戦国観光やまがた情報局
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白子神社(しろこじんじゃ)
和銅5年(712)創建。初めは蚕菅社(こすげしゃ)と呼ばれ、白子明神と称していました。県内最古の社宝として平安時代の鬼瓦が保存されています。
鎌倉時代、暦仁元年(1238)、領主長井時広が社殿を修復して置賜郡の総鎮守としました。その後蒲生時代に米沢城の鎮守となり、歴代藩主の崇敬が篤く、特に、上杉鷹山は藩主となった明和4年(1767)、藩の中興を誓った誓詞を納めています。
▼交通:JR米沢駅から車で約10分
▼地図:
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鎌倉時代、暦仁元年(1238)、領主長井時広が社殿を修復して置賜郡の総鎮守としました。その後蒲生時代に米沢城の鎮守となり、歴代藩主の崇敬が篤く、特に、上杉鷹山は藩主となった明和4年(1767)、藩の中興を誓った誓詞を納めています。
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