱元とともに「伊達の三傑」と称される。笛の名手としても知られる。
     関連史跡:成島八幡神社(米沢市)


片倉喜多(かたくらきた):1539?〜1610
  鬼庭良直の娘。片倉景綱の異父姉。男子に恵まれなかった母は離縁され、から倉景重に再嫁した。その後に生まれたのが景綱である。鬼庭良直も再婚して男子をもうけているため、鬼庭綱元の異母姉でもある。のちに伊達政宗の乳母・養育係を務めた。


片倉重綱(かたくらしげつな):1585〜1659
  景綱の長男。のちに重長に改名。父に劣らぬ知勇兼備の武将として活躍した。大坂の陣では、病気の父に代わって出陣、後藤基次を討ち取るなどの武功を挙げた。「鬼の小十郎」の異名を持つ。


矢内重定(やないしげさだ):?〜?
  米沢城下・大町の検断職に任じられた。合戦の際は騎馬で従軍しとと云われる。娘が片倉景綱に嫁ぎ、嫡男の重綱を産む。伊達政宗が仙台に移った際にも仙台大町の検断職を務めた。


鬼庭良直(おににわよしなお):1513〜1585
  左月斎。川井城主(米沢市)。武勇に優れ、評定役を務めた。人取橋の戦いでは、伊達政宗から金色の采配を賜り、全軍を指揮した。老齢のため甲冑は着けず、黄綿帽子に水色陣羽織という出で立ちで奮戦するも、壮絶な討死を遂げた。


鬼庭綱元(おににわつなもと):1549〜1640
  良直の長男。1575年に家督を継ぎ、川井城主(米沢市)となる。行政手腕に優れ、38歳で奉行に抜擢された。朝鮮出兵の際は物資補給を担当して、伊達軍に餓死者を出さなかった。伊達家の内政を支え、片倉景綱、伊達成実とともに「伊達の三傑」と称せられる。


遠藤基信(えんどうもとのぶ):1532〜1585
  役行者金伝坊の子。はじめ中野宗時に仕えたが、宗時の謀叛の企てを知り、伊達輝宗に新田景綱とともに訴えでて、謀叛鎮圧に功績を挙げた。これにより輝宗の信頼を得て、伊達家の内政を取り仕切るようになった。織田信長や北条氏照らとの外交交渉を担当したほか、片倉景綱の才能を見抜き、伊達政宗の近侍に推挙した。輝宗が非業の死を遂げると、その葬儀後に殉死した。
    関連史跡:資福寺・伊達輝宗墓所(高畠町)


遠藤宗信(えんどうむねのぶ):1572〜1593
  基信の長男。父の死後家督を継ぐ。伊達家宿老。佐竹・蘆名連合軍との戦いで軍功をあげる。朝鮮出兵でも大功を挙げるが、帰国後出奔し、のちに諭されて帰参する。朝鮮で得た病が癒えず、京で病没した。


屋代景頼(やしろかげより):1563〜1608
  置賜郡屋代郷(高畠町)を本拠とした一族の出身。祖父の閑盛は伊達家の国老であったが、父の代で所領が没収された。兄は鹿股家を継いだため、景頼が屋代家を継いだ。政宗に近侍して奉行に任じられ、朝鮮出兵の際は
岩出山城の留守居役を任された。次第に傲慢な振る舞いが多くなり、政宗に咎められて追放された。


後藤信康(ごとうのぶやす):1555〜1614
  湯目重弘の次男。後藤信家の養子となって後藤家の家督を継いだ。知勇兼備の武将と知られ、黄色の母衣を身にまとって戦ったため、「黄後藤」の異名を持つ。対蘆名戦では、桧原城(北塩原村)を守備した。その後も朝鮮出兵など、数々の戦いで武功を挙げた。


湯目景康(ゆのめかげやす):1564〜1638
  重康の子。人取橋の戦いや摺上原の戦いで活躍した。葛西・大崎一揆の鎮圧後に佐沼城主となる。伊達政宗が豊臣秀次の謀反に加担したとの疑いをかけられた際、津田原で秀吉に拝謁し、政宗の無実を訴えた。この功績により津田と改姓した。慶長出羽合戦の時は、最上家への援軍の副将として活躍した。


湯目重旧(ゆのめしげひさ):?〜1600
  奥羽の関ヶ原と呼ばれる慶長出羽合戦の際、伊達家から最上家へ援軍として派遣される。西軍敗北により撤退を開始した直江兼続率いる上杉軍への追撃戦で討死した。
    関連史跡:湯目の碑(山形市)


伊達政景(だてまさかげ):1549〜1607
  晴宗の三男。留守顕宗の養子となり、奥州の名家・留守氏を継いだ。朝鮮出兵にも従軍し、帰国の途中で伊達姓を拝領した。慶長出羽合戦では、最上家への援軍の大将として、約3000の軍勢を率いて出陣した。


鮎貝宗重(あゆかいむねしげ):1555〜1624
  鮎貝城主(白鷹町)。日傾斎と号す。長男の宗信が最上義光の計略に乗り謀反を図る。宗重は説得を試みるが、宗信は聞き入れなかったため、伊達政宗に訴え出て、鮎貝城を攻めさせた。宗信は最上領に落ち延び、家督は次男の宗益が継いだ。その後も政宗に近侍し、様々な評定に参加した。
     関連史跡:鮎貝城址(白鷹町)


新田景綱(にったかげつな):?〜?
  館山城主(米沢市)。中野宗時の孫娘を妻にしていた長男の義直が宗時の謀反に加担していることを知り、義直を捕縛して、遠藤基信とともに伊達輝宗に訴え出た。小梁川宗秀とともに追討軍の先鋒を務め、宗時らの拠る小松城(川西町)を攻め落とした。家督は次男の義綱が継いだ。
     関連史跡:館山城址(米沢市)


中野宗時(なかのむねとき):1501?〜1571?
  伊達家重臣。伊達稙宗の嫡男・晴宗を擁立して稙宗を幽閉させた。その後、稙宗方と晴宗方に分かれて争った天文の大乱では、晴宗の参謀として勝利に貢献した。その功績から晴宗に重用され、家臣団髄一の権勢を振るった。輝宗が伊達家の家督を継ぐと、謀反を企てたため討伐された。相馬領に落ち延びたが、そこも追われ、会津に向う途中で飢えと寒さから死去した。


中野親時(なかのちかとき):?〜?
  宗時の長男。伊達家の分国法である「塵芥集」の制定にあたって、父とともに家老評定人として連署している。


牧野宗興(まきのむねおき):?〜1542
  牧野家は伊達家の歴代宿老を務めた名家。伊達稙宗が大崎氏を攻めた際には第一陣の大将を務めた。天文の大乱では晴宗方に付くが、稙宗方の攻撃を受け息子の景仲とともに戦死。中野宗時の次男が家督を継いだ。


牧野久仲(まきのひさなか):1529?〜?
  中野宗時の次男。小松城主。伊達家累代の宿老・牧野家を継いだ。伊達晴宗の奥州探題就任に尽力し、桑折貞長とともに奥州守護代に任じられた。伊達輝宗の代に、父・宗時とともに謀反し小松城にて戦うが、敗れて相馬領に落ち延びた。


富塚仲綱(とみづかなかつな):?〜1542
  伊達家宿老。洲島城主(川西町)。天文の大乱では伊達稙宗方につき、戦いに敗れて討死。そのため富塚家は一時断絶した。


富塚宗綱(とみづかむねつな):1543〜1613
  仲綱の長男、幼少時に父が討死しお家断絶となるが、伊達晴宗に許され富塚家を再興した。伊達輝宗の代になって再び宿老に取立てられた。人取橋の戦いに従軍し活躍する。和漢連句にも長じていたという。


富塚信綱(とみづかのぶつな):?〜1627
  宗綱の長男。伊達家宿老。佐竹・蘆名連合軍との戦いで軍功を挙げる。朝鮮出兵や大坂の陣でも戦功を挙げた。最上家が改易された際、伊達政宗の命を受け、政宗の母・保春院を仙台に連れて帰った。


浜田宗景(はまだむねかげ):?〜?
  一本柳館主(高畠町)。伊達稙宗が大崎氏を攻めた際に第二陣の大将を務めた。天文の大乱では晴宗方について宿老となる。


浜田景隆(はまだかげたか):1554〜1591
  伊達家宿老。一本柳館主(高畠町)。大崎合戦では陣代として出陣、摺上原の戦いでは後備を務めるなど、各地の戦いで活躍した。大崎・葛西一揆の鎮圧戦で、宮崎城を攻略中に鉄砲で撃たれ戦死した。
「「兼続と義光とかみのやま」上山城秋の特別展のお知らせ」の画像
天下分け目の関ヶ原合戦と時を同じくして、東軍方の最上義光と西軍方の上杉軍・直江兼続が出羽・山形で激突した「慶長出羽合戦」。この戦いは畑谷城・長谷堂城を中心に激戦が繰り広げられ、上山でも壮絶な戦いが行なわれました。

大河ドラマ「天地人」でもいよいよ関ヶ原の場面が登場し、この慶長出羽合戦も取り上げられることでしょう。
「慶長出羽合戦」で戦った最上義光や直江兼続についての講演会や展示会等が開催されます。貴重な資料も展示されますので、是非ご来場ください。

◎上山城 秋の特別展「兼続と義光とかみのやま」

▼会期:9月19日(土)〜10月18日(日)
▼会場:上山城特別展示室
▼入館料:大人400円(団体350円)、高・大学生350円(団体300円)、小・中学生50円(団体40円)※毎週土曜日は小・中学生無料

■講演会
 (1)「慶長五年の直江兼続」
      日時:9/20(日) 午後2時〜
      会場:上山城特別展示室内
      講師:阿部哲人氏(米沢市上杉博物館学芸員)
 (2)「慶長出羽合戦と虎将・最上義光の業績」
      日時:10/4(日) 午後2時〜
      会場:上山城特別展示室内
      講師:揚妻昭一郎氏(最上義光歴史館学芸員)
  ※上山城入館料が必要(聴講は無料)

■史跡巡り
    「米沢藩上杉家ゆかりの史跡を訪ねる」
      日時:9/26(土)午前8時30分〜午後5時
      案内講師:加藤和徳氏(山形県文化財保護協会理事)
      定員:20名(申込み順)
      参加費:4,000円(保険料・バス代・昼食代・拝観料含む)


▼お問合せ
  (財)上山城管理公社
   上山市元城内3−7  TEL&FAX 023−673−3660
...もっと詳しく
山本寺景長(さんぽんじかげなが):1550〜1582
  一門衆。不動山城主山本寺定長の弟。天正6年の御館の乱で、定長は上杉景虎に味方したため景勝軍に敗れた。弟景長は上杉景勝に味方し活躍した。
  天正8年(1580)景長は兄定長のあと、山本寺家を継ぎ不動山城主となった。
  天正10年(1582)織田信長の攻撃を受けて魚津城は落城し、景長は竹俣慶綱、吉江宗信、吉江信景、安部政吉らとともに自刃した。


直江信綱(なおえのぶつな):?〜1581
  譜代・旗本衆。上野国総社長尾顕景の子。与板城主直江景綱の娘お船の方の婿となる。上杉景勝の奉行職。
  天正9年(1581)春日山城中で、御館の乱の論功行賞のもつれから、毛利秀広が山崎秀仙を斬殺。秀仙と一緒にいた信綱はとっさの出来事に驚き、秀広に斬りかかったが、逆に斬殺されてしまった。


泉沢久秀(いずみさわひさひで):?〜1615
  上田衆。上杉景勝の直臣。慶長3年(1598)景勝の会津移封に伴い、荒砥城1万1千石の城代となった。
  慶長6年(1601)米沢移封により2千8百石を知行した。元和元年(1615)死去。嗣子が無く泉沢家は断絶。


甘粕景継(あまかすかげつぐ):?〜1611
  上杉景勝の景の一字を賜わり、名を備後守景継と改める。
  文禄2年(1593)庄内酒田城主となった。慶長3年(1598)景勝の会津移封に伴い、2万石の白石城主となる。慶長16年(1611)死去。墓は米沢市林泉寺にある。


鉄 景信(くろがねかげのぶ):?〜1597
  もと上田坂戸城主長尾政景の家臣。政景死後、上田衆を掌握して領内を治め、景勝が謙信の養子となると側近として春日山城へ移り、謙信に従属、戦功を挙げた。
  謙信死後は景勝の直臣となり、上田衆を率いて五十騎組の精鋭を作り上げた。


河田長親(かわだながちか):1545〜1581
  上杉謙信の重臣。永禄12年魚津城主となり越中守将を統括した。天正9年(1581)4月8日、魚津城で死去。


吉江宗信(よしえむねのぶ):1505〜1582
  譜代衆。謙信、景勝二代に仕える上杉家重臣。蒲原郡吉江城主。景勝時代には老齢となり留守城在番となる。
  天正9年(1581)河田長親病死により越中魚津城在番となるが、翌天正10年(1582)、信長軍に包囲され越中魚津城で自刃した。


吉江景資(よしえかげすけ):1527〜1582
  譜代、旗本衆。吉江城主で謙信の旗本として春日山城の留守を預かった。
  天正6年(1578)の御館の乱では上杉景勝方として軍功をたてる。
  天正9年(1581)から越中魚津城守備に付くが、翌10年、信長の攻撃を受け、父宗信と共に自刃した。


本庄繁長(ほんじょうしげなが):1539〜1613
  揚北衆。元服と同時に家督を相続し本庄城主となる。
  永禄11年(1568)信玄の調略に応じた繁長は上杉氏から独立を目論むが、謙信の猛攻を受け、嫡子千代丸(後の顕長)を人質に降伏。
  御館の乱、新発田攻め、最上攻めで活躍するも恩賞はなかった。
  慶長3年には1万1千石の福島城主に任ぜられる。家康との和睦交渉をまかされ、上杉家は改易を免れた。
  慶長18年(1613)死去。享年75.嫡男顕長が先立って死去しているため、家督は次男義勝が充長と改名し相続した。


中条景泰(ちゅうじょうかげやす):1558〜1582
  吉江景資の次子。謙信より一字を賜わり景泰と名乗る。天正2年中条家を相続し鳥坂城主となった。天正10年越中魚津城で自刃。享年25。


水原親憲(すいばらちかのり):1546〜1616
  大関阿波守親信の子、弥七郎。謙信・景勝に仕え水原家を相続。慶長3年、5千5百石で亀ヶ城主(猪苗代城)となった。
  最上攻めでは兼続の本隊に属し畑谷城、長谷堂城を包囲。上杉軍の撤退に際し殿軍を務め活躍した。
  慶長6年には会津三奉行に任ぜられる。慶長19年の大坂冬の陣にも鉄砲隊を率いて参陣。元和2年(1616)死去。享年71。


竹俣利綱(たけのまたとしつな):?〜1614
  揚北衆。竹俣城主竹俣慶綱の嗣子がなかったため、長尾景人が竹俣城主を相続し、利綱と改名した。
  会津移封に伴い守山城主となり、米沢城に移り慶長18年死去。


市川房綱(いちかわふさつな)?〜1657
  竹俣利綱の遺領を相続した房綱は、慶長19年の大坂冬の陣と元和元年大坂夏の陣に出陣。寛永9年(1632)江戸家老になった。寛永12年には米沢藩の奉行も務め2千石を知行した。明暦3年(1657)死去。


下条忠親(げじょうただちか):?〜1617
  河田長親の次男。慶長3年景勝の会津移封に従って二本松城主となる。慶長6年米沢移封に同行。慶長13年鮎貝城主となり慶長19年の大坂冬の陣に参陣。元和3年(1617)死去。


新発田長敦(しばたながあつ):1538〜1580
  新発田綱貞の嫡男、源次郎。新発田城主。新発田重家は弟。謙信・景勝に仕える。
  御館の乱では景勝を支持し、揚北衆の取りまとめと景虎与党の鎮圧に活躍した。天正8年(1580)病死。


色部顕長(いろべあきなが):?〜1587
  色部勝長の嫡男、弥三郎。平林城主。天正4年家督を弟長真(長実)に譲り隠居。天正15年死去。

色部光長(いろべみつなが):?
  色部長真(長実)が死去すると、幼少の光長が家督を相続。直江兼続の妹(樋口兼豊の二女)を妻に迎える。慶長3年1万石の金山城主となる。慶長6年米沢城下に移り3千3百石を知行。大坂冬の陣にも参戦。


甘糟長重(あまかすながしげ):?〜1604
  謙信・景勝に仕える。景勝の命で三条城主となり、天正14年新発田攻めに参陣。景勝に従い慶長3年会津、慶長6年米沢へ移る。慶長9年死去。
墓は米沢市栄松寺にある。


千坂景親(ちさかかげちか)1536〜1606
  千坂氏は上杉家直臣で、文禄4年伏見普請総奉行を務め、慶長3年会津移封で5千5百石を知行。慶長8年江戸家老を務め、慶長11年死去。


斉藤朝信(さいとうとものぶ):?〜1591
  赤田城主。謙信・景勝に仕える。天正6年御館の乱で軍功をたてた。天正9年(1581)越中魚津城に入ったが、翌10年には信濃海津城に移った。天正19年死去。


志駄義秀(しだよしひで):1560〜1632
  義秀は直江兼続家臣団の与板衆として活躍。慶長3年会津移封に従い酒田城主となった。慶長6年には荒砥城主となり、1千石を知行した。元和8年(1622)米沢城で奉行職となる。寛永9年(1632)死去。墓は米沢市善光寺にある。享年73。


本村親盛(ほむらちかもり):?〜1600
  最上義光攻めの第二弾として上山城を攻めたが、途中、物見山山麓において最上方の奇襲を受け、大敗を喫した。自身も深田にはまって苦戦し、討死した。
   関連史跡:大将塚(埋葬地/上山市)


横田旨俊(よこたむねとし)?〜?
  旧蘆名家臣。主家没落後、越後にきて上杉家に仕えた。会津移封にあたって、対最上の最前線となる中山城主となる。慶長出羽合戦の際は、第二陣として上山城攻略に向かうが、本村隊の敗北を受けて退却した。戦後も中山城主として対最上の防衛に任にあたった。
   関連史跡:中山城址(上山市)


倉賀野綱元(くらかのつなもと):?〜?
  小滝城主。慶長出羽合戦では、別働隊約8百を率いて進軍し、狸森楯(上山市)を攻略、長谷堂城を取り囲む本隊と合流した。


安部綱吉(あべつなよし):1569〜1646
  菅原内膳の子、右馬助。父は越後安部荘を領していたが、本庄繁長と戦い討死した。そのため各地を渡り歩き、出羽国北条郷の宮内に落ち着いたという。
  慶長出羽合戦では、倉賀野綱元の配下として参陣し、長谷堂城の戦いで武功を挙げた。その後、北条郷の代官となり、宮内の町割りや新田開発、治水事業に尽力した。また金山奉行として金山の経営も任された。
   関連史跡:熊野大社・安部右馬助の顕彰碑(南陽市)、綱正寺(墓/南陽市)


溝口勝路(みぞぐちかつはる):?〜1600
  左馬助。慶長出羽合戦では軍奉行を務めた。撤退に際しては水原親憲とともに殿軍として鉄砲隊を指揮、親憲は富神山東麓、左馬助は柏倉中林山に布陣し、追撃に出た最上軍と激戦を展開した。勝路はこの戦いで重傷を負い、夜営した長岡楯にて息を引き取った。
   関連史跡:長岡楯跡(山形市)


鉄 泰忠(くろがねやすただ):1564〜1635
  島倉泰明の子。鉄景信の養子となる。孫左衛門、上野介。会津神指城築城の総奉行を努めた。慶長出羽合戦では、第一陣として参加。大坂冬の陣では軍奉行として武功を挙げ、徳川秀忠かた感状を受けた。江戸城の石垣普請や堀普請の総監も務めた。
   関連史跡:神指城址(会津若松市)


下 吉忠(しもよしただ):?〜1614
  父・秀忠は北条氏の家臣で、小田原征伐の際に戦死。その後、吉忠は上杉家に仕えて頭角を現し、出羽庄内の尾浦城主となった。慶長出羽合戦では、別働隊を率いて庄内から最上領に侵攻したが、直江兼続率いる上杉軍本隊の退却を知らされず、谷地城に孤立し、最上義光に降った。その後、最上軍の庄内攻略戦に先陣として参加、引き続き尾浦城主に任じられた。
   関連史跡:尾浦城址(鶴岡市)
「旬・感バス<慶長出羽合戦>ルートバス運行のお知らせ」の画像
天下分け目の関ヶ原の戦いと時を同じくしておきた「慶長出羽合戦」。上杉の智将・直江兼続と山形城主・最上義光との壮絶な戦いが繰り広げられた足跡を辿るルートバスが運行されます。

◎おいしい山形 旬・感バス【慶長出羽合戦】ルートバス
 9月5(土)〜11月23(月)の土・日・祝日運行

●運行行程 (1日2回運行)※観光ボランティアガイドがご案内します。
  JR山形駅東口バス乗り場(9:15、13:40)
    ↓
  畑谷城址徒歩散策(9:50〜10:40、14:20〜15:10)
    ↓
  長谷堂城址徒歩散策(11:10〜12:10、15:40〜16:40)
    ↓
  JR山形駅東口バス乗り場(12:40、17:10)

●運行日
   9月/ 5(土)6(日)12(土)13(日)19(土)20(日)21(月)22(火)23(水)26(土)27(日)
  10月/ 3(土)4(日)10(土)11(日)12(月)17(土)18(日)24(土)25(日)31(土)
  11月/ 1(日)3(火)7(土)8(日)14(土)15(日)21(土)22(日)23(月)
●料金:1日券(午前・午後共通利用可)1700円(小学生850円、未就学児無料)
●予約なしで気軽に乗車。当日限り乗り降り自由

▼問合せ:山交バス株式会社観光課
     TEL023−647−5173
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