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平等という言葉の悪魔の囁き
民主主義の基本は、自由・平等・博愛と言われ、人間社会発展の究極の体制と言われてきました。民の自由な主張は種々雑多であっても衆議を一致させるには「多数決の原理」という事です。しかし、対立主張が拮抗する場合は、平等を主張して多数決さえ出来ない状況となります。(総論賛成各論反対の現在の日本の政治にその姿が垣間見えます。)
我々が学校時代に教わったのは、「少数意見の尊重」があっての「多数決の原理」でなければならないとの事でしたが、現状では、少数意見はつぶされて多数の暴力とでもいうべき姿となっています。
戦後の日本は進駐軍の政策により、農地解放・婦人参政権付与・財閥解体などの社会主義とまでは行かないが、平等、弱者救済などの政策に重点が置かれてきたように思われます。弱者救済については、博愛の精神にも適うもので、素晴らしい事なのですが、「過ぎたるは及ばざるが如し」の格言もあるように、生活保護給付が自治体により異なりますが、まじめに働いて国民年金を納付した老齢基礎年金より多く貰えるという矛盾が発生しています。
又、生活保護給付の対象者を見ていると、一生懸命に働いて早く保護対象から外れようと努力している人もいれば、アルバイトや非正規雇用でも収入があれば、生活保護が貰えなくなるといって怠けている人も見受けられます。
平等と公平という言葉は、同意のようですが、どのように感じられますか。平等は単純平均、公平は諸条件考慮の平均というように感じられませんか。
但し、諸条件考慮の判断が人により異なる処に問題がありますが、単純平均で怠け者を生じさせるよりはベターではないでしょうか。
先人の書物に「平等悪」という言葉がありました。当に平等という言葉が悪魔のように聞こえます。
2011.12.01:
長井製作所
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